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ポセイドン・アドベンチャー THE POSEIDON ADVENTURE(1972・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: パニック ■収録時間: 117分 ■スタッフ 監督 : ロナルド・ニーム 製作 : アーウィン・アレン 原作 : ポール・ギャリコ 脚本 : スターリング・シリファント / ウェンデル・メイズ 撮影 : ハロルド・E・スタイン 音楽 : ジョン・ウィリアムズ ■キャスト ジーン・ハックマン(スコット牧師) アーネスト・ボーグナイン(ロゴ警部補) レッド・バトンズ(ジェームス・マーチン) ステラ・スティーヴンス(リンダ・ロゴ) シェリー・ウィンタース(ベル・ローゼン) |
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■あらすじ 新年を迎えた瞬間に、ニューヨークからアテネに向けて航海中の豪華客船ポセイドン号が27mの大波の直撃を受け転覆する。逆さまになった客船のなかでスコット牧師(ジーン・ハックマン)、ロゴ警部補(アーネスト・ボーグナイン)、マーチン(レッド・バトンズ)、ベル夫人(シェリー・ウィンタース)達の生存を欠けた脱出劇が開始される。刻一刻と浸水していく客船の中をひたすら地上を求めて進んでいく・・・ ■現代社会とは転覆したポセイドン号かもしれない・・・ ある日突然あなたの住む世界は逆さまになりました。そして、一つだけ確かだと思われることは、何としてでも上に登っていく事です。上に登っていくにあたり、誰かを押しのける必要なんかありません。そして、実際のところ上に登っても何かいいことがあるかは確かじゃないのです。 ただ一つだけいえることはずっと下にいるとあなたは流されていくのです。流される先には、もはや自分らしさのかけらもない世界が待ち構えています。全ての価値観が見直されたこの逆さまになった世界において、あなたは自分の価値観を養っていかなければならなくなりました。 途中で運悪く命を落とすかもしれません。しかし、上に登っていかないと確実に栄光はつかめないのです。その栄光がなにか?と考える前に流されることを否定し、ただひたすら上に登って行ってください。答えは見つかるはずです。 そうこの作品は人生に対する一つの姿勢を描いた作品である。確実なる死に向って「安易な希望」を抱いて他に追随するのか?厳しい現実に反抗してでも、自身の安住の地を見つけ出すのか?常識的だといわれていることに対する反抗には常にリスクが付き纏い、労力を必要とするものなのである。 ■運命を切り開く象徴としての三人 本作においてのキーパーソンは、ジーン・ハックマン扮するスコット牧師と、レッド・バトンズ扮するマーチン、そして、エリック・シェア扮するシェルビー少年である。この3人は実に巧妙に老年、中年、少年という具合に分離されているのであるが、それ以上にこの3人がいわゆる運命を切り開く三位一体を象徴しているのである。 牧師は『強い信念』を、マーチンは『冷静な判断』を、少年は『大胆な知性(情報力)』を象徴しているのである。この三つのうちどれかを持ち合わせているものが、人生において、運命を切り開く可能性を持ち合わせているということを本作は示しているのである。 そう考えればアーネスト・ボーグナイン扮するロゴ警部補は、運命に対して興味のない皮肉屋=極めて人間らしい人の代表なのである。そして、シェリー・ウィンタース扮する老婦人ベルは、最初は運命に対して諦めの境地で受け入れる姿勢しか示さなかった女性が、自らの能力に相応しい能力を発揮し、運命を切り開いていく覚醒した人の象徴なのである。 さらにシェルビー少年の姉スーザンは、文句ばかり言う生存者の中で、一人奮闘するもなかなか脱出経路が見いだせず、すっかり落ち込んでいたスコット牧師に勇気を与える「聖女=母性」のような役割であり、ノニーは人間の弱さの象徴である。 こういったおのおのが象徴する役割の中物語が進行しているので、パニック映画としても見事に輝いているのである。つまり昨今のパニック映画のつまらなさや味気なさの原因は、登場人物それぞれが象徴する役割の味付けが全くなされていない点によるものなのである。 ■レッド・バトンズの存在感 本作において実に重要な役割を担っているのが、マーティン=レッド・バトンズ(1919−2006)である。映画の冒頭でマーティンが、周りの目を気にせずマイペースにウォーキングしている姿が映し出されるが、これこそこの人物の特徴を描き出している。人の目を気にせずに自分が正しいと思うことに固執できる人。 そんな彼だからこそ、水が押し寄せてくる中、堪えず一番後ろという恐ろしくも心細い道を歩いてくれたのである。