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ソウ2   SAW II(2005・アメリカ)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 100分

■スタッフ
監督 : ダーレン・リン・バウズマン
製作 : マーク・バーグ / グレッグ・ホフマン / オーレン・クールズ
製作総指揮 : ジェームズ・ワン / リー・ワネル / ピーター・ブロック / ジェイソン・コンスタンティン / ステイシー・テストロ
脚本 : ダーレン・リン・バウズマン / リー・ワネル
撮影 : デヴィッド・A・アームストロング / キット・ホイットモア

■キャスト
ドニー・ウォールバーグ(エリック・マシューズ)
ショウニー・スミス(アマンダ)
トビン・ベル(ジグソウ)
ディナ・メイヤー(ケリー)
グレン・プラマー(ジョナス)
ソウ2
そして、その世界観は、独りよがりへと加速度的に暴走していく。「人は如何にして暴走していくのか?」この作品の都合の良い内容が、知性の欠けらもない登場人物を媒介にしたゲームへとただ導いていく。単純に楽しめるか楽しめないかは、刺激を求めるか求めないか次第。この作品にはそれ以上は何も期待してはいけない。表面的なものさえも薄っぺらな裂け易い薄氷のような寒々とした作品。

■あらすじ


強引な捜査が持ち味の刑事エリック(ドニー・ウォールバーグ)の情報提供者だった男が殺害される。殺害現場には連続殺人犯ジグソウからのメッセージ「もっと近くで見ろ!エリック刑事」と書き記されていた。エリックたちはジグソウのアジトを急襲し、ジグソウ逮捕し成功する。しかし、そこには8人の男女が監禁されてる姿が映し出されたモニターが存在した。そして、そのうちの一人はエリックの息子だった。


■若者の熱気がさまざまな欲望に取り込まれ凡庸化した


ソウ2
第一作目の余韻を引きずりつつ、この作品は観客の欲望を満たす為だけに邁進する。
もはやこの作品の主導権は作者にはなく観客にあった。それはまさに最近の続編ラッシュを象徴するように観客の顔色を窺いながらご都合主義で塗り固めて利益を上げようとする類いの作品に成り下がった瞬間だった。

観客の欲望を忠実に満たしたものだけが讃えられえることこそ、拝金主義者の鉄則である。金を生み出した作品は無条件に褒められる。そして、
そういった作品は得てして登場人物の感情を掘り下げていくことなどハナから放棄し、ただただ結末に向って全力疾走するかのように物語は進んでいく。

「ジェットコースター」のように緩急はあるがスリルと緊張感以外は何も残らない。この作品は二人の若者が『ソウ』という世界観を身売りしてゼニ儲けに走った・・・それだけの作品だった。


■映画の陳腐さを語ろうとしない映画関係者の欺瞞


しかし、最近の映画の記事を書く連中の脳みその出来具合の悪さには、呆れるばかりである。まぁ金のために提灯記事を書く連中を映画評論家や映画ライターとは認めがたいが、
それにしてもまともな脳みそがつまってるのか?という疑いを持たれかねないバカな8人組の冴えない密室劇とこれまた情緒不安定な刑事の幼稚臭いドラマを良くも褒めれるな?という感じである。

映画について書く連中は、最近ごく一部を除いて古い映画について語る力がないので、どれもこれも同じような書き方に終始してしまう。つまり「2作目はとんでもない駄作になるというジンクスを打ち破った作品」といったくだりから始まる感じである。

さらには、この作品は面白いと続いていくのだが、この作品を面白いという映画関係者の神経を私は疑う。20代の男性が作った作品だが、その内容はあのゲーム感覚で塗り込められた駄作『バトルロイヤル』の焼き直し(監督自身が言及している)であり、人間性不在のご都合主義に満ちたただの殺人劇ではないか?

こういう根暗な映画学校の生徒が書いたような脚本をもとにした作品が、全米ナンバー1ヒットを記録すること自体あの国の文化的素養の低さを象徴するが、一般の観客はともかくとして映画に関わる人間が絶賛することは明確に、その人間の映画に対する姿勢の陳腐さの証明以外何者でもないだろう。


■アイアン・ヘッドの突き抜けた残酷描写から始まり終わった


ソウ2 ソウ2 ソウ2
「さあ、他人ばかりでなく自分を見つめられるか試そう」

私はこの作品を観て全く退屈せずに楽しめた。しかし、鑑賞後すぐにその知性の欠けらも見いだせない内容にうんざりさせられた。本作において視覚的に賞賛に値するトリックは一つしかなかった。それは私のホラー映画好きの感覚から賞賛に値するという事であり、そういうものが嫌いな人にとってはただの度の過ぎた残酷描写に過ぎないだろう。

そう冒頭の
デス・マスクのシーンである。デス・マスクを外す鍵は自分の目の中にあるという設定。つまり自分の目ん玉を抉り出さないと鍵を取り出せないという超残酷なシチュエーションである。この設定だけが、前作『ソウ』の魅力(助かる為には大切なものを犠牲にしないといけない究極の展開)を引き継いでいた。そして、全てはココで終わっていた。


■東京の地下鉄テロ事件で使用された毒ガスを引用する良識の欠落


ソウ2
前作の密室劇の魅力は本作において放棄されている。より残酷描写を見せ付けるために登場人物を多くし、移動範囲も広くした。そして、幼稚臭い謎解きを解答なしに散りばめた。
その結果多くの観客を「スリル満点の作品だった」と煙に巻くことに成功した。しかし、そのうちの半数は2時間くらいも経てば「ほんとに面白かった?」と疑問を持ってしまう程度の薄っぺらさだった。

