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竜二   (1983・日本)
■ジャンル: ヤクザ
■収録時間: 92分

■スタッフ
監督 : 川島透
助監督阪本順治
脚本 : 鈴木明夫(金子正次のペンネーム)
撮影 : 川越道彦
主題歌 : 萩原健一 『ララバイ』

■キャスト
金子正次(花城竜二)
永島暎子(花城まり子)
北公次(ひろし)
桜金造(直)
岩尾正隆(関谷)
小川亜佐美(関谷まゆみ)
「この窓から何にも見えないよなぁ〜」堪らんぜこのセリフ。間違いなくヤクザ映画史上に残る最高傑作。これほど現在にも通じる本物のやくざもん映画は存在しないだろう。キャスティングといい金子正次のやくざらしくない髪型といい全てが驚異的に格好いい作品。そして何よりも全てのセリフが格好良すぎる。男の哀愁は、格好悪さからにじみ出てくる汚臭に近い。そして、「竜二」と同世代のやくざじゃない男が見ても感情移入しやすい哀愁がそこにはある。

■あらすじ


新宿の三東会の花城竜二(金子正次)は、ルーレット賭博などで羽振りのいいシノギを展開していた。そんな彼には三年前に別れた妻子が居た。金にも女にも不自由しない竜二だったが、そんな彼の心は絶えず満たされなかった。そして、かつて竜二の兄貴であり今は堅気に小料理屋をしている関谷(岩尾正隆)の助言もあり、竜二は、別れた妻子と共に、堅気として生きていく決意をするのだった。


■オレにとっても竜二は永遠に不滅です。



究極にダサいやくざモンを主役にしたら、究極に魅力的でシンパシー溢れるやくざ像が出来上がった。金子正次はこのテロップから伝説になった。
この映画が出来た頃は全然ガキだったオレにとってもこの作品は、「別格」です。


■金子正次 男が一つのことにかけた情熱!



1949年12月19日、愛媛県津和地島という小島で生まれる。本名・金子松夫。松山市の私立聖陵高校に進学するも退学する。そして、1972年に歌舞伎町のディスコMUGEN≠ナホール係をしながら、演劇活動に傾倒していく。1974年、劇団「東京ザットマン」(1977年より「ザットマン7」に改名)を旗揚げし、四年間で年二回公演のペースで演劇活動を行っていく。

1979年、本作にも出演している長女が生まれる。1981年より金子は次第に体の変調を訴えるようになる。そして翌年胃癌と診断される。胃の全摘出手術後の通院時期に『チンピラ』の脚本を書き上げ、一年間のうちに5 本の脚本を書き上げる。『チンピラ』『獅子王たちの夏』『竜二』『盆踊り』『ちょうちん』である。

映画に対する気持ちがつのる金子は、『竜二』の企画を、高橋伴明、土方鉄人、崔洋一などに依頼するも実現せず、1982年11月に自主制作で撮り始めることになる。監督の降板などのトラブルを経て1983年4月に完成。松田優作の奔走もあり東映セントラルで配給がつき、公開が決定。8月には大分県の湯布院映画祭へ出品。そして、10月29日封切し、成功を見届けた11月6日午前3時35分、ガンのために松田優作らに看取られこの世を去った。享年33歳。いみじくも7年後の同じ日に松田優作も癌にて死去することとなる。


■30代を鬱屈として過ごす男たちへの子守唄



萩原健一の『ララバイ』が流れる中、別居している妻と子の写真を見つめる竜二(金子正次)の横顔から『竜二』は始まる。拳銃を一発も撃たず、殺し合いを一切見せ付けず、女を一人もレイプしないやくざ映画。

それでいて、
「どちりばっかりかましやがって!ごちゃごちゃ枝葉はいいんだよ!」と舎弟にどなる竜二の声音の凄みに誰もが圧倒されるだろう。金子正次のナマの凄みは、銃弾やレイプや犯罪と言ったこれまでやくざを演じるにあたって必要とされてきた映画上のツールを必要としなかった。そこにこの男の凄みがある。

