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オープニング・ナイト   OPENING NIGHT(1978・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 144分

■スタッフ
監督・脚本 : ジョン・カサヴェテス
製作 : アル・ルーバン
製作総指揮 : サム・ショウ
撮影 : アル・ルーバン
音楽 : ボー・ハーウッド

■キャスト
ジーナ・ローランズ(マートル・ゴードン)
ジョン・カサヴェテス(モーリス・アーロンズ)
ベン・ギャザラ(マニー・ヴィクター)
ジョーン・ブロンデル(サラ・ゴード)
ポール・スチュワート(デヴィッド・サミュエルズ)
ゾーラ・ランパート(ドロシー・ヴィクター)
表面的な格好良さばかり喧伝されている今だからこそ、一歩突き抜けるとその人は一種のブランドとなる。そんな時代が今である。情報化時代が一種の横並びの安心感を増長し、心の不安と自分らしさに対する欺瞞を生み出している。そろそろつまらぬ雑誌やテレビガイドなど捨てて、本物の女を女達が味わう時期に来た。まずはジーナ・ローランズの格好良さと奥の深さを堪能せよ。

■あらすじ


大女優マートル・ゴードン(ジーナ・ローランズ)はここ数年は主に舞台で活躍していた。そして、新しい大舞台の稽古も今が最後の段階に差し迫っていた。そんな時、彼女の熱狂的ファンである17歳の女性が車で轢き殺されたのを目撃してしまう。そして、彼女は自分の演じる「老い」に直面した女性という役柄を演じることに疑問を持ち始め、アルコールに依存するようになるのである。そして、舞台の初日マートルは泥酔して、バックステージに現れたのだった。


■この人はいつも百面相の女優である



ジーナ・ローランズ(1934− )は、『グロリア』(1980)を見ても思うのだが、本当に表情の幅が広い人である。少女のようであったり、老婆のようであったり、年相応であったり、いらいらしながら顔では笑っていたり、むすっと全てに無関心だったり、タフだったり。
華がある女優とか、オーラがある女優とかというレベルではなく、ジャンヌ・モローと同じく彼女が一つの女性の形の象徴なのである。

ジョン・カサヴェテスという実にユニークな男についていけるローランズだからこそ独特の輝きを手にしたのだろう。カサヴェテスはほとんどの自作の主役を、ジーナ・ローランズで撮っている。これは妻なのでノー・ギャラで済むと言うのもあるだろうが、そんなこと以上に女優としてのジーナの力量に一目置いていたからである。こういう芸術肌の男性にとって、ジーナのような女性はまさに理想的だろう。


■ジーナ・ローランズの魅力が主張している作品



ジーナ・ローランズはある種の女性版ハンフリー・ボガートである。
煙草を吸う仕草、お酒を飲む仕草、眉毛を掻く仕草、たたずむ姿もう全てが格好いい。私は常々考えているのだが、次に恋愛するならば、ジャンヌ・モローとジーナ・ローランズの魅力が理解できる女性がいいと考えている。

女性は外見も重要だが、それ以上に重要なのは、たたずまいの美学を知ることである。ジーナはそういった意味において全てのたたずまいが様になる女優である。そういった意味においては、本作は自分の魅力を磨いておきたいと考えている全ての女性が見るべき通過点的作品だろう。

ファッション雑誌の誰かから吹き込まれたようなありきたりの人生観よりも、ジーナ・ローランズのたたずまいから得られる人生に対するパッション=情熱の方が、比べようもなく魅力的である。
私たちはあまりにも安易な感動に気を取られすぎてやしないか?と疑問を持ってみることから、その女性の飛躍的な魅力の昇華が始まるのではないだろうか?


