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レマゲン鉄橋   THE BRIDGE AT REMAGEN(1968・アメリカ)
■ジャンル: 戦争
■収録時間: 116分

■スタッフ
監督 : ジョン・ギラーミン
製作 : デヴィッド・L・ウォルパー
脚本 : ウィリアム・ロバーツ / リチャード・イエーツ / ロジャー・ハーソン
撮影 : スタンリー・コルテス
音楽 : エルマー・バーンスタイン

■キャスト
ジョージ・シーガル(ハートマン中尉)
ロバート・ヴォーン(クルーガー少佐)
ベン・ギャザラ(アンジェロ軍曹)
ハンス・クリスチャン・ブレヒ(シュミット大尉)
E・G・マーシャル(シナー将軍)
ボー・ホプキンス(グレブス伍長)
M24チャーフィー軽戦車が高速移動しながら迅速にターゲットを破壊していく映像も凄く、その破壊の描写の度合いにおいても数ある戦争映画の中で群を抜いているが、それ以上に本作が魅力溢れているのは、アメリカ・ドイツ両軍の「命令する側と実行する側」の温度差を描いている点である。当時のドイツ軍はまさに本作製作当時のベトナムでのアメリカ軍であるといわんばかりの描写が、本作をただの戦争映画に留めていない。戦争における軍隊内の温度差がいかに戦場において、敵に対して、民間に対して影響していくのかと言う所に戦争の一つの本質はあるのである。

■あらすじ


1945年3月、ベルリン防衛の最終ラインであるライン河渡航を決行せんとするアメリカ軍。しかし、ドイツ軍の破壊により、ライン河を渡航できる橋は今やレマゲン鉄橋一つになってしまった。そして、第9機甲師団の先方部隊を率いるハートマン中尉(ジョージ・シーガル)に命令が出る。「何としてでもレマゲンを確保せよ」と。


■「命令する側と実行する側」の埋めがたい溝


レマゲンという一つの橋を巡る米軍の進撃と、もはや敗走状態のドイツ軍の守備の間に垣間見える戦争の本質。本作が製作された1968年は、ベトナム戦争でアメリカ軍が最も戦死者を出した年だった。1959年の初の戦死者から1967年までの米軍の戦死者総数が約15000人に対し、1968年の一年間だけで約15000人が戦死した。これは
ベトナム戦争(1960−1975)においての米軍の総死者数57702人の約1/4をわずか一年で占めているということでなのある。

1968年にはすでにアメリカ本国ではベトナム戦争に対しての厭戦ムードが吹き荒れていた。そして、こういう状況の中作られた作品だからこそ、
ただのアメリカ軍対ドイツ軍という構図ではなく、その構図の中に両軍における戦場の兵士と後方にいる上官という構図が見事に対比されているのである。

つまり
「上官は全体像を把握しているがゆえに部下に憎まれる命令を出す可能性があり、部下は局面を把握しているがゆえに憎んでいる上官のために死ぬ可能性がある」と言うことである。

本作は無能な上官と有能な部下という、単純な構図ではなく、上官もまたその上の上官に従わざるを得ない部下なのだと言う構図で描かれている。現に最初の作戦会議においてハートマン中尉の上官は、もっとも有能かつ的確な状況判断が出来ている人物の一人として描かれているが、「命令する側と実行する側」は絶対的に埋められない溝で隔てられており、その立場の違いゆえに実行者達は命令者をバカ扱いしてしまうものだという現実を描いているのである。


■「プラハの春」の気運の中でチェコでのロケ敢行に成功!


