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黒いオルフェ   ORFEU NEGRO / BLACK ORPHEUS(1959・フランス)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 107分

■スタッフ
監督 : マルセル・カミュ
原作 : ヴィニシウス・デ・モライス
脚本 : マルセル・カミュ / ジャック・ヴィオ
撮影 : ジャン・ブールゴワン
音楽 : アントニオ・カルロス・ジョビン / ルイス・ボンファ

■キャスト
ブレノ・メロ(オルフェ)
マルベッサ・ドーン(ユーリディス)
ルールデス・デ・オリヴェイラ(ミラ)
レア・ガルシア(セラフィナ)
アレキサンドロ・コンスタンティーノ(エルメス)
マルセル・カミュ(遺体安置所のアーネスト)
体の内側から沸き上るパッションは、50年前だろうと変わらない。映像が芸術を語れる理由は、過去の情熱をその中に記憶させることが出来る媒体だからである。わずか一日=カルナヴァルの為に貧困の中働き、その時だけリオの市街地に降り立ってくる黒い煌びやかな集団。そして、パッションの赴くままに歌い踊り、そして、翌日山に帰っていく。そんな当時の姿が画面に映し出されているからこそ、この作品を見た後に、ブラジルにもっと触れたくなるのである。

■あらすじ


市電の運転手をするオルフェ(ブレノ・メロ)は、カルナヴァルの前日リオ市内で、田舎から従姉セラフィナを尋ねてきた美少女ユーリディス(マルベッサ・ドーン)と出会う。すでにミラという婚約者のいるオルフェだが、ユーリディスに一目惚れしてしまい。それが悲劇を生み出すことになるのである。


■人類の踊りはますます退化していく・・・



リオのカルナヴァルの喧騒よりも、あの山の斜面にへばりついてる様なスラム街で、愛し合い、歌い、笑う姿に何故か感動した。19歳の時のことだった。
最高峰の映画は、ストーリーを超越するのだが、この作品はまさにその部類の作品である。この空間、音楽、息遣い、色彩が生み出す躍動と哀愁。それだけで世紀の芸術品は出来上がるのである。なぜならそこには嘘はないからだ。

1950年代の映像芸術が如何に大人のファンタジーとして成立していたかということがいやというほどこの作品でも示されている。今を生きる私だからこそ、こう言明できる。どうやら人類は退化しているようだ。
それは「感じる、考える」というものが鈍くなってきているからだろう。


■芸術だけが真の心の高揚を呼び覚ます


多くの人々が本当に踊り楽しむ姿。MTV上で歌手が踊る姿はなるほど格好良くて魅力的だが、結局のところ金のために笑顔で踊っているだけで、ただ踊るのが楽しいから踊る姿がそこには見当たらない。全ての動機の裏に金が主体となっていればそれはもう厳密に言うと芸術ではないのである。

ではこの作品の中で観られる踊りは何か?文句なしに芸術である。つまり、
芸術とは魂の欲求なのである。この作品は実際のリオのカルナヴァルの時期に撮影している作品であり、その高揚感の渦の中で、オーディションで選ばれた素人の登場人物たちが情熱を発散しているのである。だからこそこの作品が今も尚多くの人々の「心の高揚」を呼び覚ますのである。


■ブラジル音楽の素晴らしき旅



ブラジルのリオ郊外のスラム街を舞台に、ギリシャ神話「オルフェウスとエウリュディケー」の世界が繰り広げられる。現在に昔の神話を投影させる作品は、その神話の普遍性を良く理解していないと器だけ立派な陶器のようなものしか出来上がらないのだが、この作品なかなか中身もしっかりしている。

そして、ジョビンとボンファによるボサノヴァとサンバが、意外にもギリシャ神話の生み出す悲劇性にぴったりとマッチしている。特に冒頭から流れる「フェリシダージ」と、中盤の「カルナヴァルの朝」、そして、ラストを飾る「オルフェのサンバ」なぞは、19歳の時にこの作品を見て以来エスコラ・デ・サンバの輸入CDや、カエターノ・ヴェローゾ、ナラ・レオンを愛聴してきた私にとって、その源泉的な心地良い響きだった。

この作品からボサノヴァは、世界的なブームを生み出したのだが、
厳密に言うとボサノヴァは、ブラジルの中産階級=主に支配階級である白人が生み出したお気楽な音楽である。代表的なボサノヴィスト、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルト、ナラ・レオンは全て白人である。
私はボサノヴァを聴く時は、大概は人生の儚さや、ごく親近的な優しさを感じ取る。

