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赤い靴   THE RED SHOES(1948・イギリス)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 133分

■スタッフ
監督 : マイケル・パウエル / エメリック・プレスバーガー
製作 : マイケル・パウエル
脚本 : マイケル・パウエル / エメリック・プレスバーガー
撮影 : ジャック・カーディフ
音楽 : ブライアン・イースデイル

■キャスト
モイラ・シアラー(ヴィクトリア・ペイジ)
アントン・ウォルブルック(ボリス・レルモントフ)
マリウス・ゴーリング(ジュリアン・クラスター)
レオニード・マシーン(グリスチャ・リュボフ)
ロバート・ヘルプマン(イワン・ボレスラフスキー)
「一度履けば死ぬまで踊り続けなければならないという魔力を秘めた赤い靴」このアンデルセンの陰鬱な童話を創作バレエにした素晴らしさをただただ堪能せよ。芸術には二つの体系があり、拡散型の芸術であるバレエを、集約型の芸術である映画がどう融合させていったか?この作品は20世紀の一つの芸術的偉業である。

■あらすじ


世界に冠たるバレエ団・レルモントフ・バレエのボス・レルモントフ(アントン・ウォルブルック)は、1人の赤毛の少女のバレエの才能に芸術の原石を見る。そして、アンデルセンの『赤い靴』をバレエ風にアレンジしたオリジナル創作バレエでその少女ヴィクトリア・ペイジ(モイラ・シアラー)がバレエを舞うことになる。


■バレエという映画とは決して相容れない芸術空間



バレエという芸術の一つの形は、舞台の上で奏でられることを望む芸術形式であり、映像に封じ込められることを好まない媒体とされている。つまり、簡単に言うと、映像を通してバレエを見ると大したことがなくなるので、実際に見てくれという媒体であり、バレエは、劇場という舞台設定なくしては、観客の心に感化してこないものなのである。

その点においてはバレエは歌舞伎・オペラなどの芸術に非常に共通している。全ての過程を通しで演じる芸術体系をとっている。つまるところ絵画や小説は映画の芸術体系である。「構築そして集約型の芸術」であることに対し、バレエ、オペラ、歌舞伎はクラシック音楽の芸術体系である。「構築そして拡散型の芸術」なのである。

この事実がバレエを映像に残すことに拒否反応をしめさせる最もな要因なのである。そんな眼前たる芸術的事実を打ち破ろうとした映画が本作である。童話の世界観と、現実のドラマと、バレエの幻想世界をミュージカル的手段によって融合させてみたのである。



■「どんな魔術師も空の帽子からウサギは出せない」



まずはこのレルモントフという名前からして1人の偉大なるロシアの小説家レールモントフ(1814−1841)を連想させる。『現代の英雄』を記した作家である。この名前の響きからしてカリスマ性を秘めている。そして、彼の登場シーンの見事さ、劇場のカーテンの脇に隠れるようにして座っているのである。

さらに物腰がいやみを優に突き抜けて魅力的である。もう全ての彼の造詣が一つの芸術の具現化を行っている人に値するエレガンスが漂っている。こういう存在感を出せる役者はそうざらにはいない。このレルモントフを演じるはアントン・ウォルブルック(1900−1969)であり、彼はオーストリア生まれの英国の俳優で、代表作はオリジナルの『ガス燈』(1940)『老兵は死なず』(1943)『歴史は女で作られる』(1956)である。

ちなみに彼自身も同性愛者であり、モイラ曰く撮影中は1人でいることを好んでいたという。私が一番気に入っているレルモントフのセリフは
「愛など若さの幻想だ」である。一番気に入っている仕草は、バレリーナの足首の彫像をフェティズムたっぷりになで廻す仕草である。


■モイラ・シアラーの名誉



彼女はこの映画のプリマドンナとなった瞬間、一つの劇団のプリマドンナではなく、映画という時間を越えた永遠のプリマドンナとして名を残すことになった。
一部の見識者は、彼女のバレエ技法が未熟だという意見を述べているが、本来のバレエではなく、カット、スタート、カットの繰り返しの中でバレエを表現しているという特異な状況とさらには観客不在の撮影機材の前で踊らされれば、アンナ・パブロワもマイヤ・プリセツカヤでさえも本来の魅力の半分も出せないだろう。

その特異な状況を加味せずにモイラ・シアラー(1926−2006)はプリマドンナとしては、ロイヤル・バレエ団(世界の三大バレエ団)の先輩プリマドンナ・マーゴット・フォンテーン(1919−1991)には結局追いつけなかったと言われているが、ただ単純に、1950年から始まる結婚生活の順調さと、さらに4人の子供を抱えていればどんな天才バレリーナでも両立は不可能だと考えた上での1953年の引退ではないだろうか?

