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おしゃれ泥棒 HOW TO STEAL A MILLION(1966・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: コメディ ■収録時間: 126分 ■スタッフ 監督 : ウィリアム・ワイラー 製作 : フレッド・コールマー 原作 : ジョージ・ブラッドショウ 脚本 : ハリー・カーニッツ 撮影 : チャールズ・ラング 音楽 : ジョン・ウィリアムズ ■キャスト オードリー・ヘプバーン(ニコル・ボネ) ピーター・オトゥール(シモン・デルモット) イーライ・ウォラック(リーランド) ヒュー・グリフィス(シャルル・ボネ) シャルル・ボワイエ(ド・ソルネ) |
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■あらすじ 贋作画家である父が博物館に貸し出しているヴィーナス像。実はこれも贋作なのだが、そのヴィーナス像が鑑定を受けることに・・・娘のニコル・ボネ(オードリー・ヘプバーン)は、美術品泥棒のシモン(ピーター・オトゥール)の協力のもと厳重な美術館からヴィーナス像を盗み出すことにした! ■オードリー・ルネッサンス ![]() 「私はマーゴット・フォンテーンになりたかった。それから、バレエの振り付けもやりたかった」 本作はオードリー・ルネッサンスの作品である。そして、オードリーはやはり美しい。この時のオードリーと同じ年齢の時にジュリア・ロバーツが出演した『オーシャンズ12』(2004)を見ても思うのだが、やはり女性は30代後半からその人の本当の魅力が出ると言うもの。ジュリアは目だけがギョロギョロしていてここ最近は魅力が感じられないが、オードリーはこの頃も実に魅力的である。 そして、ファッションに関しても、ジュリアよりも遥かにオシャレである。昨今のハリウッド映画の女優が意外にも忘れかけているのが、年相応の「エレガンス」なのである。誰も10代、20代前半の御曹司・令嬢の「エセ・エレガンス」なぞ見たくないのである。 ■ジヴァンシー・カルティエ・アレクサンドル ![]() オードリーの魅力を引き立てる三つの要素。一つ目はもちろんジヴァンシーである。ユベール・ド・ジヴァンシーとオードリーの出会いは、1953年の夏ジヴァンシーが『麗しのサブリナ』の衣装を担当することになってからである。最初のジヴァンシーのオードリーの印象は「目がとても綺麗だが、か弱くて痩せぎすで・・・」と若干失望の混じったものだったと言う。 「女性はたんにドレスを身につけるだけではない、ドレスのなかで生きるのだ」ジヴァンシー そんなジヴァンシーが本作のために全面協力している。次にカルティエのアクセサリーである。ファッションには誰よりも厳しいことで有名なオードリーは、全ての衣装、アクセサリーを自分でチョイスする人で、彼女のファッション概念は「自分自身のスタイルを見つけ出し、守り通すこと」であり、「エレガンスを拒絶すること」だった。 ここがよく勘違いされるところなのだが、オードリーはエレガンスに何でも着こなす人と思われがちなのだが、そうではない。オードリーは実にファッションに慎重な人なのである。そして、彼女は宝石類を身につけることを、ワンポイントでつける以外極力避ける人だった。 そして、三つ目のアイテムが、パリのアレクサンドルによる新しいヘアスタイルである。本作でオードリーがしているヘアスタイルはクープ・アンファン66と呼ぶ。『ヴォーグ』によるとこのヘアスタイルは大変な技巧を要し、まず髪をざっとカットし、つぎにかみそりで根元方向から毛先へ向けてうすくそぎ、最後にはさみで斜めにカットして形を整えるという。 ■黒いドレスが最も似合うオードリー ![]() 本作を見てもよくわかるが、オードリーのジヴァンシーの着こなしは実に見事である。「オードリーがジヴァンシーを着たのであって、ジヴァンシーがオードリーを着たのではなかった」彼女は衣装にサングラスやスカーフや風変わりな帽子という見事なアクセントを組み合わせる天才である。本作においても他の作品においても衣装合わせにオードリーはかなり時間をかける人であった。 黒のヴェールのようなマスクに全身黒ずくめのドレス姿に、カルティエのイヤリングと片方だけ白の手袋というシンプルかつその組み合わせは、今でも十分羨望の眼差しを受けるに値するファッションである。 ■ゴージャスに対してのオードリーの最後のご挨拶 ![]() 本作はオードリーの魅力を最大限に表現するために作られた作品であり、ゴージャスに対してオードリーが最後のご挨拶をした作品である。そして、その付添い人の役割をしたのが『アラビアのロレンス』(1962)のピーター・オトゥールである。 コメディ映画もそれなりに得意としていたオトゥールがなかなかいい大人の魅力を発散している。特にヴィーナス像を見事盗み出した後に「私、泥棒したの初めてよ」と言ったオードリーに対して、「僕も」だよというオトゥールの表情は最高である。ちなみに脇を固めるヴィーナス像に首ったけの美術品収集家の大富豪をイーライ・ウォラック。オードリーの父親であり、贋作の画家にはヒュー・グリフィスが配されていて2人ともオードリーを引き立たせるコメディ・センスあふれる芝居でバックアップしている。 