一方、旧奴隷階級の黒人が作り出したサンバ。
普通音楽というものは作曲なり流れを前もって作り出す意図があって構築されるものだが、サンバはいわば思いのままかき鳴らすリズムの音楽なのである。これこそはブラジルの虐げられたモノたちのエネルギーであり、真のパッションなのである。そして、私はどっちの音楽もとても好きだ。サンバだけだと情熱的過ぎるので、私にとってはボサノヴァも必要不可欠なのである。


■どん底の状況だったからこそ生み出された奇蹟


この作品が撮影された時期のブラジル経済は、コーヒーの国際価格の大暴落により、一瞬にして国家経済が破綻していた。いわゆるブラジルの極貧時代である。それに伴ない混乱に乗じて共産主義が台頭し、芸術の分野においても価値観の混乱が、多くのアーティストを生み出した。そんな時期のブラジルで作られた作品がこれなのである。

世界中で絶賛されたこの作品は、作品の発表された5年後に起こった軍事クーデターに伴なう軍事独裁政権の樹立により、以降約20年間の恐怖支配の中
「ブラジルのイメージを悪くした作品」として国内では鑑賞出来ない状況にまで追いやられていったのである。こういった事情も合わせてこの作品を見てみると実に様々な感情が沸き起こってきて、味わい深さが増すものである。


■映画が伝えるその国の魅力・ブラジル篇



悲しみは果てしなく 幸せははかない 朝露の玉のように しあわせは陽と共に生まれ・・・♪
貧しい者の酔う 幸せは カルナヴァルが運んでくる 貧しい者は ひまなく働く つかの間の夢を求めて・・・♪
小さな喜びに 心は満ちる・・・♪


頭に缶をのせて裸足で家路へと歩くセラフィナの野性味溢れる後ろ姿から物語は始まる。そして、街中明日のサンバで沸き立っている中にジョビンの「フェリシダージ」が流れる。
じつにしっとりとした優しい声音が明るい映像に「哀愁という名のフィルター」を重ね合わせてくれる。

セラフィナを演じるレア・ガルシア(1933− )は恐らく劇団か何かに所属している女優だろう。芝居がそれっぽい。実際重要な部分の芝居は彼女が中心となって行っている。この人の褐色の肌、白い歯、ふくよかに揺れるお尻、さんさんと照る太陽、そして、凧・・・そして、オープニングのサンバを伴奏に流れるボサノヴァの音楽から、一瞬にして1950年代のブラジルにタイムスリップする。


■オルフェとユーリディス



そして、ユーリディスが登場する。褐色のどこか危うさを抱えた美女であり、常になにかに怯えている。そして、女ったらしな市電の運転手であるオルフェの登場。女性は処女性を秘めているのだが、男性は全くの遊び人という設定が、この物語に一抹の陳腐さを匂わせているのだが、神話と照らし合わせて見てみると、この心理の変化の行程を、素人に演じさせるのは不可能だろう。

このユーリディスを演じたマルベッサ・ドーン(1934− )は実際はブラジル人ではなく、パリで演劇の勉強をしていた時にカミュにスカウトされた人である。彼女はアメリカのピッツバーグ生まれで両親はアメリカ人とフィリピン人である。彼女はポルトガル語は話せないが、フランス語が話せるので監督とのコミュニケーションには困らなかったという。

一方、オルフェを演じたブレノ・メロ(1931− )は、地元のプロのサッカー選手だった。その片鱗はリフティング・シーンで見ることが出来る。


■やっぱりミラが「太陽の女神」だ!



何よりもこの作品で輝いていた女。オルフェの婚約者ミラ(ルールデス・デ・オリヴェイラ、1938− )がとても美しい。この男性の眼差しの中で踊る姿は、オルフェが「太陽の王子」ならば、彼女こそ「太陽の女神」に相応しいと納得させられる。この人の美の説得力があったからこそこの作品は、そのユーリディスとの見事な対比によって、フランス人にも受け入れやすいものになったのだろう。

最後には、ミラの投げた石がオルフェの頭に当たり、墜落死を引き起こし、オルフェを殺してしまうのだが、その結果、オルフェとユーリディスを永遠に結び付けてしまうことにもなるのである。しかもミラは「太陽の女神」から嫉妬により殺人者に堕ちてしまうのである。この皮肉。
まさにミラこそが太陽であり、彼女がオルフェを生み出し、オルフェを滅ぼしたのである。

この二つの太陽は、あまりにも明るすぎた。だからこそ人間界では生きていけないのかもしれない。


■セックスの源流は踊りである



私のギターから生まれる声が 悲しげにあなたの愛を求める〜♪


子供2人を前にしてボロ家の中でオルフェが歌う歌「カルヴァナルの朝」。隣の家で、そのメロディーを聞きつけサンバとはまた違ったバレエのような舞をするユーリディス。実に美しい瞬間である。「2人を結びつけたのは音楽」。「2人を結びつけたのは携帯電話」より遥かにロマンティックではないか?

