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ソウ3   SAW III(2006・アメリカ)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 108分

■スタッフ
監督 : ダーレン・リン・バウズマン
製作 : マーク・バーグ / グレッグ・ホフマン / オーレン・クールズ
製作総指揮 : ジェームズ・ワン / リー・ワネル / ピーター・ブロック / ジェイソン・コンスタンティン / ステイシー・テストロ / ダニエル・ジェイソン・ヘフナー
脚本 : リー・ワネル
撮影 : デヴィッド・A・アームストロング / キット・ホイットモア
音楽 : チャーリー・クロウザー

■キャスト
トビン・ベル(ジグソウ)
ショウニー・スミス(アマンダ)
バハー・スーメク(リン・デンロン医師)
アンガス・マクファーデン(ジェフ)
ドニー・ウォールバーグ(エリック・マシューズ)
ソウ3
はっきりいって狂ってる。それも天才的に狂ってるのではなく・・・拝金主義と名声にとり憑かれた20代の男が自己過信していった果てに到達した狂気という名の陳腐さ。そこにはもはや幼児にハイテク機器を与えたレベルの世界観しか存在しない。言葉は全て無意味と化し、映像も全て廃棄物のように垂れ流され、果てはコイツラの人生さえも無味乾燥と化したかもしれない。ただただ残酷に、新たな世界観を構築しているつもりが、実際の所は『ソウ』の世界観を破壊し、そこに残ったのは拷問映像のリアルさだけだった。才能の欠けらもない作品。これが大ヒットしているような国は狂っているとしか言いようがない。

■あらすじ


連続殺人鬼ジグソウ(トビン・ベル)が仕掛ける新たなゲーム。息子を交通事故で失った男ジェフ(アンガス・マクファーデン)は、ある日食肉工場の地下で目を覚ます。そして、そこには息子の交通事故に関連した3人が監禁されていた。テープレコーダーから流れるジグソウの声「キミは3人を赦すことができるのか?」


■一つの成功が才能を蝕んでいき凡庸化の一途を辿らせていく


「全五作で完結します」

全くココまで守銭奴精神が逞しくなるとは、
やはり20代で身分不相応な大金と名声を掴んでしまうと、人間は何の変哲もない守りの姿勢に入ってしまうというものだ。残念なことにこの『ソウ』を作り上げた二人(J・ワン、L・ワネル)から、もはや新たな創造物は生みだされないだろう。

才能の芽はかくして早くも摘み取られ、凡庸さの中に埋没していくいい例がこの二人である。

最近世界中で真の芸術家(創造者)が育っていかない時代的背景も、この二人の一連の成功劇が示している。
何かを創造するとすぐに評価されてしまいがちなので、才能のある人がその才能を伸ばしていく為に重要な苦悩、葛藤に満ちる事もなく、安易な自己過信の方向へと走ってしまう(もしくは自信のなさを薬物でごまかす)。

世の芸術家(創造者)にとって、最高傑作は、世に出した処女作、もしくは成功の荒波を乗り越えた後の渾身の一作であることが多い。しかし、
最近は成功の後の惰性の中の腐りきった何十作の羅列というパターン(タランティーノを筆頭に)が多い。


■垂れ流された言葉で腐りきった映像


この作品について語るべき言葉はただ一つ。
「排泄物の充満したクソったれ映像(映画ですらない)」である。やはりこの監督一から自分を見つめなおした方がいいだろう。

創造を破壊と履き違えているいい例であり、ただ単に残酷ショーを羅列し、その合間に「人命の大切さ」や「赦すことの大切さ」というキーワードを織り交ぜて新たな高尚さを生み出そうとしているが、こんな幼稚なやり方で生み出されるものは、所詮「お前たちが何を言っても説得力がない」という観客の実感だけである。

本作は明確に残酷描写で金を得ようとしている志でありながら、そこに高尚な哲学性を組み込もうとする歯切れの悪さが、20代の3人のクリエイターの姑息さを実感させてくれる。

そして、この作品を賞賛している映画ライターたちよ。もう少し映画の本質を勉強し直しなさい。娯楽映画ばかり観すぎていて脳みそが溶けているのは、最新映画の紹介文等を描いているライターたちかもしれない。もっとも今では一番あてにならないモノしか彼らは書かないので誰も本気で読んでいないからアレはアレで勝手に書かせとけばいいのだが・・・。折角の文才をもっと価値ある方向で発揮すればよいのだが・・・


■全ての殺人鬼の動機は、他人の運命を自らの手に委ねてみたい願望から始まる


ソウ3 ソウ3
小学校の教室で鎖で繋がれた男(この舞台設定がすでに狂っている)。助かる為には時間内に自分の身体に打ち込まれ鎖を肉を削いで引きちぎらないといけない。もうこういった感じのシーンのオンパレードである。ただただ人が残酷に殺されていく様を早回しとカットの多様で見せていく。

