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お嬢さん乾杯   (1949・松竹大船)
■ジャンル: コメディ
■収録時間: 90分

■スタッフ
監督 : 木下恵介
製作 : 小出孝
脚本 : 新藤兼人
撮影 : 楠田浩之
音楽 : 木下忠司

■キャスト
原節子(池田恭子)
佐野周二(石津圭三)
佐田啓二(高松五郎)
坂本武(佐藤専務)
村瀬幸子(バーマダム)
東山千栄子(恭子の母)
お嬢さん乾杯
戸口で素ってん転んぶ原節子、正座で足が痺れて廊下で素ってん転びかける佐野周二、階段から素ってん転げ落ちる佐田啓二。この作品は動的な活力に満ちている。“戦争が終わって4年経ちました。皆様素ってん転んだりもしましたが立ち上がって頑張っていきましょう”という素晴らしい前向きな「明るい灯り」を放つ上質な喜劇。

■あらすじ


戦後の大変な時期にも関わらず自動車修理会社を経営する成金の働き者・圭三(佐野周二)は34歳で独身。そんな彼が26歳の美貌の元華族の令嬢恭子(原節子)とお見合いをし、まずは3ヶ月間交際することになるのだが・・・。実は恭子の一族は破産寸前だった。


■オープニングの優雅さ


本作は1949年3月公開された。そして、1948年に撮影された作品である。1948年とは昭和23年。GHQ占領中の日本において、わずか敗戦後3年の作品である。そんな大変な時代にもかかわらず、この作品には邦画的ではない明るさに満ち溢れている。
ある意味この作品の多くの造形が今を生きる我々にとって羨ましく感じるほどである。それは戦後の焼け野原を知らない暢気さゆえではなく、むしろ多くの日本人が純粋に過去の日本に憧憬を抱きつつある証明でもあるのだ。

そして、タイトルで流れる社交ダンスの優雅さを含め、現在のガキまでもが優雅さを気取る醜さよりも、この時代の優雅さを気取る姿勢のほうがずっと芯の底から優雅であり、純粋だった。子供の「おじちゃま」というセリフ一つとっても全てが希望に満ちている。

そうこの映画は、当時において新しき日本の感覚を描き、今においては、日本古来の素晴らしいものを示す展覧会のような作品なのである。


■原節子と佐野周二


お嬢さん乾杯 お嬢さん乾杯
原節子(1920− )の日本語の響きの美しさ。これはもう芸術の域=癒しの空間である。クラシック音楽にも匹敵するその美しい調べ。この美しい調べに佐野周二(1912−1978)の軍隊調の荒っぽい日本語が織り成すコントラストは、決して調和しない故に、今の感覚からは脱力するセリフも散りばめられているのだが、それが不思議と段々気にならなくなるのである。

この作品の魅力は、一重に1940年代のしかも今に照らし合わせても日本映画らしからぬ。どっちかというと小津安二郎の傑作コメディ『お茶漬けの味』をハリウッド風に味付けしたスクリューボール・コメディのような魅力である。いい意味で和洋折衷がなされている作品である。

ちなみに本作は原節子と木下恵介の唯一の作品であり、佐野周二が初めて木下作品に出演した作品でもある。そして、本作の脚本は新藤兼人とクレジットされているが、実際のところかなりの部分を木下が改変しているという。


■昔の歌謡曲の持つ声の躍動感


しかし、この何とも古臭い歌謡曲を歌うは戦争中は軍歌「加藤隼戦闘隊」で有名な灰田勝彦(1911−1982)である。いいよなぁ〜この時代の歌声は。なんとも耳障りな楽器が鳴り響かないところがまた良い。この日本的なのかそうじゃないのか分からない主題歌は本作においてたびたび登場し、映画の中で希望と優しさを与えている。

それにしても原節子の感情を抑えた芝居と佐野の感情を抑えない芝居。決して違和感のない見事な芝居とは言えないが、敗戦直後の日本に夢を与える芝居であることだけは確かである。特にバイクで、まだ閑散としている東京の市街地を佐野と弟分の佐田啓二で二人乗りしてかなり荒っぽく疾走するシーンは、最初は遠巻きに映し出されるのでスタントが運転しているのかと思いきや、画面の手前に近づいてきて本人達であることが分かるのである。