映画が始まってすぐに舎弟の直(桜金造 1956- クレジット上は佐藤金造。撮影を見に来ていた松田優作に桜を芸名にしたらとアドバイスされ後に変名する)に蹴りを喰らわせるシーンからして熱の入り方が違う。まさに深作欣二監督の『県警対組織暴力』の川谷拓三を髣髴させるほどの激しさだ。竜二の迫力のお陰でお笑い芸人桜金造の影が全く身を潜め、コイツは直そのものになれた。本当にすごい迫力だ。この金子正次という俳優は。

「おい直っ。お前いくつだ?はいはいいからいくつだ?よっ、いいかぁ教えといてやるからよく聞けよぉ〜30にもなってエンコとばしてたらこの世界ではバカっていわれんだバカ!」


■「ほんとにこいつら、なんなんだと怖くなった」桜金造



「いっぱしにエンコとばそうとしたんだけどさぁ〜ハナクソもほじれなくなるとかわいそうだからさぁ〜」

こんなセリフよく考え出したなぁ〜。ぽんぽん飛び出てくるセリフのオリジナリティに驚かされる。『竜二』がやくざ映画の中でも特別な存在である理由は、このリアリティ溢れるセリフの数々によってである。
魅力的なやくざ映画はファッションよりもセリフで男を惹きつけられるのだ。

なにげにカタギになる寸前に竜二とひろし(北公次)がテレビでコントを見て笑っているコントがあるが、「アゴ&キンゾー」(あご勇&桜金造)のあまり笑えない『お笑いスター誕生』のコントが使用されている。桜金造はマネージャーの反対を押し切って3ヶ月7万円のギャラで、しかも衣装は自前で出演した。

漫才ブームの当時彼は月に100万円も稼いでいたタレントだったが、本人もなぜこの仕事を引き受けたかわからないらしい。金造に話が来るまでに多くの人にこのオファーは断られてきたという。しかも撮影のリハーサルや本番中に本気で殴られるはめになるので「まさに撮影は地獄でした」とのことなのだ。しかし、桜金造がここまで輝けたのも全てこの金子正次たちスタッフの熱気によるものなのだ。

「あんなTVの再現フィルムみたいな撮影内容じゃ、とても芽は出ないだろうなと思っていた。でも、あの人、マジなんだよね。なんなんだ、こいつは・・・撮影中はそのことだけがいつも気になっていた」桜金造

「金子さん、これ、テストなんだからね・・・」桜金造。アパートで竜二にぼこぼこにされるシーンのリハーサルにて。

「おれのところに来ると金子さんは力を抜いていた。あの人はやせているけど、殴られると痛いんだ。・・・ところが永島暎子なんかには全然手加減しない。テストのたびにパァンとほっぺたを張るんだ。でも、暎子さんは当然みたいな顔しちゃっている。痛いとか、やめてくれとか言わないんだよね。燃え方がおれたちと全く違う。ほんとにこいつら、なんなんだと怖くなった」
桜金造

「役者でいける。そういう自信がついたのは『竜二』をやったおかげなんだよ。だから金子さんが死んだと聞いたとき、なんということをしてきたんだと、もう、おれ、自分が情けなくてね」漫才ブームが終わり、多くの芸人が落ちぶれていく中、金造は、あまり気の乗らなかったこの作品により役者の仕事に恵まれた。


■じゃないとてめえカタギにするぞぉ〜


 
唐突に本作のムードに全く似つかわしい山口百恵の『プレイバックpartU』が流れ出す。新宿のネオンの下輝きだす竜二達がイマイチ理解しがたいシュールなカットセンスで表現する竜二の拘置所収容までのプロセス。大体理解できるのは、拘置所に入るまでは竜二はそれほどはぶりの良いヤクザではなく、そういった事情が妻子と離れ離れになるきっかけになったということだ。

本作で見落としがちな事実であるが、竜二は仕事の出来るやくざという認識が多いが、その認識は間違いである。彼はごく底辺のチンピラであり、出所後実入りがよくなり始めただけなのである。つまり、彼は一時の実入りのよさ故にやくざとして余裕が出来、色々考えることによって一番いい時期に引退をしようと考えただけのことなのである。

