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ソウ   SAW(2004・アメリカ)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 103分

■スタッフ
監督 : ジェームズ・ワン
製作 : マーク・バーグ / グレッグ・ホフマン / オーレン・クールズ
原案 : ジェームズ・ワン / リー・ワネル
脚本 : リー・ワネル
撮影 : デヴィッド・A・アームストロング
音楽 : チャーリー・クロウザー / ダニー・ローナー

■キャスト
ケイリー・エルウィズ(Dr.ゴードン)
リー・ワネル(アダム)
ダニー・グローヴァー(タップ)
モニカ・ポッター(アリソン・ゴードン)
トビン・ベル(ジョン)
ソウ
「ゲーム・オーバー」まで楽しもう。本来人間の人生とは10何種類のジズソーパズルのピースをシャッフルし、半分くらい捨て去られた後手渡され完成しろと言われているようなものだが、この作品にはそういった観点は全くない。あるのは一種類のジグソーパズルのピースを手渡され、さあ完成してみろという世界観。だからこそこの作品に深みはないが純粋に一つのジグソーパズルを完成する喜びに満ちている。

■あらすじ


ある日アダム(リー・ワネル)が目を覚めると、彼はバスルームに鎖で繋がれていた。そして、彼の向かいには同じように鎖で繋がれたドクター・ゴードン(ケイリー・エルウィズ)がいた。更に二人の真ん中には頭を撃ち抜かれた死体が転がっていた。両手に銃とテープレコーダーを持ち転がる死体。何故二人は鎖に繋がれたのか?その目的は?そして、二人は助かることができるのか?


■若さが生み出した野心的な作品


本作はサンダンス映画祭において2004年1月に上映され好評を博した。ジェームズ・ワン(1977− )とリー・ワネル(1977− )というオーストラリアの20代の若者がやってのけた奇跡的傑作。作品に対する様々な評価はあるだろうが、その行動力に対しては誰もが賞賛するしかない。

「僕は観客に疲労困憊して劇場を後にしてもらいたい。完璧に徹底的にぐったりしてね。それが狙いさ」本作はワン監督の明確な意図に基づいて作られている。そしてそれが徹底されているところが、本作の娯楽性の最大の原動力となっている。

いい意味でも悪い意味でも血の通っていない作品だが、だからこそ物語の意外性と謎解きをパズルのように楽しめる。
登場人物はすべて平たいジグソーパズルのピースのようであり、それをはめ込んでいく楽しさ。この作品には純粋に楽しんで作っているヤツラのワクワク感が存在している。


■『変身』から不条理な臭いだけを抜き取った作品


ソウ ソウ
ある朝起きたら昆虫になってしまったカフカの『変身』のように、ある日起きたら鎖で片足を繋がれている二人の男性の姿から物語が始まる。

そして、二人の間には銃で頭を撃ちぬいた男の死体があり、その男は銃とテープレコーダーを持っているのである。一方、二人のポケットにはマイクロテープが・・・。この作品の本質にあるのは幼稚な人間性不在のご都合主義である。そして、マイクロテープの入っている紙袋のでかい文字「ADAM」「LAWRENCE」。それは幼児性の顕著な例である。

この作品が素晴らしい点は、物語の展開の見事さにある。一方、素晴らしくない点は展開の幼稚さゆえに生み出された世界観の無機質さである。

本人達がそのつもりではなくてもこの作品は驚異的な傑作になりえた可能性があった。しかし、残念なことに見事な展開を幼稚さで包み込んでしまったが故に、
打ち出そうとした哲学性が哲学的ではなく合理的且つ変質的なものになってしまったのである。


■犯人の非人間さによりこの作品は成立している


しかし、2人の若者が初めて生み出した作品としては、文句なしに神がかりの一作である。
日本では何10本も作品を生み出していても、この作品の1/10にも満たないレベルのものしか生み出せない監督はざらにいる。脚本ではなく脚色すらも碌なものが作れないこの国の大半の監督・脚本家が参考にすべき作品であることは間違いない。

そんなこの作品の根底にあるものは、犯人がルールを作り、犯人が与えた範囲内で被害者は生死を選択しなければならないという、犯人の神格化である。つまりこの作品は犯人が神になる価値のある人間でなければ破綻する可能性を秘めていると言うわけである。簡単に言うと、
この犯人なら人の生き死にを左右する権利があると納得させられる犯人像を作り上げなければまずいのである。

