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片目のジャック   ONE-EYED JACKS(1960・アメリカ)
■ジャンル: 西部劇
■収録時間: 141分

■スタッフ
監督 : マーロン・ブランド
製作 : フランク・P・ローゼンバーグ
原作 : チャールズ・ネイダー
脚本 : ガイ・トロスパー / カルロ・フィオーレ / カルダー・ウィリンガム
撮影 : チャールズ・ラング・Jr
音楽 : ヒューゴ・フリードホーファー

■キャスト
マーロン・ブランド(リオ)
カール・マルデン(ダッド)
ケティ・フラド(マリア)
ピナ・ペリサー(ルイザ)
ベン・ジョンソン(ボブ)
片目のジャック
ブランド初監督にして唯一の監督作品。大海原を背景に展開する西部劇はかなり斬新ではあるが、肝心の物語の方が、イマイチ面白味に欠ける。結果的に裏切られた男が、5年後脱獄し、その相手を探すのだが、物語全体に緊張感が欠けている。片目のジャックたち=リオとダッドの心境の流れが分かりにくく、明らかに二人の感情描写に失敗している。そして、カタルシスを生み出さないただ行きずりの女から去るような<宴Xトシーンがこの作品に止めをさした。

■あらすじ


1880年、メキシコのソノーラ銀行を、リオ(マーロン・ブランド)とダッド(カール・マルデン)は襲撃する。しかし、警官隊に追い詰められる羽目になり、リオが追っ手を食い止めている間に、ダッドは逃走用の馬を調達する事になる。だが、ダッドは馬を調達すると、盗んだ金貨もろともリオを見捨てて逃げた。一方、孤立無援の中リオは包囲され投降し、監獄に入れられた。それから5年の月日が流れた。リオは仲間と共に脱獄に成功し、あの時裏切ったダッドへの復讐を胸に誓った。やがてモントレイの町で保安官になっているダッドに再会するのだった。


■演技力以前に、感情移入しにくい登場人物たち


片目のジャック
マーロン・ブランド(1924−2004)も最高に格好良く、舞台の背景も大海原という斬新な設定の中、共演者もカール・マルデン、ベン・ジョンソン、スリム・ピケンズといった魅力的な曲者俳優が出演しているのだが、この作品には決定的なものが欠けていた。それは人物描写の気薄さである。

ブランド、マルデン、ペリサーという主要登場人物の3人が3人とも観ている側にピンとこない感情表現に終始している。特にブランドの場合は、あの独特のタメのある芝居が、本作においては完全に悪い方向へと転化していた。

そうんな冴えない描写の際たる例が、ブランドとマルデンの(海辺の家での)再会シーンである。駆け引きらしきものは見えるが、そもそもマルデンのヌケヌケとした応対からして観客は納得がいかないはずである。
大金をネコババした男が、ネコババされた男に自分の妻子を紹介して、果たして夜食を共にするだろうか?


■最初の20分間は大変魅力的なのだが・・・


マーロン・ブランド マーロン・ブランド
最初の部分のブランド(=リオ)のキャラ設定は文句なしに良い。
バナナを食べながら悠々と銀行強盗に励み、初心な美女を盗んだダイヤでたらしこみ。エッチしたら、その贈り物を取り上げ、そっけなく°獅チていく小賢しさ。ここらへんはブランドの魅力満載でいいのだが、この冒頭の性格描写がそれ以後の性格描写と全く合致していない。

マルデン(=ダッド)の為に死地に残る役柄を引き受けたはいいが、二人の関係が全く描かれてなかった為、どうしてリオは、裏切ることになるダッドを信用したのかが分からない。信用した理由が分からない相手に、裏切られたとショックを受ける主人公の姿を見せつけられたところで観客は、イマイチ乗り切れない。

復讐モノの勝敗を決定づけるのは、裏切られるまでの人間関係の描写と、裏切られ方、そして、裏切られた後の仕打ちの三段構えの描写にある。本作の場合コレがしっかり描写されていないので、どうしても物足りないものになってしまっている。

この作品は、よく「マカロニウエスタンに影響を与えた作品」と言われているが、確かに本作が公開されヨーロッパで評判が良かったのは事実ではあるが、それほど大きな影響を与えたとは思えない。


■気まぐれな感情の波が押し寄せてくる・・・そんな作品


片目のジャック 片目のジャック
5年の月日が流れた後に物語は、素晴らしい海辺の町を中心に展開していく。お互いが疑心暗鬼のリオとダッドの間にひこっと彷徨う一羽の小鳥ルイザ。そんなルイザをあっさりとたらし込みエッチをした翌日に、ロマンティックな枕話はほとんど嘘だったんだと自白するリオ。

なぜ宿敵の義理の娘の処女を奪ったのか?しかもエッチした後に極めて不自然な独白シーンの果てに・・・そういった部分についてはほとんどフォローされていない。明らかに5年後以降の登場人物の行動は、それぞれ理解に苦しむ部分が多い。そして、
この行動の不可解さをもって本作が、人間の複雑な感情を(西部劇の中で)丹念に描いた作品と評価されるのは明らかに過大評価だと断言できる。

確かに最高のタイミングで海辺のショットを撮るために、何時間も海辺に座って絶好の波を待ち続けたというブランド達の根気は素晴らしいと思うが、この作品は観客までもそれにつき合わされているような作品なのである。
まさに気まぐれな感情の波に飲み込まれるような感覚に満ちた作品。それが本作である。