「いいかぁ〜近日中になんとかしろよ。じゃないとてめえカタギにするぞぉ〜カタギになって乞食すっかぁ?」


■竜ちゃん、相変わらずいい女が切れないねェ〜



「あのちょうちんハゲぇ〜!」「はねたら刺すぞこら!」 と竜二にすごまれるかつては竜二と共に泥を噛んで泣いたこともある£であるカズ(菊池健二)。カズは竜二がカタギになってからシャブ中になって金をせびりにくるほど落ちぶれて死んでしまうのだが、このカズの存在は直の今後を象徴する実に重要な役柄である。ちなみに菊池健二も1987年に癌にて他界している。そして実際に2人は劇団時代から共に泥を噛んだ大親友であった。

しかし、この男のグッチのパーティーシャツ並みの赤シャツも凄いが、何よりも竜二に会いにきた女に対する竜二の対応が何かを通り越して格好良すぎる。

女がひろしに「何飲みますか?」と聞かれ「コーヒー頂戴」と言う。すると間を置いて、
竜二が「てめえで入れろ!このやろう!」と低音で凄む。まさにこのセリフに震える女は、やくざに惚れて人生苦労するタイプであることを自覚してしまうのだ。それくらいやくざの本質に迫っているのであるこの一言は。女がやくざに惚れる重要な要素は、このシーンにほぼ全てが集約されているといっても過言ではない。

そして、カズに言うセリフ。
「いくら腰ふったっておまえ飯も炊けなきゃ女じゃねえよ」やくざ映画史上初めてリアルな生活感が画面上に示された瞬間である。そして、今もほとんどのやくざ映画が描ききれていないポイントがこの感覚である。

「万冊一枚で本番やらせるところ出てきたら今更ビニボンもないだろうからなぁ」

「今月からなしんこにしようぜそんなもん。」



■岩尾正隆と小川亜佐美


 
日活ロマンポルノの女優小川亜佐美(1955- )がカタギになった竜二の先輩関谷(岩尾正隆)の妻まゆみ役で出演している。それも菩薩のようなかみさん役で。散々脱いできたからこそ、脱がないでも聖女の色気がこれだけ出せるようになるんだろう。

この夫婦の存在。かなりこの作品で重要な部分を担っている。

「なんかこの頃、よくわかんないですけど、不安なんですよねぇ〜。なんか落ち着かないんですよね〜。やくざやってるから死ぬの生きるのってべつにどうってことないつもりなんですよぉ〜どぉ〜も弱気になるんですよねぇ〜それに嫌なんですよねぇ〜争いごとがぁ〜金ももうそんなに欲しくないんすよねぇ〜」

竜二が関谷に相談するのだが、東映やくざ映画で数々の死に花を咲かせてきたピラニア軍団・岩尾正隆が最高に渋い。実に味わい深いそのビールの飲みっぷりと煙草の吸いっぷりに新しい彼の魅力が発散されていた。彼が出る瞬間は金子正次も完全に喰われてしまっている。


■オレにとって竜二が永遠に不滅になった瞬間



花の都にあこがれて、飛んできました一羽鳥
ちりめん三尺ぱらりと散って、花の都は大東京です
金波・銀波のネオンの下で、男ばかりがヤクザでもありません 女ばかりが花でもありません
六尺たらずの五尺のからだ、
今日もゴロゴロ明日もゴロゴロ、ゴロ寝さまようわたくしにもたった一人のガキがいました
そのガキも今は無情にはなればなれ、一人淋しくメリケンアパ−ト暮らしよ
今日も降りますドスの雨、刺せば監獄刺されば地獄
わたくしは本日ここに力尽き引退いたしますがヤクザモンは永遠に不滅です

この独白シーンに流れるギターの渋いこと渋いこと。このギターの音色は映画音楽の中でも出色の出来だ。そして勿論この独白の内容の格好いいこと。


■ヤクザ・・・男の哀愁



子供が一人で遊ぶ姿を冬空の下震えながら竜二が見つめるシーンのこの哀愁。この後に、妻まり子に竜二がつぶやく名セリフがこれである。
「楽じゃね〜よなぁ〜この窓から何にもみえないよなぁ〜」もうこのセリフのセンスは、やくざ映画の脚本家の中でも何かつき抜けてるな。この映画が多くの人々から愛されている理由もこの哀愁にあるのではないだろうか?