そして、この作品はそういった犯人像の創作にある程度成功している。


■ヴェールに包まれた謎を読み解く楽しみ


リー・ワネル ケイリー・エルウィズ
主役の一人アダムを演じるリー・ワネルは本作の脚本を書き上げた青年でもある。一方、ドクター・ゴードンを演じたケイリー・エルウィズ(1962− )は、ユーゴスラビア人の裕福なインテリア・デザイナーの子としてロンドンで生まれ、名門ハロー校を卒業し渡米し演技を学んだ人である。代表作は『アナザー・カントリー』(1983)『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)『グローリー』(1989)『ライアー・ライアー』(1997)等。

「私はこの脚本を一気に読み上げた。そんなことは今まで一度もなかったことだ」ケイリー・エルウィズ

「(このノコギリは)鎖を切るためじゃない。足を切れ≠ニ。犯人の見当がついた」

ドクター・ゴードンのこのセリフ。ここから映画は加速的に面白くなっていく。
サスペンス映画の基本であり最も重要なポイントは、多くのヴェールに包まれた謎が存在することであり、そのヴェールがはがされていく緊張感にある。このはがし方がサスペンス映画を作るに当たって難しいポイントなのである。


■現実を超越した超現実の体感


ソウ ソウ
『ジグソウ・キラー』犯人は連続殺人犯である。それにしても、ジグソウに殺害された最初の被害者の映像は、まさにクラブ的感覚ではないか?こういうMTV的かつクラブ的な映像センスが最近のハリウッドではもてはやされている風潮がある。ここでMTV的かつクラブ的センスの映像とはどういったものかを述べよう。

それはスポットライトを当てて対象物をいろんな角度から見せるショットのことを言う。心理学的に言うと、人間は肉体的には一つの視点からしか物を見ることは出来ないが、そこに記憶による第二の視点が出来、さらには、他の人からの話で植え付けられた印象と言う第三の視点が生まれる(予断ではあるが、ここに妄想という第四の視点が入り込むと、人は芸術家か精神病患者になるのである)。

そういったいくつもの視点を映像上で一気に表現しようとサブリミナル効果を駆使して作り出す映像が、MTV的かつクラブ的センスの映像なのである。そこに表現されているものは、
現実を超越した超現実の体感なのである。

それにしてもこの男自殺未遂常習者であることによって、
他人に自分への気持ちを傾けさせるための道具として「死」を使っていた行為の代償として、カミソリワイヤーで張り巡らせた部屋に閉じ込められたのである。この点に関しては自殺未遂常習者の独善性をよく経験している私からしてみれば、いい気味と感じる節もある。


■最前列で見るのが好き それは現代人の本質


ソウ ソウ
「ジグソウ≠ヘ最前列で見るのが好きなようです」

ジグソウに勝った女・アマンダ(ショウニー・スミス )が登場する。顎破裂器をつけられたアマンダの姿の凄まじいこと。そして、KORNあたりのビデオ・クリップで2000年あたりからよく登場していたピエロのような不気味なパペット。

「やあアマンダ。私は君の事を知っている。さあゲームをしよう」

究極の幼稚さがココにはある。そして、ここまで幼稚さを突き詰めていると逆に清い。しかし、この後にアマンダがパニック状態になるシーンの映像テクニックは、MTVにおいて使い古された手法であり、安易にパニック状態をあおる手法であり陳腐すぎる。観客もパニック状態に浸らさるためにはカメラを回転させて画面をぐだぐだにかき乱すのが最善であると言う考えは安易過ぎて今の時代(2004年当時においても)面白みにかける。しかし、絶大なる効果を生み出す手法だということもまた事実である。

ソウ ソウ
そして、自転車に乗って、パペットが登場するやられた!≠ニ思わせる展開。麻薬中毒であるアマンダに生の大切さを教えるために、パペットは言う。
「おめでとう。君はまだ生きている。多くの人間は、生≠ノ感謝をしない。だが君は違う。今日からはな」と。しかし、この顎破裂器をつけられ、他人を殺し内臓から鍵を探し出した経験のトラウマの方がより、麻薬中毒にアマンダを貶める要因になりはしまいか邪推するのだが・・・・・


■何気に豪華な脇役ではあるが・・・


モニカ・ポッター(1971− )とダニー・グローバー(1946− )といった名の知れた俳優がこの作品に出ているが、いまいち存在感を発揮し切れていない。それは一重に役柄によるものであろう。特にモニカ・ポッターは、『コン・エアー』『スパイダー』で見せた幼げな美貌を全く生かされていなかった。この女優の知性と幼げな美貌のアンバランスな魅力を生かした作品を誰か早く作り上げて欲しいものだ。この女優はなかなかいいものを持っている。

ダニー・グローバーは、連続殺人犯を追いかけるタップ刑事役を演じるも、脚本上の設定の不可解さによりまったく駄目な役柄になってしまっていた。同僚の刑事が殺され、その復讐に燃え狂気に満ちたストーカーになるという設定は唐突過ぎであり、あまりにもありえなさすぎる。一方タップ刑事の同僚・シン刑事を演じたケン・レオン(1970- )は相変わらずいい味を出していた。