戦闘シーンの迫力は、数々ある戦争映画の中でも出色の出来だろう。
何よりも当時「プラハの春」で民主化気運高まるチェコスロバキア共和国で本作はロケーションを決行し、取り壊し予定だった街並みを戦車の侵攻シーンで本当に爆破しているのだから、並みの迫力ではない。

一方、ソ連政府はこの撮影を許可したチェコ政府に遺憾の念を伝えていた。さらにKGBを使って、撮影しているアメリカ兵、戦車は実は本物の軍隊でチェコを侵略するための偽装工作だと吹聴していた。しかし、多くのチェコの学生がアメリカ兵、ドイツ兵のエキストラとして出演していたので、事実を知るチェコ国民は誰一人としてその吹聴を信じなかったという。

大体において撮影は順調にいっていたが、1968年8月20日深夜、ソ連軍の率いるワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻によりチェコ全土が占領される。このソ連の軍事侵攻に対して、ロケ班は無事チェコを脱出した。ただし、ロバート・ヴォーンだけはフィルムと機材を守るためにチェコに滞在したという。

以降撮影はドイツとイタリアで再開した。ただし、本作は実際のレマゲンでは撮影していない。


■魅力的な登場人物


地味ではあるが、その地味さゆえに魅力的な俳優陣。カサヴェテス組のベン・ギャザラ(1930− )は苦虫を噛み潰したその風貌ゆえに、死体をあさるような事はしていてもいざ戦闘になると勇敢な軍曹という役柄を魅力的に演じている。そして、ジョージ・シーガル(1934− )演じるハートマン中尉も連戦続きで疲労困憊してはいるが部下を率い必死に任務に励んでいると言う感じで実に良い。

ロバート・ヴォーン(1932− )がハートマン中尉と対峙するレマゲン防衛軍の指揮官のクルーガー少佐に扮するのだが、ゴールドのシガレットケースといいドイツ軍の軍服といいヴォーンらしく様になっている。以外にドイツ軍の軍服姿も様になっている。
この人の魅力はやはり人間味溢れる冷静さを体現出来るところだろう。

しかし、何よりも本作で魅力的だったのがレマゲンの学校の校長先生だったというシュミット大尉を演じたハンス・クリスチャン・ブレヒである。とにかく彼の存在感が本作のドイツ・サイドを照らしていたと言ってよいだろう。
「死にかけた獣は自分の傷を咬むと言います」「そんな命令は受けられない。今度は我々全員を射殺しますか!?」とクルーガー少佐に詰め寄るシーンなぞはこの人の真骨頂である。

ちなみに『ワイルドバンチ』『ゲッタウェイ』などで早死にする印象の強いボー・ホプキンスが本作においては最後まで生き残り、善戦している。


■将軍、命令だけで勝てるなら今頃ロンドンで踊ってますよ


オープニングのオーバーカッセル橋を砲撃するアメリカ軍の軽戦車M24チャーフィーのシーンが凄まじい迫力に満ちている。まさに城崎に行く途中の風景にそっくりな優雅なライン河ほとりを疾走する戦車隊が素晴らしく凄い臨場感だ。そして、橋が戦車よって吹っ飛ばされるのだが、このショットには度肝を抜かれる。実際に橋一つを爆破しているのである。

やはり悲しいかなCGはCGであり、建物にも命が通っていることを感じさせてくれる瞬間である。いくら破壊してよい建物を破壊しているとはいえ、実際の建物が破壊されていく姿は、爽快であると同時に何か物悲しい感情を生み出させるものである。特に古びた建物であればあるほどに。



■ハートマンとアンジェロの魅力的な関係


ハートマン中尉とアンジェロ軍曹の関係が、実に魅力的に描かれており真の現場っぽさがあってよい。実利主義で死体あさりに熱心な現実主義者であるアンジェロと、中間管理職なので上司の命令にも忠実でなければならないので、そうそう自由にも振舞って入られない有能ではあるが疲労困憊している軍人・ハートマン中尉。

この2人は決して気が合うわけではないのだが、ハートマンにとってアンジェロは頼れる右腕であり、アンジェロにとってハートマンは頼れる上官であるところが、見ていて面白い。この関係の微妙さが最後の再開の喜びにつながっていくのである。本作のシナリオは実に良く出来ている。

人間の複雑な感情から生まれる純粋な感情を見事に表現しているラストのハートマンとアンジェロの再会シーンは本作の名シーンである。


■本作のドイツ軍の姿は、製作当時のアメリカ軍の姿だった


本作のテーマである「命令する側と実行する側」の温度差は、アメリカ軍においても相当なものであり、レマゲン奪回の作戦で、大きな犠牲を払うも成功したから良かったが、この命令する側の姿勢がベトナム戦争では見事に裏目に出ていくのである。一方、ドイツ軍においては、もはや壊滅寸前なので、
勝利のための命令ではなく命令遵守させるための命令になっているのである。