■夫婦で舞台を楽しそうに演じている姿



本作のハイライトはラストのジーナとカサヴェテスの舞台でのアドリブ合戦である。月並みな言い方だが、実の夫婦だからこそここまで息のあった芝居ができるのだろう。この2人のやり取りは、芝居とかそういったものを越えた同志的な深い愛情に包まれているのである。
カサヴェテスが弾けてる隣でクールにそれをいなしているジーナの姿が身震いするほどに格好いいのである。

この舞台シーンを含め全ての舞台シーンはエキストラではなく実際の観客を集めて撮影した。映画の中の観客の表情も舞台を見ている生の反応であり、劇中の笑い声などのリアクションは全て本物の観客のリアクションである。


■ベン・ギャザラの苦悩する姿は何故か温かい



そして、この男の存在を忘れてはいけない。ベン・ギャザラである。とにかく表情がいい。
「人生に退屈してきた。気が滅入るよ」なんてセリフを吐きながらいつも眉間にしわを寄せて、人生の苦悩を背負っているような風貌がまた良い。この人はカサヴェテスの映画ではいつも苦悩が輝いてるのである。そして、この人の苦悩する姿はなぜか温かいのである。

なんかほっとする人間味溢れる役者。それがベン・ギャザラである。この人を見ていると更に実感するのだが、30〜50歳の監督が若者にへつらって撮る若者を主役にした作品よりも、こういった監督の同世代を描いた味わいのある作品の方が、誇れる芸術作業だと私は考える。

良い文化とは、熟成した文化であり、偉大なる人々は、10代から中年の危機や老年の恋などを主題にした本や映画を見て過ごしたのである。現代人の想像力と好奇心の欠如は、あまりにも急速に年齢に相当する文化が商業主義と付随して発展したことによることである。だからこそ、現代ほど若者にとって知的領域が狭い時代もないのである。

ベン・ギャザラは心の底からカサヴェテスを崇拝し、理解していた役者の1人である。他にも『シンシナティ・キッド』のジョーン・ブロンデル。そして、友情出演として、ピーター・フォークとピーター・ボグダノヴィッチが出演している。


■自分の年齢も私の芝居も受け入れられないの?


本作のテーマは、カサヴェテスが認めるレベルの女優とはこのレベルの女優ですよという事だろう。本作の中でマートル(ジーナ・ローランズ)は我侭で自分勝手に描かれているが、どうやら共演者の会話などを聞いていると、精神が不安定になる前は、開演前に冗談を言ったりして励ましてくれる人だったのである。

つまり、今回の芝居の「老い」と「孤独」について考えていたところに17歳のマートルの熱狂的ファンの女性が車で轢かれて死んだことを目撃したので、動転しているのである。そして、自分の芝居をより高みにとアルコールに溺れてしまうのである。しかし、これも女優としての真摯な態度ゆえなのである。

つまり女優ならばこれぐらいの性根で役にぶつかっていかなければいけないという。本作は、ある意味なぜカサヴェテスは常に「あなたに任せる」の演出スタイルなのか?という事に対する明確な答えなのである。

その答えは「彼らもまた一人の芸術家」だからである。本作は女優と言うものは、芸術家であり、これだけ苦悩するもののみが女優と呼ばれるべきであるという主張でもある。


■お似合いのカップル



「(ハリウッドでは)みんなが他人の顔を伺っている。そろそろ成長する時だ。そろそろ芸術を取り上げて、“さあ、ベイビー、何かを見せてくれ”と言う時だ。僕らは何かを見せている。何かを見せている監督はそんなにいない。外に出て、今のこの世界で自分達を賭けている監督はそんなにいない。というのも、誰もが恐がっているからだ。うんざりだよ。監督は、会社がすごいと言ってくれてヒットするであろう何かを、撮影現場に見に行くだけだ」
カサヴェテス

本作はカサヴェテスが150万ドルもの資金を調達し自主制作で作り上げた作品である。そして、多大な借金を背負ったと言う。しかも映画のほうはアメリカで配給会社が見つからず、結局自主配給するも反応は散々だったと言う。アメリカで本作が公開されたのはカサヴェテスの死後である1990年だった。

ちなみに本作でジーナ・ローランズはベルリン国際映画祭女優賞を受賞している。

− 2007年6月9日 −


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