登場人物のIQの低さ、ジグソウの非現実的な用意周到さ、リセットなしでジグソウに都合よく進んでいく展開。つまるところ脚本家のレベルの低さが映像を支配していた。その最たるものが
「東京の地下鉄テロ事件で使用された毒ガス」が使用されたという設定だろう。

そんな即効性のある毒ガスを引用してまで物語を成立させようとする姿勢に、この監督(兼脚本家)にジグソウ並みの不気味さを感じさせる。
彼は映画を製作する云々の前に、まずは最低限の良識及び事実確認の重要性から学びなおさないといけないだろう。

しかも、コノ部分の日本語訳において、観ている観客を煙に巻くような対訳をしている体たらく振りである。
この訳者がプロであるなら観客を煙に巻く姑息な姿勢は自戒すべきである。他にも「首の後ろの数字」のくだりの訳といい恐るべき程の英語力の低さに驚かされる。

この程度の意訳ならワーキングホリデー・ビザでカナダに半年も生活すれば出来る。まさかそういった訳者が対訳を担当しているのだろうか?


■MTV監督は、映像をシャッフルして煙に巻く


「ルールは簡単だ。座って話をするだけ。最後までそうできれば息子は無事に戻る」


もはや前作に存在した暴力に対する理由づけが決定的に薄い。だからと言ってただの快楽殺人なのかと言えば、ジグソウにも後継者にもそういった描写は無く。何故か人を殺してるという「ただの殺人」が羅列されるだけである。特にあの娼婦のような女アディソン、黒人男性ジョナス、少女ローラはどう見ても殺されるほどの悪党には見えない。

タイムリミット、人間の絶望感の演出が致命的に機能していないのも本作の最大の欠陥となっている。そして、父と子の確執を見せ付けたのはいいが、それを回復していこうという描写も全く無く、二人の不和は平行線を辿ったまま終わっていく後味の悪さは、ただ脚本的に消化し切れなかった体たらくぶりに過ぎないだろう。

監督が致命的なまでに力量不足なので、4、5人の登場人物が一つの画面に登場する芝居において、ほぼ馴れ合いの緊張感にかける芝居が散在される。
つまり、ほぼ全てにおいて映画として成立さえしていない作品ということである。


■決して最前列で見るな!人間不在なサスペンスほどつまらぬものは無いから


ここで全く魅力的ではない登場人物たちの中で3人だけ、比較的マシな登場人物をピックアップしていこう。まずは、エリック刑事を演じたドニー・ウォールバーグ(1969− )。元ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーであり、マーク・ウォールバーグの兄貴。役柄の薄っぺらさはともかくとしてラッセル・クロウのような渋さの片鱗は見受けられた。

ディナ・メイヤー
そして、その相棒の女捜査官ケリーを演じたディナ・メイヤー(1968− )。彼女は凄く魅力的な女優なのだが、この作品における役柄は最も酷だった。ジグソウをずっと追い続けてきた捜査官であるにも関わらずほとんど何もしていない。

エマニュエル・ヴォジェ エマニュエル・ヴォジェ エマニュエル・ヴォジェ
ただ外見だけが魅力的なエマニュエル・ヴォジェ(1976− )。腕を入れると刃物が飛び出すガラスケースにブラりん状態になって出血多量の死を迎える頭の悪さはいただけないが、その蓮っ葉な雰囲気がかなりいい。しかし、役柄的な厚味が全く無いのでただ出演しているだけの存在に過ぎない。


■上滑りしている漫画のような陳腐な殺人哲学


「人はなぜ死の間際でないと考え方を変えない?」

「多くの人は時間など気にしない。それゆえに生の意味も考えずに一杯の水のうまさを味わうこともしない」

「生を尊重しない者は、生きるに値しない」

「絶望した者に代償と交換で希望≠与える」


現代人が安易に感心しがちな薄っぺらなセリフ。ジグソウが殺人ゲームを繰り返す根拠を示すセリフの薄っぺらさはすべてこの一言に凝縮される。
「だからと言って貴方が人の命を左右する権利がどこにある?」である。

しかも、前作でジグソウのゲームを乗り越えたアマンダは、ジグソウの追随者になったはいいが、やっている行為はただの復讐者に過ぎないのである。少なくともジグソウは彼の信じる信念(例え薄っぺらにしろ)に基づいて殺人行為を繰り返してるのだが、アマンダにはそれが全く無い。本作にカタルシスがないのは、アマンダの殺人にジグソウ的な方便さえも存在しないからである。


■そして、エリックの息子も殺人者へと転落していく


終盤で、リー・ワネルがこじつけ程度にとってつけたような前作のバスルーム・シーンが登場する。確かに前作の興奮よ再びな展開だが、このバスルームの設定が空回りしている。

そして、ネタ晴らしの例の音楽と共にその回転速度の速さで煙に巻くフラッシュバック映像が流され、ジグソウの後継者アマンダの「ゲームオーバー」の声と共に物語は終了する。しかし、もはやそこにはカタルシスはなかった。エリックの絶望感も、アマンダの「ゲームオーバー」の声音の凄みも、扉を閉める勢いの圧倒感ももはやそこには存在していなかった。

ソウ2
本作は元々26歳のダレン・リン・バウズマンが書き下ろしたシナリオに、続編を構想していたがネタ不足のために行き詰っていたリー・ワネルとジェームズ・ワンが便乗して「ソウ2」として仕上げたものだった。撮影は25日間で終了し、わずか6週間で編集を終え劇場公開された。

400万ドルという低予算で製作されたが、全米ナンバー1ヒットを記録した。

− 2007年11月23日 −


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