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ローズマリーの赤ちゃん ROSEMARY'S BABY(1968・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: ホラー ■収録時間: 137分 ■スタッフ 監督・脚本 : ロマン・ポランスキー 製作 : ウィリアム・キャッスル 原作 : アイラ・レヴィン 撮影 : ウィリアム・フレイカー 音楽 : クリストファー・コメダ ■キャスト ミア・ファロー(ローズマリー・ウッドハウス) ジョン・カサヴェテス(ガイ・ウッドハウス) ルース・ゴードン(ミニー・カスタベット) シドニー・ブラックマー(ローマン・カスタベット) ラルフ・ベラミー(ドクター・サプスティン) |
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■あらすじ マンハッタンのダコタ・アパートに引っ越すことにした売れない俳優ガイ(ジョン・カサヴェテス)とローズマリー(ミア・ファロー)夫婦に待望の子供が産まれることに。しかし、子供を身篭った晩に見た悪夢に思い悩むローズマリー。やがて、ローズマリーはアパートの住人全てが・・・そして、ガイまでもが悪魔の手先ではないのか?と疑い始めるのであった。 ■新しいホラー映画の誕生 従来のホラーの概念であった郊外の屋敷での出来事という概念を覆し、ヒッチコックと悪魔の存在と都会の三つの概念をポランスキー色豊かに変貌させ「ホラー映画の新しい幕開けを宣言」したのが本作である。『エクソシスト』(1973)『オーメン』(1976)『サスペリア』(1977)といったニュー・ホラー・ブームの先駆けとなった作品であり、本作の存在なくしては後発作品は生まれなかったかもしれない。 アイラ・レヴィンによる長編小説をここまで纏め上げたポランスキーの脚本能力はさすがであるが、それと同じくらいミア・ファローの演技も冴え渡っている。彼女は演技の幅は決して広くない女優だが、こういう役柄をやらせるととにかく右に出るものはいないだろう。怯えの演技の質が、並みの絶叫クィーン達とはかけ離れて現実味溢れているところも本作の新しさである。 そういった意味では、本作はホラー映画の中に心理劇を綿密に組み込んだ映画と言ってもよい。人々はホラー映画にドラキュラやゴーストを求めるのではなく、1人の人間の精神の崩壊の過程を求めるようになっていったのである。これが新しいホラー映画の形であった。 ■ミア・ファローの魅力 ミア・ファロー(1945− )のコケティッシュな魅力につきる。特に彼女のファッションが素晴らしい。そして当時の2大ヘアデザイナーによるミアのヘアスタイルのギャップが圧巻である。間違いなく本作においてミアの演技をより冴え渡らした効果の1つであり、全てである。 最初のミアのヘアスタイルは、マリリン・モンローが最も愛したヘアデザイナー・シドニー・ギラロフによるものである。そして、ショート・カットの方は、ヴィダル・サスーン(1928− )によるものである。彼こそはマリー・クァントと協力してツィッギーというスーパーモデルを介して、ミニスカ&ショートカットという歴史的なヘア・スタイルを確立した人である。 今では店頭に並んでいるシャンプーやコンディショナーのイメージが強いが、サスーンという人は、女性が髪を洗い濡れた状態で、カッティングをするという画期的な方法を実績した人であり、このことにより女性が髪型をセットする時間が飛躍的に短縮され、これで仕事を持つ女性も頻繁に美容室を利用できるようになった。 当初はミアの役柄をジェーン・フォンダで考えていたが、『バーバレラ』(1968)のため出演できなかった。ついでポランスキーの希望でチューズデイ・ウェルドにオファーしたが断られていた。そこで当時パラマウントの責任者だったロバート・エヴァンスの推薦により、ミア・ファローが起用された。 ミア・ファローは1966年に30歳離れているフランク・シナトラと結婚していたが、本作の出演により、撮影中にシナトラから離婚手続きの書類が送られてきて、離婚することになった。 ■そして、脇を固める名優達 ジョン・カサヴェテスがローズマリーの夫ガイを演じている。やはりカサヴェテスは監督としても素晴らしいが役者としても魅力的な人である。当初は、ロバート・レッドフォードやウォーレン・ビーティ、ローレンス・ハーヴェイ、が候補に挙がったが断られている。一方、ジャック・ニコルソンも候補に上がるが、ポランスキーが「見るからに悪魔の側だろ?」と拒否したと言う。他にもリチャード・チェンバレン、ロバート・ワグナー、ジェームズ・フォックス、バート・レイノルズも候補にあがっていた。 そして、本作でアカデミー助演女優賞を受賞したルース・ゴードン(1096−1985)である。おせっかいな隣人を演じていてとても印象深いが、オスカーを取るほどの芝居とは到底思えなかった。確かに印象的な役柄であるが、この役柄の印象の強さが突出していただけであり、取り立てて彼女が名演だったようには感じられない。ちなみに彼女は脚本家としても有名な人で、本作以前に4回のノミネートをされていた。 そして、ブロードウェイの名優シドニー・ブラックマー(1895−1973)が隣人に、さらには物語のキーパーソンでもあるハッチ役に『猿の惑星』、そして、TV『奥さまは魔女』でサマンサのお父さんを演じていたモーリス・エヴァンス(1901−1989)が出演している。