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お茶漬の味   (1952・松竹大船)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 115分

■スタッフ
監督 : 小津安二郎
製作 : 山本武
脚本 : 野田高梧 / 小津安二郎
撮影 : 厚田雄春
音楽 : 斎藤一郎

■キャスト
佐分利信(佐竹茂吉)
木暮実千代(妙子)
津島恵子(山内節子)
淡島千景(雨宮アヤ)
鶴田浩二(岡田登)
笠智衆(平山定郎)
お茶漬の味
津島恵子と淡島千景に注目!「この日本人女性の美的感覚」を一人でも多くの女性よ継承してくれ。いい女の基本形は、ファッション雑誌にではなく古き中から選ばれた映画の中に存在しているのである。ファッション雑誌に振り舞わされて生きる女性になるのではなく、美的センスを芸術的空間の中から選びあげ自分のものにする女性になろう。多くの情報の氾濫を逆手に取れば「日本女性の美」を手にすることがすごく楽しくなる。「テイスト・オブ・エレガンス」これがこの作品の本当の題名である。

■あらすじ


佐竹茂吉(佐分利信)とその妻妙子(小暮実千代)は、結婚して10年以上の夫婦であるが、子も居ず別々の寝室で生活する元々愛情の通わない夫婦だった。そんな二人が、従姉妹の節子(津島恵子)のお見合いの話をまとめてくれと頼まれる。やがて見合いに対する意見の食い違いが、決定的な夫婦間の亀裂を生みだすことになる。


■日本映画史上屈指の女優二人・津島恵子、淡島千景


お茶漬の味
とにかく究極に美しいこの二人。まさに日本人女性の美に溢れているこの二人。津島恵子(1926− )と淡島千景(1924− )。
特に津島恵子の美しさは現在にも悠に通用する普遍性に満ち溢れている。いかにも良家のお嬢さんといった役柄をごく自然に演じているところがまた何とも憎らしい。この人はその美貌もそうだが、もっともっと評価されるべき女優である。

そして、淡島千景の物腰の美しさ。
昨今の白々しい優雅さとは、対極の天性と演劇的要素が混在された優雅な物腰ぶりに独特なセリフ回しが実に心地良い。もうこの人は存在しているだけで、優雅さを漂わせてくれる。まさに女優としては最高峰のエレガンスの芳香剤≠セろう。しかし、何よりも驚くべきことは二人の年齢差は2歳しか違わない点である。

この頃のキャスティングは、年齢に則した役柄を選ぶのではなく、俳優は役柄の年齢に合わせた芝居をしているのである。このあたり、高校生が高校生を演じてるだけの現在の不毛の邦画界とは、俳優の感性のレベルが違いすぎるのである。


■独特のセリフ回しの妙味


小津安二郎演出の最大の魅力は独特のセリフ回しである。このセリフ回しの妙味がわからないものは、小津作品を見て、芝居が変だと言うだろうが、それは歌舞伎の台詞回しが普通の日本語を基準に考えれば変だといっている並みに変≠ネのだ。

私は高校生の頃からこの作品を100回は見ているだろう。間違いなく『東京物語』『晩春』『麦秋』『秋日和』と並ぶ小津安二郎の傑作である。
特に環境映画としても実に心地良い日本語の音感と音楽に包まれているので、ただ流しているだけでも朗らかな気持ちにさせられるのである。

映画が芸術の極みに達した証明は、
そこで流れているだけで幸福感に満ちる==uただそこにあるだけでいい」感覚を持ち得るか否かなのである。


■男が、あなたを怒らせたくなるような女=至上の女性


この作品は小津作品の中でも特別な位置を占めている。その理由はまず内容以前に出演している俳優の特異性によるものだろう。そして、私はこの世界観が大好きである。唯一の小津作品の出演である津島恵子と鶴田浩二がことのほか素晴らしい。このカップルの馴れ初めが物語のサイドストーリーとして描かれていることが、特異性を際立たせているのである。

この作品は「誰かと誰か」が対峙する姿を見る楽しみで構成されている。
昨今の映画が、一人遊びの空間が多いのは実際のところ映画監督及び作者の想像力の欠如から生み出されているのだが、「誰かと誰か」が対峙する姿を見せ付けられない監督は作品に普遍性を生み出せない。この作品においては特に鶴田と佐分利信、鶴田と笠智衆の対峙の一瞬が、素晴らしく新鮮で、仁侠映画で鶴田浩二のファンになった私からすればこの作品の鶴田浩二の雰囲気はまさに神の領域≠ナある。特に鶴田と津島の関係の構築などは、映画的で凄く良い。