「堪えず後ろにいてくれる」彼こそが、他の生存者の精神的支えであり、牧師が思う存分行動できたのも彼の存在があったからである。前を歩くよりも後ろを歩く方が心細いものである。 「最初は絶望的にもなる。でも時がたてば新しい生活を見つけられる。好きな人だってきっと見つかるよ」と彼がノニーを慰める姿が、実に温かい。孤独の中で生きてきた人だからこそ、温かい言葉をかけてあげる優しさを持っているのだろう。 元々はマーティン役をジーン・ワイルダーが演じる予定だったというが、レッド・バトンズの存在感には敵わなかっただろう。本当にこの役者は素晴らしい役者である。古くはオスカーを受賞した『サヨナラ』(1957)、ジョン・ウェインとのコンビが最高の『ハタリ!』(1961)、一人で並居る名優を押しのけて目立った『史上最大の作戦』(1962)と、彼の温かい存在感は、一種独特である。 ■ジーン・ハックマンの魅力 もちろん言うまでもなく素晴らしいのがスコット牧師=ジーン・ハックマン(1930− )である。この前年の『フレンチ・コネクション』のポパイ刑事でタフネスを画面狭しと見せ付けたハックマンだが、今回はある意味人間味溢れる牧師を見事に演じあげていた。この役柄をタフさだけを際立たせずに見事に演じあげている所なぞはさすがである。 俳優として売れるまでに相当苦労していたハックマンだからこそ、こういうどちらかという異端的な牧師を演じても違和感がない現実感を生み出せるのだろう。やはり苦労していない役者の芝居と言うものはたかがしれているというものである。非情な言い方をするならば下積みの長さこそが役者の味わいにつながるのだろう。それは何百回も感じた挫折感、自信の喪失、貧乏、社会から取り残されている恐れを経験しているというとてつもない価値においてである。 特にスコット牧師の吐くセリフの数々が記憶に残る。 「上に上がれば何があるというの」と尋ねるローゼン夫人に「命があります。人間一番大切なのは命でしょう?」と答えるスコット牧師 「人数が多ければ正しいのか?」 「神に助けてくれとは言わない!だから、邪魔だけはするな!何人いけにえが欲しいのだ!」 特にスコット牧師の最後の死に様は、物語的にも主役が死ぬというショッキングな展開であると同時に、どうか死ぬな!と画面に叫ぶくらいに感動的なのである。 スコット牧師の神に対する問いかけは、自分を奮い立たせ、より高みに登らせていく力の源でもあるのである。そう、この牧師の魅力的な所は、神との対話のみで行動を起こさない人ではなく、神と対話することにより、実際行動している点なのである。全ての宗教は活動的でなければ意味がないと彼は言明しているのである。 ■魅力的な助演者たち 本作において非常に重要な役割を演じているシェルビー少年=エリック・シェア(1960− )の自然な芝居もまた素晴らしい。日本の場合は、1960年代に入ってから、演出する監督の能力低下に比例して、すごく大げさな反応をする(昔の吉岡秀隆少年を除く)子役ばかりが溢れ替えることになるのだが、そろそろこういう子役の演出を見習うべきだろう。 そして、忘れてはいけないのが、ローゼン夫人=シェリー・ウィンタース(1920−2006)の心打つ名演である。元々ローゼン夫人役は『水着の女王』エスター・ウィリアムズにオファーされたものだったのだが、シェリー・ウィンタースはこの役柄のために16kg体重を増やしたという。そして、水中シーンのために、オリンピック全米代表の水泳コーチからトレーニングを受けたという。 「今まで足手まといだった私も、みんなのお役に立ちたいの」と言えるだけの器量ある芝居を過去の栄光にしがみついて生きているエスター・ウィリアムズに望むのも無理な話だろう。シェリー・ウィンタースはさすがにデ・ニーロを始め尊敬を集めている女優だけあり、かなり難しいこの役柄を見事に演じあげた。 このおばさんの役柄は世界中の中年女性に多くの勇気を与えたことだろう。そして、ローゼン夫人を演じたシェリー・ウィンタースは他のどの共演女優よりも魅力的に輝いていた。本当に素晴らしい女優である。 他に彼女の夫役で、1968年にアカデミー助演男優賞を受賞したばかりのジャック・アルバートソン(1907−1981)、片足を怪我するパーサー役でロディ・マクドウォール(1928−1998)、スコット牧師と対照的に船底に残ることになるジョン神父役で名優アーサー・オコンネル(1908−1981)が演じている。 さらにコメディに目覚める前のレスリー・ニールセン(1926− )がポセイドン号の船長役で出演している。この頃のニールセンは、マイケル・ケインのような紳士で女ったらしな雰囲気たっぷりだが、船でゆらゆらしているシーンの表情を見ていると、不思議になんとなく笑えてくる。 そして、看護婦役でシーラ・マシューズ(1929− )が出演している。