■二人のメキシカン女優


ピナ・ペリサー 片目のジャック 片目のジャック
本作でリオの子供を孕むことになるダッドの義理の娘ルイザ。演じたピナ・ペリサー(1934−1964)は、本作がきっかけとなり、ブランドの愛人の一人となるが、本作の公開3年後の
1964年12月4日に30歳の若さで自殺した。原因は不明だが、自殺前のピナはひどくふさぎ込んでいたという。

殆ど女優として活躍することもなく自殺した彼女だが、そのルイザの役柄と同じく情熱的な分だけ、精神的に脆い女性だった。デビュー間もない彼女の姿は、そんな彼女の悲しい本質をそのもの映し出していたのかもしれない。

片目のジャック 片目のジャック
一方、ダッドの妻マリアを演じたケティ・フラド(1924−2002)はメキシコの名女優であり、『真昼の決闘』(1952)などでも素晴らしい芝居を見せてくれていた人である。本作においても、恐らく酒場の女か何かだったところをダッドに拾われたのだろう。

そんな境遇であっても、力強く娘の幸せを願い、賢明な判断をしようと心がけている賢母的な役柄を演じ上げていた。そして、賢い女性だからこそ夫ダッドの本質も見逃せない苦悩を抱えているという部分まで演じ上げていたのだが、残念ながら物語の中ではそういった点が、生かされる展開は無かった。


■片目のジャックの真意は?


片目のジャック 片目のジャック
「あんたは片目のジャックだ。半分の顔しか見せていない。だがオレはあんたの隠れた顔を知ってるんだぜ」

この作品の題名だけを見れば、『片腕ドラゴン』のような話を想像してしまうのが当然である。確かにリオは途中で片手を潰されてしまうが(もっともすぐ完治するのだが)、目は両方とも健在である。

実はこの作品の題名の意味は、上記のセリフで語られている意味なのである。トランプには4枚のジャックが存在する。ダイヤとクローバーのジャックは両目があるが、スペードとハートのジャックには片目しかない。つまり顔を正面には向けていない。そして、
この二枚のトランプを並べると磁石のプラスとマイナスのように上部が向き合えば、下部がそっぽを向き、上部がそっぽを向けば、下部が向き合う。そして、この様相こそがまさに愛憎の象徴なのである。

二人のジャック(リオとダッド)が、愛と憎しみが錯綜する感情の中終幕を迎えていくという展開は、実に素晴らしい題材なのだが、残念ながら本作は、その素晴らしい題材を消化しきれなかった。そして、結果として、
「両目のジャック」と呼んだ方が相応しい作品になってしまった。


■急遽差し替えられたラストシーン


最後にアクションについて語ろう。本作のブランドの銃撃シーンはスピード感に溢れていて見事だが、それ以上に本当に利きそうな握りこぶしによる拳闘シーンが素晴らしい迫力に満ち溢れている。

しかし、最後の最後に闘いの決着が、騙まし討ちで決まる。リオは背後から横っ飛びに飛んで、ダッドを撃ち殺すのである。この展開がもはや
ヒーロー不在の西部劇の真実を描いていて実にブランドらしい描写だった。

もっとも止めを刺されていなかったダッドが、リオとルイザが馬に乗り去っていく去り際に銃弾を見舞うのだが、この思わせぶりな最後の一撃が、物語に全く影響を与えなかった(つまり誰にも当てられずに、見苦しい一撃を放ち、死んでいくというしまりの無さ)。実に不自然なラストである。

ちなみに本当の所(ブランドのオリジナル・カットでは)は、この最後の一撃がルイザの背中に当たる事になっていたが、(悲劇的なラストを望まなかった)パラマウントがラストを差し替えたという。だからこそ本作は実に締まりのないラストになってしまったのである。


■紆余曲折の末に2年の歳月をかけて製作された


片目のジャック 片目のジャック 片目のジャック
映画化にあたりまず『トワイライト・ゾーン』で有名なロッド・スターリングに脚色の依頼がなされた。しかし、その出来に不満足を覚えた製作者ローゼンバーグは次にサム・ペキンパーを雇い、6ヶ月かけてリライトさせた。そして、1957年11月11日に第一稿が完成した。

一方、原作の映画化権をマーロン・ブランドの経営するプロダクションが4万ドルで買い取った。そして、スタンリー・キューブリック監督で、1958年12月2日から撮影が開始された。当初キューブリックはダッド役にスペンサー・トレイシーを希望していたが、ブランドがカール・マルデンに固執し拒否したという。

やがて撮影中に、キューブリックが脚本の修正部分が気に入らないという事でペキンパーを首にし、更にローゼンバーグがキューブリックと現場で対立し、解雇してしまう。そして、結局ブランドが自ら監督をする事になった。リオの役柄はビリー・ザ・キッドをモデルに描かれていたのだが、
「私はそんなありきたりな悪党を演じることに興味はない」とブランドが全く違う役柄に作り変えさせた。

1959年6月2日に一端撮影は終了したが、1960年10月14日に追加撮影が行われ、ブランドはオリジナル・カットを作成した。その時の映画の長さは5時間弱だったという。そして、パラマウントが最終的に141分にカットしたものが、1961年に公開され興行的に成功を収めた。しかし、ブランド自身は最終的に編集された作品の出来に不満足感を覚えていたという。

「コレは私の作った作品ではなくなった。私はとらえどころの無い極めて人間的な作品を作りたかったが、出来上がった作品は、分かりやすいだけの作品になってしまった」

− 2008年1月15日 −


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