男の憧れはまさにこの映画の津島恵子のような女性である。ラーメンを一緒に食べ、好奇心が旺盛な女性。
それでいて男が敬語を使って怒らせたくなる可愛らしさ。男はこういう怒らせたくなる女に惚れたがるものである。どんな女性が賢い男性を惹きつけるか?答えは簡単だ。「男が、あなたを怒らせたくなるような女になればいい」のである。


■「お茶漬の味」とは?


この作品は、佐分利と小暮の関係を中心に、小暮と津島、小暮と淡島、佐分利と鶴田、津島と鶴田という四つの関係が取り囲む形で世界観を構築している。小津喜劇の基本はこの構図の面白さである。この構図の一箇所が変化することによって残りの4つの構図にどう影響を及ぼしていくかという楽しみなのである。


私くらいの年齢だと、津島と鶴田の構図で全ての作品を見てしまうのだが、鶴田の視点でこの作品を見ると最後に見事なカタルシスが生まれている。そして、この作品の凄いところは、実際だれの視点で見てもこの作品はカタルシスを生み出している喜劇なのである。

佐分利を認め直す小暮の豹変する瞬間。いつ見ても爽快な瞬間である。これこそ喜劇の基本であり、大人のドラマの基本である。
一人の女の「枯れ果てる」が「生気を帯びる」瞬間を見ることほど爽快なものはないのである。

つまり本作の題名である「お茶漬の味」とは「朝日の味」「ラーメンの味」「トンカツの味」であっても良い題名であり、
つまるところ夫婦などというものは、飾り立てるべきものではないということを伝えているのである。もっと普遍的なことを言うと「見栄っ張りは、恥の上塗り」ということである。そういった意味では今こそ見ておくべき作品である。


■戦後僅か7年目にしてこの浮世離れ振り


お茶漬の味
この作品は最初から解剖する価値のある作品である。まず映画への入り方からして実に素晴らしい。なんとも小津チックな悲愴感に満ちた壮大なテーマ曲で、始まるのである。そして、テーマ曲が終わると、一転して明るい音楽に切り替わり、金持ち女性二人のタクシー内の姿が映し出されるのである。小暮実千代が扮する妙子と津島恵子が扮する節子の登場である。

「だぁれ?出てんのその映画」
「ジャン・マレー とても素敵なんですって叔母さまもどお?」

そんな会話を戦後7年目にしている映画なのである。恐らく私がこの当時生きていたら全く興味がわかない作品だろう。
「小津は戦後の焼け野原を映さない」監督である。だからこそ今日的な普遍性は持ちえるが、当時はほとんど受け入れがたいほどだったのだろう。それくらいに浮世離れしているのである。


■女性三人以上の会話は、「オンナの教科書」


アヤに扮する淡島千景の登場の一言目は「ハイ」である。この一言こそ小津安二郎がこだわって使う日本の女優が美しい言葉を発する瞬間なのである。
やはり監督ならば女優を魅力的に演出することは絶対不可欠なのである。邦画の魅力の減退は、言葉の複雑さによるものだろう。セリフはシンプルに、絵と音で魅せればいいのである。「能書き映画」は別名「上滑り映画」である。私から言わせればVシネマは「能書きシネマ」なのである。

「そう、あっそう」

う〜ん。このそっけない返事のうまい使い方。「御機嫌よう」が挨拶の基本であるこの世界観。この映画を見て日本語の音感の素晴らしさ、奥ゆかしさとあけすけさの絶妙のバランスを理解すべきである。

「この子ぐらいのとき何しても楽しいのよ」「そうね一番いい時ね今」「何が?」「お嫁にいってごらんなさい大変だから」「どうして?」「旦那様ってこわいわよ」「朝から晩までガミガミ言って、のんびりパチンコなんかとても出来ないから」「ほんと?」「ほんとよ。とってもうるさいわよ。そうでもないか。節ちゃんコーヒーどぉ?」