自分自身で自分の肉体を自虐することによって「生の有難さを実感」するという理論の陳腐さ。この論理は、腕や脚を傷つけて自分の生の実感≠得ようとする自虐以外の何者でもなく。あのジグソウの弟子がそうであるように、実はその行為は生の実感よりも死への憧憬≠ニ他人の死を軽く見る&向にしか導いていかない。


■これは映画ではなく、扇動的な映像に過ぎない


ソウ3 ソウ3
前二作に出演しているにも関わらず全く活躍していなかったケリー(ディナ・メイヤー)は結局本作においてほとんど活躍しないうちに惨殺される。しかもこれ以上ない残酷な死に様によって。

硫酸の中にある鍵を取れば助かるという言葉を信じて、必死の思いで鍵を取るのだが、元々犯人は彼女を助ける意思はなく、失意のどん底の中ケリーは殺される。この作品こんなシーンの連続である。ただの人間性の崩壊。脚本を書いた人(ワネル)は白い粉でもやりながら書いてたんじゃないか?と勘繰りたくなるほど
想像力が欠如しており、ただ鑑賞者の神経を逆なでして喜んでいるか、狂人の共感を煽っているとしか思えない。

どこかからそれっぽい高尚な言葉を手に入れアレンジし、残酷ショーを行う理由づけとしていく。私から言わせればコレを作ってるヤツラは、映画という媒体を悪用して擬似殺人を楽しんでるとしか思えない。



■「人は変われない」 そんなテーマに何の価値がある?


バハー・スーメク バハー・スーメク バハー・スーメク
古代エジプトの王妃の装飾品をモチーフにした残酷な仕掛けを装着される女医リンを演じるバハー・スーメク(1975− )はイラン出身の女優である(もっとも4歳の時にイラン革命によりアメリカに亡命している)。彼女の魅力だけが本作の唯一の救いと言っても良い。

後半で、前二作のネタばらしが強引に行われる。そして、全く爽快感はない。その理由は明確にこうである。例えば、最初から全三部作で物語が構成されていたならば、そのネタばらしにも感嘆できる。しかし、
コレはそうではなくつじつまあわせで考えられたその場しのぎ≠フネタばらしが披露されているだけなのだ。

そこには何の哲学性もなく、あるのはただ観客を驚かせたいという散漫な精神だけである。こういう安易な展開で素直に感嘆することができる観客がいたならば、その人の感性はかなりまずいものだろう。そういう人はもっと色々なものに触れてみるべきである。
「人間は何に感嘆するかによって、その人の知性のほどは知れる」


■もはや最後尾でも見る価値のない作品


ソウ3 ソウ3
中盤以降は、交通事故で息子を失った男の復讐心を試すシチュエーションが物語全般の中心となっていく。「赦せ!」とジグソウは言ってるのだが、作ってるヤツラは明確に復讐心を煽り、多くの死に様を見せたくてウズウズしていることが観客には分かるので、この辺りで映画館を去るかもしくは、殺人シーンを楽しむか観客の姿勢はどちらかに決まっていく。

ソウ3 ソウ3
そして、最後に交通事故を起した張本人である黒人男性が、残酷な処刑マシーンによって殺害される。ココで純粋に思うのだが、「彼がコンクリート殺人事件の犯人でもない限り、ここまでして殺されるいわれはないのではないか?」と。

この作品のもっとも恐ろしいところは、
こういった残酷シーンで金儲けをしているヤツラの虚無感溢れる姿勢以上に、コレに麻痺して飼い馴らされていく人々の姿が思い浮かぶところである。

心理学的に残酷さは娯楽として割り切れるものではなく、もっと深い人間の深層心理に影響するのである。こういう作品を10代から観ていたら10人に3人はイカレて来るはずである。


あの最後にぬいぐるみを片手に閉所に閉じ込められている少女を映し出すセンスなどは、心の底から腐りきったヤツラにしか出来ない諸行である。映画はたんなる娯楽ではなく、人間の深層心理に影響するトリガーでもあるという事をもっと映画製作者は自戒するべきである。


■幼稚臭い3人の若者に踊らされる世界の狂気ぶり


本作は前作の大ヒットを受け3倍の予算である1200万ドルで製作された。ジグソウは本作においても登場する。これは最近の世界的な傾向なのだが、「未練がましい」人間がやたら増えている。とにかくどんな分野においても続編∞なかなか死なない登場人物∞復活≠ェ繰り返されるのは、人類が未練がましくなっている顕著な現れである。

だからこそ何事に対しても、やる気がなく、他人ばかりを攻撃したがり、もっともっと私は上手くいくべきだと自己憐憫してしまうのである。ジグソウに拘り続ける製作者や観客を見ていると、もっと色々なものに目を向けてみなよと言いたくもなる。

「生きている人間より死体とのほうが相性がいい」

このセリフこそこの映画を作ったヤツラ及びこの映画にとり憑かれた観客に相応しいセリフである。

− 2007年11月24日 −


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