このハッチの存在がかなり本作を面白いものにしてくれている。 さらに西部劇の往年の大スター・ラルフ・ベラミー、卑屈な小男を演じさせたら右に出るものがいなかったエリシャ・クック・Jr、そして、デビューしたての『ミッドナイト・ラン』(1988)のチャールズ・グローディンも出演している。 ちなみに前半で、アパートの地下で洗濯している時に「あなたってヴィクトリア?」とミアに聞かれる女性は、ヴィクトリア・ヴェトリ(1944− )自身である。彼女は1968年「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた美女であるが、本作ではすごくダサい様相で出演している。 ■悪魔の存在が物語を否応無しに盛り上げる 前半は極めて物語は淡々と進むのだが、所々にローズマリーが気になるふせんが着々と敷かれていく(例えば隣人の老夫婦に招かれたときに一枚の絵を除いて絵が取り外されていたことなど)。 そして、そんなふせんが童話作家であり、ローズマリーとガイの友人でもあるハッチが「実は話したいことがある」と言ったところからどんどん活きてくるのである。そして、ハッチの不慮の死後一冊の本がローズマリーの手元に届くところから本作は飛躍的に盛り上がるのである。 ポランスキーの心得ているところは、物語を楽しんでもらうためにはジェットコースターのように緩急が重要だと言うことである。ジェットコースターに緩急がなければつまらないことを彼は良く認識しているのである。ここが昨今の映画人に欠けている部分である。一分一秒でも観客を退屈させてはいけないという気概で作品を作り上げているが、そんな作品は子供だましに過ぎない。恋愛と同じく映画も我慢させないとその虜にさせることはできないのである。 ■ポランスキーとLSD ローズマリーが悪夢を見るシーンは、実に幻想的で美しい。この当時のポランスキーは過度にLSDを使用していた時期なので、こういったシーンにその影響は如実に現れている。映像の中で「浮遊感」を表現したがる監督は、基本的に薬物依存の傾向がある。この時期のポランスキーはまさにそれだった。 1960年代後半から1970年代中盤までのアメリカ映画の魅力は麻薬によって形成されていたといってもよいだろう。ベトナムで麻薬を覚えた若者達が、ベトナムに行く必要のなかった富裕な若者達に麻薬の味を教え、国全体は沈んでいくが、映像芸術自体は飛躍的に上昇したのである。 そして、電話ボックスのシーンにおいてもポランスキーは抜群のカメラワークと音楽とミアの表情によって、絶妙の緊張感を生み出している。ちなみにミアをギクッとさせるオヤジは本作のプロデューサーでもあるウィリアム・キャッスルである。 更にすごいのが、交通量の多い道路を身重のローズマリーが横断するシーンである。このシーンは仕込ではなく、実際に交通量の多い道路を「誰も妊娠中の女性を轢かないだろう」とミア・ファローを説得して横断させたという。
■ダコタ・アパートと不思議な雰囲気の音楽 本作はあの有名なダコタ・アパートで撮影されている。内部のシーンもダコタ・アパートで撮影しているので、ローレン・バコールなどの住居者は頻繁に撮影現場を訪れていたと言う。このドイツ・ルネサンス様式の、石とテラコッタで装飾された黄色いレンガ造りの建物が本作の雰囲気作りにかなり貢献している。 そして、音楽も素晴らしい。特にミア・ファローがはもっているあのタイトルの子守唄が実に素晴らしい。そして、音楽ではないが、失明したスターとローズマリーが電話で話すシーンで、電話で話している人は撮影現場に遊びに来ていたトニー・カーティスだった。 ミア・ファローとトニー・カーティスは友人なのだが、ポランスキーは電話の相手が誰か教えていないので、ミアがどこかで聞いたような声?といぶかしんでいるような表情がちらほら見えるところが見ていた楽しい。 ■妊娠の不安と母性愛の誕生 本作の見事さは、『ブラジルから来た少年』や『ステップフォード・ワイフ』で有名なアイラ・レヴィンの原作の素晴らしさによるものも多大である。マンハッタンという大都会のど真ん中で、密かに行われている悪魔崇拝という発想が実に素晴らしい。 そして、周りの人間はほとんど誰も信用できないという焦燥感と周りの悪魔から赤ちゃんを守れるのは私だけという母性本能。本作は都会に巣食う悪魔を描く一方で、見方によっては1つの生命を誕生させることの大変さと、たえず付き纏う孤独感と不安を見事に描ききっている。 1つの生命を誕生させるという人生最高の喜びが、いかなる不安を呼び母親に影響を与えていくのかという部分に注目して本作を見てみてもとても面白い。 ■男はいつの時代も結局は捨て駒なのかもしれない 最終的に悪魔の赤ちゃんはローズマリーの幻想なのか、真実なのかは分からない。ポランスキーもそれは見ている側にどちらにでも解釈できるように作ったという。そして、悪魔的なものがサブリミナルに挿入されているラストシーンは、直接赤ちゃんの顔を写すより、多くの想像力をかきたてる見事な演出であった。 しかし、悪魔に魂を売った夫ガイに唾を吐きかけ、悪魔の我が子に対しては早くも母性を見せる終わり方が、実に悲しい現実を見せつけている。女性にとって、夫よりも我が子の方が、大切だと言うことを。このラストを見ていると妄想や真実を超えた次元で、男女の現実を突きつけられぎくりとしてしまう。 − 2007年6月7日 − |
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