■男の輝き方にマニュアルなんてねえんだ!



「シャブはやるもんじゃなくて売るもんじゃないんですか?竜二さん」何気に北公次にこういうセリフを吐かせるあたりが憎らしい。実際に北公次(1949- )はジャニーズの人気アイドル・グループ・フォーリーブス所属の頃から覚醒剤使用の噂が絶えなかった人で、現にフォーリーブス解散翌年の1979年4月に覚醒剤取締法違反で逮捕されている。

北公次は金子自身がフォーリーブスのファンだったこともありひろし役に口説いたという。ちなみに北公次と永島暎子は1977年『悪魔の手毬唄』でも競演している。

金子正次は語る。
「ホンヤとして言わしてもらえば竜二は甘いやくざ、桜金造は落ちていくやくざの典型、北公次はのし上がっていくやくざの典型だよ。その三人を書いた。次をやるとしたら金造の役を追求したいね。やくざって、ちょうちんだと思うのよ。ちょうちんハゲとか、このォちょうちん!というね。昼間は汚いシミだらけなんだけど、夜になって火が入ると、その時だけきれいに輝くじゃない」

「金銭欲もあまりないしね。もっともそれがあったら、こんな芝居の世界にはおそらく居なかったろうしね」



■金子正次の迫力・・・今の役者で敵うのは何人くらい?



「ねえ、花城さん。あんたなかなかのワルやってたんだって、俺もね昔名古屋でなかなかうるさかったんだよ〜名古屋のクラタ組って知ってる?そこの若頭にオサムさんっているんだけど、そのオサムさんにかわいがられてよぉ〜」と嘯く同僚のオヤジを演じるは笹野高史。

こういうすぐに「○○組の○○○さんは、知り合いだよ」って言いたがる奴はいつの世もいるが、そういうオヤジに対する竜二が最強に格好いい。ただ一言。
「どうしたんだよそれが!」。そして、煙草をオヤジの手の甲に押し付けるのである。この迫力。今のやくざ映画に出演している俳優達よ。見習ってください。恐らく今までの出演作が恥ずかしくなるはずだろう。


■どんだけ金かけて映画とっても役者が死んでりゃただのゴミくず


 
金子正次が切望したという竜二の妻まり子を演じる永島暎子(1955- )が実に素晴らしい。一見表情の乏しそうなルックスに反して、ちょっとした表情の変化を見事に表現できるそのギャップこそ彼女の魅力であり、この人にはあらゆるものを取り込んで自分の魅力に変えていきそうな雰囲気がある。

彼女の存在なくしては竜二の魅力も激減したことは言うまでもない。脚本のラストシーンに共感してこの役柄を引き受けたという。永島暎子には、目に翳りのある寂しげな表情が似合う。この人はもっともっと評価されて然るべき女優の一人である。ちなみに子供の女の子は金子正次の実の娘である。


■別れを知り、愛を交わす瞬間の悲しさとほとばしる情


金子正次は語る。
「『ララバイ』を聴いてこれだっと脚本を書き上げた。それとマーケットの開店安売りに列を作っている主婦達を見て、男としてフッと嫌だなと思ったことを一緒にした。あのラストシーンがやりたくて」

ラストの肉屋の特売の列に並ぶ妻と娘を見つめて、無言のまま涙を流してきびすを返し立ち去っていくシーン。この時金子と永島の2人は恋愛関係にあったという。
この作品の魅力は、作り物と本物の境界線があやふやな所にあるのだろう。

家計簿をつけながらカタギになった夫を励ますが、だんだんと過去へと逆戻りしていく竜二にまり子はひろしを会わせ、結局はカタギの生活を送れない竜二との生活にピリオドを打つ。彼女自身がすでに竜二との生活はもうだめだと諦めたのだろう。しかし、諦めたとはいえ愛情は失われていないこそ娘を連れて去るのである。