■かなり好みなルックス アレクサンドラ・シュン


アレクサンドラ・シュン アレクサンドラ・シュン アレクサンドラ・シュン
アレクサンドラ・シュン。演技力云々ではなく私の知り合いの女性に似ている。瓜二つに見た目・体型もそっくりなので、とても他人だとは思えない。韓国系アメリカ人の彼女だが、この美貌をもっとスクリーン上で見たいものだ。冒頭でドクター・ゴードンの師事を仰いでるシーンからエロエロフェロモンがムンムンしていた所が実によろしい。


■カイザー・ソゼが生み出した殺人鬼ジグソウ


ジグソウ ジグソウ
そして史上最強のラストのどんでん返しへとなだれ込む。なんと画面の最前列にいた死体がジグソウだったのである!この登場シーンの見事なこと。しかもこのオヤジの不気味さがかなり良い。この男こそ、ドクター・ゴードンの病院にて末期の脳腫瘍と診断されベッドに横たわっていた人である。このジグソウは『ユージョアル・サスペクツ』のカイザー・ソゼを参考に作り上げたらしい。

姿は見えなくても存在感のある謎の悪役を作りたかった

ジグソウを演じるトビン・ベル(1947- )。名門アクターズ・スタジオで学び、1988年『ミシシッピ・バーニング』でデビュー。『グッドフェローズ』(1990)『ザ・ファーム/法律事務所』(1993)『ザ・シークレット・サービス 』(1993)『クイック&デッド 』(1995)『ソウ2』(2005)『ソウ3』(2006)に出演している。

吹き替え無しでずっと横たわっていて死体のフリをしていたというのだから素晴らしい役者魂である。
実生活は2人の子供の親父でリトルリーグのコーチもしているという。


■ゲームオーバーっ!


ソウ
「多くの人間は生≠ノ感謝をしない。だが君は違う。今日からはな。ゲームオーバー」

そして、アダムは地下室に取り残されたまま放置され、ただただ叫び声だけがこだまするのであった。


■SAWの持つ意味


ソウ
本作は製作会社を探すために8分間のパイロットDVDを制作し、脚本の売込みをはじめた所から始まった。構想から撮影までに2年かけ、なんと18日間で撮影を終了したらしい。それは『メメント』の21日間よりも速い驚異的スピードである。まず最初にバスルームのシーンを6日かけて撮影したらしい。

この作品は監督・脚本の2人自身も認めているが、最近の他の作品(『ユージョアル・サスペクツ』『トレイン・スポッティング』『CUBE』『セブン』『エスケープ・フロム・LA』等)のエピゴーネンに過ぎない側面が多分にある。しかし、全ては模倣から始まるのであり、だからといって当時26歳の若者達が作り上げたこの作品の素晴らしさを過小評価する要素にはなりえないであろう。

この「SAW」という題名は多くの事柄にかけられた実に見事な題名である。
@SEEの過去形としての「SAW」。つまりアダムとゴードンの真ん中の死体こそが、ジグソウであり見ていた≠ニいう意味。
A鋸の意味としての「SAW」。
Bそして犯人ジグソウ=JIGSAWの部分をとっての「SAW」。
Cシーソーゲーム(SEESAW GAME)=刻一刻と立場が逆転する意味の部分をとっての「SAW」。


■ジグソウの共犯者は彼しかいない


この作品の主人公であるゴードンとアダムが結局死んだのかどうかは、作品中では明らかにされていない。そして、監督・脚本家自身も観客の想像に任せると断言している。つまるところ優れた作品の慣例にしたがって、何通りの解釈もできるように作ったと言うことである。ただし、
結果的に言えることは生命の重要性を強制的に教え込まれることは、死よりも最悪なトラウマと現実問題に直面するだけかもしれない。

ゴードンにおいては、片足の損傷、アダムにおいても身体的な障害は免れないだろうし、それ以上にメンタル面に問題が出てくるだろう。少なくとも二度と二人はバスルームには入れなくなるだろう。

作っていた二人(ジェームズ・ワン/リー・ワネル)は、一つの結末しか考えずに作品を製作したと語っている(想像は観客に委ねているが・・・)。末期癌患者が犯罪の全工程を行えるはずなどないことぐらい2人も重々承知している。つまり共犯の存在である。つまり写真・情報収集活動に最も近いものが共犯である可能性がある。つまりあの男とジグソウは共犯だったのかもしれない。そう二人にとって明確な一つの結末。
それはアダム(=リー・ワネル)が共犯者だったのである。

− 2007年11月22日 −


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