実に危険な荒っぽいバイクの運転なのだが、このバイクの疾走感。そして、佐野と佐田という伝説の名優がバイクをぶっとばし疾走するその姿に、何故か当時の日本映画の活力を感じた。



■佐野の女性的な感性のかわいらしさ


「父は刑務所におりますの」「はぁ。・・・ヘッ!?」

違和感のある佐野周二の芝居が劇的に良くなるのは、この原の邸宅に訪れる過程を経てからである。特にこのセリフが最高に愉快なシーンを含めて佐野という役者の間のうまさが堪能できる。まさにこの作品の佐野は最初の20分は野暮ったく、無理してる感じがあるが、それを過ぎるとその野暮ったさがコイツの人の良さだということに気づかされ応援したくなるのである。

「なぜだか知らないけど、ほろほろ涙が出て困っちゃった」
原と佐野の初デートにおいて、同時代のイギリス映画『赤い靴』(1948)からすれば何とも洗練されていないバレエやボクシング(当時は拳闘と呼んでいる)が映し出されるのだが、その『白鳥の湖』を見ながら涙する佐野の横顔を見つめてくすりと笑う原の表情が素晴らしい。
この表情こそ言葉では表せない「愛情の芽生え」を物語っている。あとは自分の気持ちとの折り合いだけなのである。

「恋をすると花がきれいに見えるもんだよ」
そういった本来邦画にはあざといセリフも、佐野と佐田の男同士のチークダンス・シーンを含め全く無理のない世界観が見事に構築されている。
それは一重に当時の日本語の響きには上滑り感がなかったからだろう。70年代を迎えるとハリウッドと同じく、邦画も言葉(台詞)の力の喪失感に見舞われていくのである。


■生まれ育ちの違いが生み出す爽快感


「ベートーベンですか?」「いいえショパンのファンタジア・・・」「ショパンのファンタジアァァ・・・」

「よさこい節」しか知らない佐野が、原の好きだというショパンのレコードを買い込み聞くということを含め、華族と成金という階級間のギャップを見事に描き出している。
生まれ育ちが生み出すものは、単純に言うと何を合理化し何を合理化しないの見解の相違である。つまり「あいさつ」を合理化するか否か?「処女」を合理化するか否か?「妻に対する愛情」を合理化するか否か?「金儲け」を合理化するか否か?

この作品の妙味は、華族の令嬢は本来「金儲け」は合理化して考えないのだが、破産寸前という事実が成金青年と同じ視点=「金儲け」を合理化して考えさせている点にある。しかし、そんな中でもあはり「金儲け」を合理化すべきではないのではないかと葛藤し、その葛藤が成金青年にまで伝染し、
いい意味において生まれ育ちの違いがお互いの人生にプラスにつながる=人間の成長につながる姿を描いているのである。

敗戦までは同じ階層同士で結婚し・・・結局は成長とは無縁の人間を輩出するということを否定し、
「違う立場の多くの人間と出会えるんだよこれからは!」と木下&新藤は喜んでいるのである。だからこそ、最後に孤児だった佐田とダンサーの恋人の車に、元令嬢の原がオープンカーに乗り爽快に去っていくのである。

この作品には実にいろいろな意味においての爽快感が組み込まれている作品である。


■ああ・・・おなかがへった


刑務所にいる父親を訪れた後に、すっかり結婚について考え込んでいる原が、佐野との食事を断った後に、バレエ教室で教えている友達を訪れて
ふとつぶやく一言「ああ・・・おなかがへった」の脱力爆笑ぶり。このコメディー・センスは並みではない。

しかし、この時代にバレエ教室に通う少女達は相当裕福なんだろうなぁ。

ところで本作の佐田啓二(1926−1964)は、デビュー3作目なのだが、数年前まで実際に佐野周二の家に下宿していただけあって、佐野との掛け合いが実に違和感なく、洒脱な雰囲気をかもし出している。それにしても、佐田が彼女の涙を拭いてあげるあの小道具は何なんだろう?かなりあの仕草と表情が笑える。