後に彼女はアーウィン・アレンと結婚し、2006年のリメイク作『ポセイドン』では製作総指揮を務めている。ちなみにアーウィン・アレンは、ほとんどのシーンを役者自身に演じさせたという。多くの役者は「このシーンは危険すぎるよ」などと苦情を言ったらしいが、アーウィンは請合わなかったという。 ■美しい脚を剥き出しにした3人の美女たち ロゴ警部補の妻であり元娼婦のリンダを演じるのは、元々プレイメイトで、『底抜け大学教授』(1962)『砂漠の流れ者』(1970)に主演しているステラ・ステーヴンス(1936− )である。元々この役柄は『M★A★S★H』(1970)『リトル・ロマンス』(1982)のサリー・ケラーマン(1936− )にオファーされていた。 少年の17歳の姉スーザンを演じるパメラ・スー・マーティン(1953− )は、のちに『ダイナスティー』(1981−1989)に出演しテレビ・スターとして活躍した。 本作で一番人気のない役柄ノニーを演じたキャロル・リンレイ(1942− )は、映画の中ではレッド・バトンズといいコンビなのだが、実際撮影中は、お互いが嫌悪しあっており、全く口を利かなかったという。尚、当時のリンレイはドラッグ中毒だったという。元々はノニー役は「恋するダウンタウン」で有名な歌手ペトゥラ・クラーク(1932− )が演じる予定だったという。 165cmのステラのパンティ姿、173cmのパメラのホットパンツ姿、165cmのキャロルのホットパンツにブーツ姿とナイス・ボディな3人だけあって、演技力よりも華を添える存在として見事に輝いている。しかし、この3人が束になってもシェリーの魅力には敵わなかった。 ■今見ても迫力満点の特撮 本作が実際に船の中にいるような錯覚を観ている側に覚えさせるのは、堪えず微妙に揺れているカメラワークによる効果なのだが、鑑賞一回目には全く気づかないほどに、微妙な揺れを見事に表現している。このカメラワークがなければそもそも船内の物語という概念すら成り立たなかっただろう。この概念をしっかりと成り立たせた上で、初めてパニック映画の特撮も効果を発揮しえたのである。 転覆する瞬間の特撮の迫力も凄まじいが、特に転覆した後の一瞬の静寂が素晴らしい。そして、逆さまになった船内を表現した見事なセットには今見ても驚かされるばかりである。このセットは、1936年〜1967年まで大西洋航路を巡航していた豪華客船クイーン・メリー号の内部構造をそのまま参考にして作ったという。 そして、逆さまの船の中に水が流れ込んでくる描写が凄まじく、刻一刻と逃げるスコット一行に、水が迫り来る映像の説得力も素晴らしい。また最後のハックマンが死ぬあのセットなどは作り物とは思えないほど臨場感溢れるセットだった。 ■ブルース・リーのダチ・シリファント君 本作においてローゼン夫人がスコット牧師を助けるシーンは、本作において最も感動的なシーンであるが、元々は脚本ではローゼン夫人が最初に水の中を泳ぎ、水中で鉄片の下敷きになり身動き取れないところをスコットに助けられ、死んでいくというシーンだった。しかし、ジーン・ハックマンが、「スコットだったら、女性を先に危険な目に合わす様なことはしないはずだ」と主張したので、シェリーと相談した上で、本来のシーンになったという。 本作はブルース・リーのダチ・スターリング・シリファント君の脚本が冴えにさえ渡っている。この男の見事な脚本があったからこそ、監督のドナルド・ニーム(1911− )という『ミス・ブロディの青春』(1968)などの傑作は作り上げているが、大作を作り上げた経験のない監督が、見事な演出を行うことが出来たのだろう。そういった意味においては大作こそ脚本家の力で、作品の良し悪しが左右されてしまうものなのである。 ■パニック映画ブームを作り出した作品 本作でアカデミー賞を受賞した主題歌『モーニング・アフター』は、リンレイ自身が歌っていない。(リンレイは実際に作中歌っていたのだが、使用されなかった)作中に流れている歌声はレネー・アーマンドの吹き替えによるものである。しかし、レコードなどで発売されたのは、モーリン・マクガバンによるものである。 本作は1969年に書かれたポール・ギャリコの同名の小説を原作に500万ドルの予算で製作され、8450万ドルの興行収入を稼ぎ出した。さらに1972年アカデミー歌曲賞(「モーニング・アフター」)と特別業績賞(視覚効果)を受賞し、助演女優賞=シェリー・ウィンタース、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、 衣裳デザイン賞 、音響賞、編集賞にノミネートされた。さらに1972年ゴールデン・グローブ助演女優賞=シェリー・ウィンタースを受賞している。 − 2007年7月5日 − |
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