元々本作の大富豪の役はジョージ・C・スコットでキャスティングされていたが、撮影初日にジョージが遅刻したために、ワイラーが解雇したという。 しかし、シャルル・ボワイエ(1899−1978)だけは、すさまじく老けていて昔の面影がなかった。この人は若い頃はすごくハンサムな大スターであったが、本作の12年後に妻の死後2日目に後追い自殺した。1934年に結婚した妻を非常に愛していた人で、それゆえの自殺だった。 ■オードリーをバックアップする更におしゃれな三つの要素 ![]() まずはパリのおしゃれでゴージャスな街並みと豪華な美術館とオードリーの住む屋敷の装飾品である。そして、次に2つのおしゃれな車の存在である。赤のアウトビアンキ(イタリア)のカブリオレで女性が乗るのに相応しい全長3メートルの500CCの可愛い車である。この車に乗る冒頭のオードリーの、乗馬帽のような白の帽子に白のサングラスに白ずくめの衣装が素晴らしく魅力的でかわいい。 そして、もう一台シモンが乗っているジャガーのEタイプのロードスター。これは相当なエレガントな車でイエローグリーンが目立ちすぎるほど目立つ。3つ目の要素は、ジョン・ウィリアムズによる魅惑のスコアの数々である。テーマ曲は勿論、ヴィーナス像を盗んだ後に流れる有名な挿入曲も実に素晴らしい。 当初は『ティファニーで朝食を』(1961)のヘンリー・マンシーニに音楽を依頼したが、多忙のため彼に師事していたジョン・ウィリアムズを紹介したという。たしかにマンシーニ調の影響を受けているスコア満載である。 ■ネグリジェに長靴姿で、ジャガーに乗ってリッツへGO! ![]() オードリーのネグリジェ姿が実に艶めかしい。このネグリジェにはスリットが入っているので、動くたびにオトゥールの目線もちらちら太ももにいってしまうのである。さらに長靴を組み合わせてジャガーを運転するオードリー。37歳の女性が小学生のような格好をすることがいかに男心をくすぐるか知り尽くしているところが憎い所である。 ちなみに脚線美指数全開でベッドの上でオードリーが読みふけってる本は「ヒッチコック」の本である。 ■これでジヴァンシーも休める ![]() 肝心のヴィーナス像を盗むシークエンスは、同時代のゴージャスに美術品を盗み取る映画の最高峰『トプカピ』(1964)のように盗みがメインじゃない作品にしては、良くできたひねり過ぎていないトリックで楽しめる。こういう映画で手の込んだ現実味溢れるトリックは映画自体を台無しにしてしまうのである。 そもそも2人で博物館から美術品を盗み出すこと自体が不可能なのだから。美術館の小部屋に閉じ込められた二人が磁石を使って鍵を手に入れたり、ブーメランを使用してヴィーナス像を盗む方法で十分見事である。本作はオードリーの映画であって、美術品強奪映画ではないのである。何でも詰め込むよりも作品のコンセプトに忠実であるワイラーはさすが名監督である。 ちなみに盗みの過程でオードリーが掃除婦の変装をさせられるのだが、その時にオトゥールが言うセリフがよい。「これでジヴァンシーも少しは休める」 ■オードリーのアイラインがすごく良い ![]() 本作のオードリーのメイクが実に魅力的である。このアイラインの質感でも全く違和感を感じさせない所なんかはオードリーの映画だからこそこの濃さも許されるのである。ちなみに私の女友達で容姿端麗なショーダンサーの女性が仕事帰りに、私と東京から大阪に高速で帰る途中に仕事のメイクのままSAに立ち寄った時、やはり周りの人たちは違和感を感じ彼女を見つめていた。 ![]() 現実このオードリーのメイクをどんな容姿端麗な女性がしたとしても周囲の関心を集めてしまうことは避けられないのではあるが、それは、1つのメイクにおける個性の証明とも言えるのではないだろうか?メイクの薄さ濃さを流行に合わせてるほうが馬鹿げている。実際彼女の濃いアイラインは彼女の顔の造形とヘアスタイルに見事にマッチさせているのである。 ■オードリーとワイラーの融合 ![]() 何よりも本作がオードリーの魅力で溢れていた最大の理由は、『ローマの休日』でスクリーンの妖精・オードリーを生み出したウィリアム・ワイラーが監督をした事からだろう。やはりワイラーはオードリーの魅力を知り尽くしているのである。歴史大作やミュージカルなんかよりも、女性にとって永遠の憧れの姿であるオードリーを見てみたいものなのだということを。 そして、最後のオードリーのセリフも『ローマの休日』で印象深かったセリフ「サンキュー」を同じ口調で言わせて締めくくるのである。 原題は『100万ドルを盗む方法』である。『おしゃれ泥棒』という日本語にはなっていない題名をつけた人は実に素晴らしいセンスの持ち主だと思う。この柔軟さが人生には必要なのである。現代社会はつとに何を見るにしても覚めた目線で、物事を捉える姿勢の人が増えているが、そういう生き方が魅力的とは到底思えない。 本作のような現実からかけ離れたエレガンスな世界を無邪気に楽しめる心の余裕を持てる男性であり続けたい。現代人が一番失いつつあるものは無邪気さではないだろうか? − 2007年6月5日 − |
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