■原節子の魅力とは


お嬢さん乾杯
すっかり原と打ち解けあえないことに自信を失った佐野が原の邸宅を訪れた時に、原が水の変わりにお酒を出すのだが、この一連のシークエンスがワンショットで撮影されているのである。本作は全体的に一つのショットが長い。そういう点に注意して本作を見ていると、この頃の監督や役者の能力の高さを思い知らされる。

「凄い焼酎ですねぇ」「左様でございますか」
この絶妙のセリフ廻しの一連のシーンにおいて、原節子のいたずらっ子のような表情の輝くばかりの美しさ。「あなただって先日おっしゃったじゃございませんか?世の中はお金だって」と原が言い、
佐野が出て行った後に目をぱちくりさせる原節子の美しさ(もしかしたら今まで見た最も美しい女性の表情かも・・・)。この頃の原節子の魅力はもうこの人だけの魅力なんだなぁ〜と実感させられる。

他にも佐野が始めて原の邸宅に訪れた時に、髪を整え玄関に向う原節子のフェイドアウトの仕方。なんか不自然なほどに神々しい。
原節子の魅力というのは表情の明暗が他の女優よりもかけ離れている点だろう。「暗」のときはどの女優よりも物憂げな美しさに満ちており、「明」のときはどの女優よりもはち切れんばかりの輝かしい美しさに満ちているのである。


■佐野周二がとことんまで凹んでくれる


終盤、佐野が大型バスで原を邸宅に送ったときに唐突に見せるあの原の笑顔の美しさ。「キスもしたことのない」原が遂に佐野とキスをするか!?と緊張感たっぷりの中、なんと佐野の方に駆けてって手にキスして逃げるように去っていくのである。
しかも戸口で素ってん転ぶ原を尻目に「手袋」と素っ頓狂な声で(手袋脱いでたら良かった・・・)と残念がる佐野。全く予想外の展開である。

さらに結局は纏まりかけた話をぶち壊す原の叔母の面白さ。全く空気の読めない良くいる老婆で
「あの子もねぇかわいそうな子ですよ」「このごろはなんとなく元気がありませんね〜」「いつも淋しそうな曲ばかり弾いておりますね」とおめでたい日に、地の果てまで佐野を凹ましてくれるのである。

すっかり凹みきった佐野は「もう駄目だ」と正座で痺れた足でのたくりながら去っていくのである。


■佐野周二→村瀬幸子→原節子


「マダム乾杯しよう!お嬢さんのために乾杯!」

ビールの泡が下に落ちていくコップの映像と、原に手紙で別れを告げ、故郷へ去る佐野。一方、佐野のアパートを訪れる原の見事なフレーム内に収められたすれ違いショット。

「あんたに振られて田舎いっちゃいましたよ!このコップでお嬢さん乾杯をして!・・・このレコードは石津さんがあんたに惚れて買ってきたんです!さっきもこれを聞いて泣きながら行っちゃったんです!」
佐野の訣別の手紙を読んで、佐野を愛していることに気づいた原は、佐野のアパートに駆けつけるのだが、その場で、結婚祝いをしようと集まっていた佐野の母のような存在であるバーのマダムが酔いつぶれて放つセリフがこれである。やはり
コメディーは笑いの果てに涙がなければ一級品とは言えない。このセリフは実に涙を誘う見事なセリフである。

このマダム役を演じるのは俳優座の創設メンバーでもある村瀬幸子(1905−1993)である。ある意味同年に公開された黒澤明の『静かなる決闘』の千石規子のセリフ廻しに、非常に良く似た名演振りである。

「愛してますだなんてそんなお上品なことじゃ惚れた事になりませんよ」「惚れております!」
村瀬と原のこの一連のシークエンスは文句のつけようのないほど素晴らしく最高のカタルシスを生み出してくれる。(ただし「花も嵐も踏み越えて」の伴奏は現在的には少し興覚めだが・・・)ちなみにこの最後のセリフは木下が現場で付け加えたセリフであり、あまりにもそのストレートなセリフに、原節子は何回もリテイクを繰り返したという。

− 2007年7月28日 −


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