本作の中盤で舞う『白鳥の湖』のモイラ・シアラーはとても素晴らしい。

モイラ・シアラーは元々スコットランド出身で、6歳からバレエを習ったという。アンナ・パブロワの教師ニコラス・レガットに指導を受ける。42年にのちのロイヤル・バレエに入団した。本作の出演になかなか踏ん切りがつかなかったという。


■幻想的で美しすぎる『赤い靴』の舞い


なによりもモイラ・シアラーをはじめ、ディアギレフが寵愛したバレエダンサー・レオニード・マシーン(1896−1979)とロイヤル・バレエ団のプリンシパル・ロバート・ヘルプマンの競演によるバレエとミュージカルと絵画の融合が素晴らしい。この美しい映像に最後にかけられたスパイスは、テクニカラーの独特の色調である。

昨今の映像の精密度が、芸術的素養の開花の明確な妨げになっていることを証明するかのように、モイラ・シアラーは赤い靴を履いてひたすら舞う。そして、本当に跳び舞う・・・ワイヤー・ワークもこのレベルのバレエ・ダンサーがつけるとかなりの美しさである。スローモーションも活用されながら、この17分にまで及ぶバレエ・シーンは、もはやバレエではない領域(バレエを超越したわけではないが)へと我々をいざなってくれるのである。

この幻想世界は、まさに1940年代〜1950年代のMGMミュージカルやディズニーのような心地良い幻想感をかもし出しながらも、明確にそれ以上の空間なのである。モイラも素晴らしいが伝説のレオニード・マシーンの飄々とした舞いが素晴らしく、
モイラが履けるように赤い靴を置いて、モイラがすぽっと履いてから踊りだすくだりはまさに赤い靴によって少女が踊り始めたという表現が納得のいく見事な振り付けである。

モイラ・シアラーの足に赤い靴が収まったこの瞬間から映画史におけるバレエの融合は始まったのである。



■自国の芸術を誇りに思い映像化する素晴らしさ


本作は自国では全くヒットせず、後にニューヨークの劇場で長期ロングランを飛ばし、逆輸入される形で世界的大ヒット作になり、1950年初公開において、東京・有楽座には、56日間の限定公開に33万人を動員し、空前のバレエ・ブームが興り、赤い靴が売れまくったという当時社会現象にまでなった作品だが、その製作にいたる過程の中で英国の芸術の誇りを世界に発表しようという姿勢があった。

こういった崇高なる姿勢は得てして独りよがりに終わりがちなものだが、本作においては製作陣及び出演者の懸命な熱意により大いなる成功を勝ち取り続けている。特に本作でアカデミー賞を受賞したブライアン・イースデイルのオリジナルの創作バレエ曲とバレエ・リュスのロンドン公演ではかならず指揮を執っていたトマス・ビーチャムが指揮するロンドン・フィルの名演が良い意味での相乗効果を生み出してる。



レルモントフのモデルは、セルゲイ・ディアギレフ(1872−1929)


ディアギレフは元々がかなり裕福な軍人一族の息子であり、チャイコフスキーとは遠縁である。作曲と歌唱を学ぶも挫折し、元々は絵画の展示会をパリで開いていいた人で、それによって培ったフランス文化人の人脈を生かし1907年パリでリムスキー=コルサコフやスクリャービン、ラフマニノフの演奏会を行う。さらに1908年にはフョードル・シャリアピンを主役に、ムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』の上演をパリ・オペラ座で実現させ大成功させた。