もうこの辺りで、1970年代生まれ以降の私たちの世代は、この作品の会話の雰囲気に引き込まれるか、全く興味を示さないかどちらかに分かれるだろう。そして、
女性でこの会話の中での女性の仕草、表情、軽妙さに惹かれなかったら「女性を廃業した方が良い」だろう。特にアヤのこの座り方。足の置き方はかなりポイントが高い。


■茂吉とノンちゃんの関係がすごく良い


お茶漬の味
無人のデスク、オフィス街の街並み、バーの看板。そして、場面展開する見事さ。おしゃれな音楽と共に登場する岡田登=ノンちゃん≠ノ扮する鶴田浩二(1924−1987)と、後からやってくる佐竹茂吉に扮する佐分利信(1909−1982)。この二人の関係が実に微笑ましいのである。

ある種年齢を超えた友達のような関係である。しかし、何よりもこの二人を見ていて愉快なのは後年二人が共演する『日本の首領』(1977)でやくざの親分を演じる二人の会話からは程遠い、まさに対極にある爽やかな飄々さに満ちた会話を繰り広げてくれるのである。

そして、抜群の喉を披露する鶴田の歌の終了と共に、同時にビールを飲むその姿。まさに小津お得意の
「人が行動を共有する一瞬の」様式美がここにある。


■新井旅館の四人の浴衣美人の佇まい


お茶漬の味
茂吉に嘘をついて修善寺に温泉逗留に出かける妙子、アヤ、節子。そして、もう一人高子さんが登場する。扮するは上原葉子(1918−1970)。彼女は上原謙の妻であり、加山雄三の母である。実に加山雄三によく似ている。魅力的と問われれば疑問符を差し挟むが、快活そうな女性ではある。

四人が滞在する宿は修善寺でも最高の宿といわれる新井旅館。実に素晴らしい日本家屋の造形の中清楚な浴衣姿で酒に酔いしれる四人の女性の姿。
とにかくこの映画の女性の衣装のシルエットが美しい。最近夏祭りで見かける浴衣の陳腐さに対してこの浴衣姿の白黒でも伝わってくる艶やかさ。まさに四天女が美酒に酔いしれる姿そのものである。

しかし、人間は感性が鈍ると、色彩感覚も鈍るとよく言うが、そろそろ日本人も古来の色彩感覚に立ち返るべき時期に差し掛かっているのではないだろうか?


■ホンモノ達が合唱する「すみれの花の咲く頃」


お茶漬の味 お茶漬の味
「すみれの花の咲く頃」を四人で合唱するその姿の美しさ。元宝塚歌劇団のトップスター淡島千景が音頭をとるのだが、この声音の美しさ。真実、美しいとしか言いようのない四人の合唱シーンである。

そして、節子はよっぱらうのだが、この時の酔う仕草の艶やかさがまた最高である。この物腰こそが浴衣の魅力なんだろう。
「浴衣はオンナの物腰を美しく演出する黒子である」

次の日の朝二日酔いの節子の方に歩み寄り肩に手をかけるアヤの姿。う〜ん宝塚チックなその物腰はとてもナイスである。しかし、宿に面した中庭に鯉の住む池=「華の池」があるのだが、餌をとり損ねる鯉をダンナに見立てて冷やかす四人の芝居。これこそ映画的芝居の空間である。まさにうまい事づくめの映画的空間に満ちている新井旅館の逗留シーンである。


■甘辛人生教室パチンコ


「こんなもんが流行るのはいい傾向じゃないです。・・・こんなもんが面白ければいかんのですがなぁ」

茂吉とノンちゃんがパチンコするこの店の名前がいい。「甘辛人生教室」。その店長が茂吉の戦友だった平山(笠智衆)なのである。この店長がまた最高で、自分が博打店を経営していることが、戦後の大変な時期しょうがないとはいうものの許せない感じなのである。この作品で唯一登場する庶民はこの平山のみであるところもまた面白い。

「しかし、パチンコもちゃいと病み付きになるね。つまりなんだな大勢の中にいながら、安直に無我の境にはいれる。簡単に自分ひとりっきりになれる。そこにあるものは自分と玉だけだ。世の中の一切の煩わしさから離れてパチンとやる。玉が自分だ。自分が玉だ。純粋の孤独だよ。そこに魅力があるんだな・・・ 幸福な孤独感だ」