命令遵守のための命令なので、実行する側からすれば死ねと言われているようなもので、もはや逃亡するか処刑されるか命令に殉じて死ぬかいずれかの選択しかなくなるのである。

戦場における命令がいかに実行する側の運命を左右するか本作ほど如実にあらわしている作品は早々ないだろう。しかし、実行する側にとっては、全体像を捉えている存在である、命令する側がいなければ大変なことになるのである。
この辺に戦争のシビアさと、組織と言うものが綺麗ごとでは運営していけない非人間的なものに傾きやすい理由だろう。

組織が連勝を収め、より効率化していくと必ずと言っていいほど、実行する側の反感が生まれ、それを押さえ込むために組織はより硬化し、もはや実行する側がその組織の存続を求めなくなってくるのである。つまり、組織を守る側の人間が、組織を最も憎んでいる状態になってくるのである。


本作の中ではその状況はドイツ軍であり、1968年という撮影時においてはベトナムのアメリカ軍だったのである。この皮肉の循環を本作は暗に示しているのである。



実際のリーデンドルフ橋(=レマゲン鉄橋)を巡る戦い


1916年第一次世界大戦中に全長325mのリーデンドルフ橋は建設された。西部戦線への軍事物資の輸送のためである。そして、1945年3月当時この橋はライン河にかかる唯一破壊されずに残されていた橋であった。3月7日アメリカ第1軍第9機甲師団が確保に乗り出す。

一方ドイツ工兵部隊は午後3時頃、橋に仕掛けた爆薬に点火したが、支給されたのが600sの軍用火薬ではなく300sの工業火薬であったため破壊力が弱く、橋の爆破に失敗し、結果的にアメリカ軍に橋を確保されることになる。

ドイツ軍レマーゲン守備隊は、実質的にはプラートケ大尉指揮の中隊僅か36名であった。この他に橋の爆破のためにフリーゼンハーン大尉の工兵1個中隊約120名であり、実質総兵力150名足らずで防戦していた。ヒトラーは爆破に失敗した5人の関係将校を軍法会議にかけ、4人は即座に処刑された。

リーデンドルフ橋は3月17日午後3時過ぎに橋を補強中だった28人の工兵を道連れに突然自然崩落したが、すでに対岸に別の橋頭堡を建設済みだったのでアメリカ軍が受けた被害は微少で済んだ。4月30日にヒトラーが自殺し、5月7日にドイツは無条件降伏することとになる。


■クルーガー少佐が示した尊厳


たしかにドイツ軍の少佐役にロバート・ヴォーンはミスキャストには感じるが、実際見てみると結構はまっている。もちろんこの頃のドイツ軍の制服は、最高峰のファッション・センスだったので、誰にでもフィットしやすいというのはあるだろうが、それを差し引いても違和感はなかった。しかし、やはりハーディー・クリューガーあたりの役者が演じた方が素晴らしかったであろう事は想像に難くない。

クルーガー少佐がゲシュタポに処刑されるにあたって、放つ以下の会話のシークエンスが素晴らしい。
「味方の機か?」「敵機です」「一体誰が敵なのだ?」そして、クルーガーは処刑されるのである。「一体誰が敵なのだ?」心に響くセリフである。


■ギラーミンの見事な演出


本作が描こうとしたものは、基本的には壮大なる戦争スペクタルとは無縁のものであり、ロバート・アルドリッジ監督の『攻撃』のように小さな局地戦で描いた方が分かりやすい題材なのだが、ギラーミンはあえて戦争スペクタクルの中で、その批判的メッセージを組み込んだ。

そのことによって登場人物の人物描写の深みが犠牲になったおだが、映画と言うものは何かを犠牲にしないと両立していかない制限の中で生み出される体系の表現方法なのでしかたがないだろう。

ちなみに本作の壮大な戦争映画にぴったりな音楽は『大脱走』の音楽も担当したエルマー・バーンシュタインによるスコアである。

− 2007年6月10日 −


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