1909年バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を旗揚げする。このバレエ団には、バレエ界の至宝アンナ・パヴロワやヴァーツラフ・ニジンスキーらが揃っていた。1909年5月19日のデビュー公演は大好評となった。1910年にディアギレフは、ストラヴィンスキーに最初の委嘱作品『火の鳥』を作曲してもらい、1911年には『ペトルーシュカ』、1913年には『春の祭典』が続いた。他にも1912年にはドビュッシーに『牧神の午後への前奏曲』、ラヴェルに『ダフニスとクロエ』、 1919年にはファリャに『三角帽子』を作曲してもらう。


ちなみにディアギレフがもっとも愛したニジンスキー(1890−1950)は、1913年『春の祭典』の振り付けでバレエの常識を覆した足を内股にし、頭を曲げるという振り付けを行った(『春の祭典』が真に認められるのはマシーンの振り付けによる1920年である)。しかし、この年ハンガリー人女性と恋に落ち結婚し、ディアギレフは激怒しニジンスキーを解雇する。1916年に再雇用するもニジンスキーの精神はすでに蝕まれていた。1920年以降は精神病院にて余生を送ることになった。一方、ディアギレフは1929年にヴェネチアにて死去する。多大な負債を残して死去したという。


■「音楽が君を導き完璧に躍らせる」


ヴィクトリアは作曲家のクラスターと恋に落ちるのだが、それがレルモントフの怒りに触れるのである。
「不確かな人間の愛に頼る踊り子に大成は望めない」という信念を持つレルモントフは、プリマドンナには、人間よりも芸術を愛せと唱える人なのである。

そして、2人ともクビになるのである。このくだりはまさにディアギレフとニジンスキーそのものである。ちなみにそのあてつけの様に愛したプリンシパルがレオニード・マシーン(1915年から1921年の間バレエ・リュスのバレエマスターだった)なのである。そして、マシーンも女性と熱愛していることが発覚し後に解雇されるのである。

プリマドンナにとって芸術と結婚が両立しがたい。これは現代においても適応される課題であり、女性にとって仕事と結婚の両立はなかなか難しいのである。
もっともそれ以上に難しいのは愛情の持続なのだが。


■「二流で満足できる者は、決して芸術家にはなれない。君の存在は彼女には妨げだ!」


そして、再び赤い靴を履いたヴィクトリアの前に、新作オペラの初演を放棄してやってきた愛する夫クラスターの姿が・・・「踊らずに家に帰ろう」と言った夫に対してレルモントフは上記の言葉を冷たく言い放つ。クラスターはレルモントフに対する恨みよりも、彼女が赤い靴に取り付かれ踊り続ける少女のように、家庭を顧みずにバレエにのめり込んでいくであろう彼女の姿を見ることを恐れていたのだろう。

だからこそ、踊ってほしくなかったのである。しかし、涙ながらに赤い靴を選ぶヴィクトリア。しかし、開演寸前に劇場のバルコニーから飛び降りて汽車に轢かれて死んでしまうのである。芸術と愛する男に追いつめられ板ばさみになったヴィクトリアは発作的に死を選んだのである。

芸術よりも愛よりも死を選ぶ。それほどこの二つに対してひたむきに真剣な態度で生きた女性だからこそ、レルモントフも彼女こそ芸術の具現化に相応しいバレリーナと感じたのだろう。
芸術とは人間に精神のすれすれの空間を彷徨わせる実に恐ろしいものでもあるのだ。そして、だからこそ究極なのである。


■本物志向の魅力


本作の撮影現場は一流バレエダンサーのエゴがぶつかり合い見事なまでに混沌としていたという。しかし、それを感じさせないくらいパリ、モンテカルロの風光明媚さが魅力的な作品でもある。もっともディアギレフのバレエ・リュスの本拠地もモンテカルロに置いていたし、マシーンにとってもモンテカルロは第二次世界大戦寸前まで大活躍した地であったのである。

本作を見たフレッド・アステアは『恋愛準決勝戦』(1951)でモイラ・シアラーとの共演を望んだ、さらにジーン・ケリーは『ブリガドーン』(1954)でモイラとの共演を望んだが両作ともモイラが断わったという。

本作はアカデミー劇・喜劇映画音楽賞と美術賞2部門の合計3部門受賞を果した。ちなみにスコセッシは本作について
「レルモントフは夢に取り付かれ、幻想に生き、その模倣を望んだ」と語っている。


− 2007年6月2日 −


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