■ラーメンを食べる良家のお嬢さま


お茶漬の味
別の日、ノンちゃんは茂吉と競輪場に行くのだが、それからのシークエンスがこの映画の素晴らしいシークエンスの二つのうちの一つである。一方、節子は、お見合いを強制され、歌舞伎座でお見合いすることになっていたのだが、すっぽかして競輪場に出かけようとしている茂吉とノンちゃんの前に現れるのである。茂吉がお見合いに行きなさいと諭す言葉に対して、「いやっ!」を連発する節子。
この津島恵子の「いやっ!」の音感がすごく可愛らしい。

ようやく歌舞伎座で節子を降ろし、競輪場で楽しんでいる二人の前に、再び抜け出した節子がやってくるのである。そして、一緒にパチンコまでする節子。もう心配で堪らず「無我の境」どころではない茂吉。そんな茂吉を尻目にやたらパチンコが上手く上機嫌な節子の姿。

なかなか帰らない節子をノンちゃんに委ね茂吉は帰路へつく。ラーメンを食べる若い二人。もうこの二人の会話が邦画史上でも稀に見るほどかみ合っていて面白い。ここから物語は、軽妙さを増していくのである。

「ラーメンはね。おつゆがうまいんですよ。こういうものはねうまいだけじゃいけないんだ。安くなくちゃ」

茂吉といる時は若々しいノンちゃんが、節子といると急に、古めかしい話口調になっているのが、すごく見ていて可笑しい。ある意味ジメジメしていない二人の関係の描写が、この映画の普遍性を支えているのである。


■佐分利信の繊細な名演


家に帰った茂吉に、延々と節子の不在が生み出したお見合いの失態の愚痴を連ねる妙子。まさか節子が茂吉たちと一緒にいたとは思いも寄らないのだが、節子の訪問によって、善意ある「夫の嘘」を知るのである。そして、この形だけの夫婦関係が、決定的に崩壊するのだった。妙子自身常々嘘八百並べ立て茂吉を欺いてきたのだが、いざ茂吉がそういった事を図らずもしてしまうと許せないかなり自己中心的な妙子の性格が鮮やかに描き出される瞬間でもあった。

しかし、
元々形だけの夫婦にとって崩壊とは、新たに関係を構築するために必要な過程だったのである。基本的に茂吉のその「鈍感さ」をバカにしていて、何の刺激もないその態度から退屈な男と思っている妙子は、その嫌いな部分が実は魅力であることに気づかなかったのである。一方、兄のように茂吉を慕っているノンちゃんは、その茂吉の「何事にも動じない大きさ」に居心地の良さを感じているのであるが、この茂吉の最大の魅力は、「鈍感さ」を装う「心の大きさ」「優しさ」「温かさ」にあったのであった。

「うん・・・嫌だってものを無理に結婚させたって、君と僕みたいな夫婦がもう一組出来るだけじゃないか」

そう言い放つ茂吉の姿には、声の抑揚といい動作的にといい何の迫力もないのだが、佐分利信のうまさは、後年嫌というほど発揮する恐ろしいほどの迫力を、全然出さないこういった芝居もこなせるというところにあるのである。そして、この芝居があり、茂吉の温厚さが徹底されているからこそ、妙子との対比が輝いてくるのである。


■夫婦はお茶漬の味なんだ・・・


お茶漬の味
「インティメート(親密な)なもっとプリミティブ(粗野な)な、遠慮や気兼ねのない、きやすい感じが好きなんだよ」


この茂吉の言葉に、私もきやすくさせてもらいます!と短気に家を飛び出し、須磨に遊びに行く妙子。実は茂吉はウルグアイに転勤が決定していたのだが、それを知らせる機会もなく、妙子以外の知り合いが見送る中飛行機が飛び立っていくのであった。

少し遅れて電報の知らせを受けて、家に帰った妙子は、複雑な心境の中結婚指輪をはずし、「メリーウィドウ」の流れるオルゴール小箱にしまいこむ。今は海外に飛び立った夫の部屋を訪れるその物悲しき姿。そして、夫がいつも座っていた場所に座り、朝日の空き箱を手に取り眺めるその姿。

この姿は、夫の不在の中何か心にしこりが残りながらも、夫との夫婦生活を一から清算しようという妙子の心の動きの現れであった。恐らく茂吉が帰ってこなかったなら妙子は、自分の頑固な気持ちのまま突き進んだかもしれない。