そして、2人で踊っているうちにお互いに一つになっていくのである。セックスの源流は踊りである。セックスは踊りの先にあるものであり、情熱亡きものには、セックスは存在せず、そこにはただの快楽を貪り合う惨めな醜態のみが存在するのである。

愛を知った二人の皮肉。死神に殺されるのではなくユーリディスは、オルフェが知らぬ間に彼の手により死んでしまう。そして、それを知ることもなくオルフェも、嫉妬に狂ったミラの投石によって死んでしまうのである。二人は重なるように死ぬ。

ちなみにこの死神を演じたアデミール・ダ・シルヴァ(1927−2001)は、1952年と1956年のオリンピック大会・三段跳びで金メダルを取っている当時の国民的英雄である。


■カルナヴァルの朝と次の朝


この作品が現在に生きる人々に突きつけているその問いかけ。なぜか複雑に人生を解釈し、神の不在を叫び、いつの間にか蜘蛛の巣=精神病に絡め取られていることが繊細さの証明であり、被害者意識満々の複雑怪奇人種たちに。

その問いかけとは、
人生には「生と死」「太陽と闇」といった単純な要素から構成されており、「愛も単純」で良いはずなんじゃないか?である。

複雑に生きることが、我々の心の中に何を生み出しているか?自分自身で自分に鎖を繋いでいやしないか?そして、そろそろ鎖を解き放ってこう考えてもよいのではないか?
「複雑さを誇るよりも、単純さを受け入れよう」と。もっと究極的な言うならばこうである「あなたは人生を複雑に疑って考え、それで安らいでいますか?」


■こいつらの貧困は輝いている!



貧しくともさんさんと輝く太陽と草花の香りがあるじゃないか!

心療内科なぞ存在せずとも、彼らは「神」に対する信仰と「音楽」によって十分人生の苦しみから瞬時に逃れるすべを知っていた。
消費社会の発展とは、取りも直さず欲望マシーンの暴走を促すものであり、人間の欲望が解き放たれた時、「多く持つものは一つでも失うことの恐怖に苛まれる」=「喪失感を恐れ、それを回避するためなら何でもする」人間が増えてきた。

そして、世の中は「ひねくれ者」と「斜に構えた者」を中心とした、「金のみが価値基準さ」と心の底では思いつめている「果てしなき欲望を満たすために、心の存在を忘れた」人々がさ迷い歩く「共感よりも孤独」のフィールドへと変貌しつつある。今の貧困は、心の貧困から生み出されており、それ故にその「貧困はどす黒く陰鬱なのである」。



■ギターを弾いて、太陽を昇らせるんだ!



カルナヴァルは終わり、紙くずは路上に散らばり、人々は山へと帰っていくが・・・・・・そして、オルフェも死ぬが、太陽は昇り、新たなオルフェ(新たなミラも・・・)が誕生し
「愛と詩の吟遊詩人」は継承されていく。そして、彼らはサンバを踊る。そう踊りこそが神から与えられた恵みなのだから。

だからこそこの3人の年端もいかない子供の踊りが素晴らしいのである。プロのバレリーナが何十年も到達しようと鍛錬してきた境地が実はここにあるのかもしれない。
芸術とは常に富める者と富めない者の戦いだった。そして、たいがいは富めないものが勝ってしまう。それは失うものがない=「喪失感に惑わされない」ことと、情熱を傾けられる程に現実の居心地が良くはない点によるものである。

試しにプロのバレリーナの方。この作品を見てください。あなたの踊りの本質がさらに磨かれるか、喪失感を感じるかどちらかのはずです。
踊りとは「神の恵み」技能の巧みさではなく、ただ神に対する感謝を踊りで体現し、自分自身の心の高揚に転化する行為。この次元に到達できるバレリーナはほとんどいないはず。

しかし、この画面の3人の踊りには、それがある。中盤のサンバの熱狂的な踊りよりも、私はこの3人の踊りのほうに感動してしまった。この3人は「踊り」に同化して今にも魂が昇華していきそうだった。ルイス・ボンファによる「オルフェのサンバ」が素晴らしいのではなく、この曲に関してだけはこの3人の踊りが素晴らしかったのだ。

そして、この出色の「終わりの始まり」であるラスト・ダンスによって一つの芸術は締めくくられる。多くの余韻を残して、見ている我々の魂をも昇華させかけないパワーを発散し尽くして・・・

本作は1959年アカデミー賞外国語映画賞と同年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いた。

− 2007年8月26日 −


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