最後の晩にまり子から竜二を求めて愛し合うシーンのなんともいえない悲しさは、多くの男性、そして、女性が共感できるシーンではないだろうか?
明日別れる事を予感して求め合い愛し合う瞬間。この瞬間は明確に最後を実感しているからこそ体に相手の体の記憶を染み付かせようと動物的であり、人間的な寒々しさなのである。そして、これ程悲しい瞬間はないのである。


■待ってろよ・・・待ってろよ・・・



観ている人にとって、このラストの別れが、竜二は二度とまり子と娘の前に姿を現すことはないだろうということを実感させるのである。
この実感が何故か多くの男性に共感を生んでしまうのである。今いるところから涙ながらに立ち去ってみたい共感が・・・等身大の駄目なチンピラヤクザに、どんな男性でも共感を抱かせてしまう。だから竜二は永遠になったのである。

ガンで余命幾ばくもない状態だからこそ作り上げられた奇蹟的な作品である。だからこそこれほどまでに死相と鬼気迫る熱演が出来たのだろう。盟友の松田優作の遺作『ブラックレイン』の芝居も然りである。このレベルの芝居になると本当にもう見ている側の胸を打って打ってしょうがなくなり何十回もその姿を見たくなる。

やはり映画という媒体はそれにかける情熱が素直に噴き出させる素晴らしい媒体だと再認識させてもらえる作品である。逆に言うと情熱のない作品はすぐに見ている側にばれるというものなのである。つまり映画の本質が芸術である理由は、人間の情熱を反映出来る媒体であるということなのである。

特に萩原健一の歌う『ララバイ』の「その無邪気な澄んだ瞳〜」という歌詞が流れる中再びヤクザに戻った竜二が歌舞伎町の雑踏の中を歩き去っていく姿の格好良さと切なさとドキュメンタリーを見せられているかのようなリアル感・・・この作品以降ヤクザ映画は確実に『竜二』の影響を受け、そして、またヤワになってきた。

のう??そろそろ「竜二、戻ってこないか?竜二よぉ〜」


■映画ってのは情熱で撮るモンなんだよ!


公開当時は、やくざが映画を作ったということで話題になり、本当に金子正次の背中には刺青が入っていたやらいろいろな伝説が囁かれたが、実際はヤクザであったことはないという。恐らく私自身海外で某組の下で夜の街を転々とし一年ばかり働いたことがあるように、そういったレベルでの経験だったのだろう。しかし、私の頃の2000年の初めと1970年代とではそこで経験したものは全く違うものだっただろうが、その名セリフの数々にはとてもカタギでは想像もつかない下層ヤクザの本音が多く含まれている。

そして、金子正次自身が竜二の存在をこう語っている。「無個性の子供っているよね?小学校、中学校で。勉強がよく出来ることか、スポーツが上手いとか、よく人を笑わせるとか、凄いワルだとかね。なにか際立ったものがあるんだけれど、そうじゃなくてホント目立たない子っているよね。女に持てるわけでもない、同窓会があっても先生が覚えてないような子が。割りと俺がそれだったんだよ。喧嘩が強いわけでもない。それが高校入学と同時に俺の場合はハジケたのね。・・・何かの偶然が重なってさ、怖い怖いと思いながら繰り出した左フックが、やたら強い男の顔面にあたってさ、たまたま当たり所が良くてダウンなんかさせたものだから喧嘩に強いという伝説になってね、自分の実力以上の位置につくってことあるでしょう。それが竜二≠セと思うんだよ」

金子正次は、死後1983年日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。そして、永島暎子も1983年日本ブルーリボン賞助演女優賞を受賞した。

この映画を作るにあたって金子正次は監督と一つだけ約束をしたという。本物が何処かでこの映画を見て”畜生! 少しだけど痛いところをつきやがった”と一言でも思わせればあとは誰になんと云われようとも乾杯しようと。

最後にこのセリフをもって締めくくろう。「でないと、竜二は、いつだって戻って来るぜ」

− 2007年3月25日 −


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