そして、夜中、飛行機の故障で帰ってきた茂吉とお茶漬を食べるシークエンス。このシークエンスが実に素晴らしいシークエンスの二つ目なのである。茂吉の包容力に気づく妙子。初めて夫婦らしい会話を交わしあうその一時。そして、実に女らしいしおらしい表情に包まれる妙子の変貌振り。それまでずっと濃いメイクだった妙子が、薄いメイクの効果によりかなり綺麗に見える映像的トリック。

ぬかみそを洗う間袖を持ってあげる茂吉。危なげに漬物を切る妙子に「手危ないよ」の一言。「ぬかみそくさぁ〜い」の妙子の一言に「君の手も驚いてるだろ」と言う茂吉。そして、お茶漬けを食べる二人。
「お茶漬けの味なんだ。夫婦はこのお茶漬けの味なんだよ」としみじみと言う茂吉。

そう他人と他人によって構成される夫婦関係とは、「お互いを思いやり」「短気を忍び」「一緒の時間を共有する安心感」であり、永遠の愛やら、いつまでもべたべたと愛し合おうねという発想とは無縁の関係であるということを明確に物語っているのである。

小暮実千代のお嬢さまの我儘さが純粋培養されたようなその芝居は、嫌味や嘘くささなんて次元を越えた、感心してしまうくらいの生々しさ漂う芝居なのだが、実際の小暮は日本人女優として初めて本格的なボランティア活動に身を投じた人であり、「孤児院」や「保護司」といった活動をライフスタイルに組み込んだ、この妙子の役柄とは全く逆の性格の女性であった。

そう考えると、この小暮実千代という女性は、男性から見ても格好いい女性である。昭和の女優にはこういう格好いい女優が多く存在したのである。


■ノンちゃん雲にのる


「なんてったらいいのかな・・・男の人の頼もしさっていうのかしらそれが一番大事なの。私も今までわからなかった。でも今じゃいやだったことが何から何まで、好きんなっちゃったの。あんないいダンナさま滅多にいないと思ってんの」(妙子)
「ウフフフ」(節子)
「なあによ 笑ったりなんかして!生意気よ!よくお聞きなさい!」(妙子)
「ハイ」(節子)

「そうですか。そりゃ愉快だな。奥さんそんなに佐竹さんに惚れちゃったんですか?」(ノンちゃん)
「ええたいへん」(節子)
「愉快愉快。そらそうですよ。ネクタイの好みがいいとか洋服が上等とかそんなことじゃないんだ。僕のなんかこれ放出ですよ。これも古いの人からもらったんだ」(ノンちゃん)
「そう?だからどうなの?」(節子)
「いやぁ洋服なんかこれでいいんだ。男は結局頼もしさですよ」(ノンちゃん)
「じゃあ、あんた頼もしいの?」(節子)
「うん」(ノンちゃん)
「そうかしら?」(節子)
「疑うとこないですよ。絶対ですよ。あんたはまだ僕の甲羅干してるとこしか見てないんだ。あんたの知ってるのは僕のほんの一部ですよ」(ノンちゃん)
「きらい!そんな図々しいの!」(節子)
「きらいったって駄目なんだ。そうなるんだ。あとで後悔するんだ。わかってるんだ」(ノンちゃん)


ぷいっと怒って去って行く節子に謝りながら、情けなく追うノンちゃんの姿でこの作品は終わっていく。まさに微笑ましすぎるこの終わり方。
頼もしい男だからこそ、女も甘えることが出来る。そんな本来の微笑ましい男女の関係に満ちたラストシーンである。私はこの作品のラストシーンが小津作品では最も魅力的なラストシーンだと考えている。

本作は1952年度日本映画興行成績第二位に輝いた。淡島千景の夫役で十朱幸代の父・十朱久雄。さらに石原裕次郎の未来の妻北原三枝が女給役で出演している。ちなみにこの作品は元々、戦時中に脚本は作られていたが、検閲に引っかかり製作できなかった。その作中では茂吉はウルグアイに行くのではなく、戦争に出征するのである。

ところでこの作品のほとんどの陶器は、清水焼の大家澤村陶哉の陶器が使用されている。ここらへんの調度品に対するこだわりもさすが小津安二郎である。

− 2007年8月18日 −


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