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世界大戦争   (1961・東宝)
■ジャンル: ドラマ/特撮
■収録時間: 110分

■スタッフ
監督 : 松林宗恵
製作 : 藤本真澄 / 田中友幸
脚本 : 八住利雄 / 木村武
撮影 : 西垣六郎
音楽 : 團伊玖磨
特技監督 : 円谷英二

■キャスト
フランキー堺(田村茂吉)
乙羽信子(田村由)
星由里子(田村冴子)
宝田明(高野)
笠智衆(江原)
日本で唯一、全面核戦争について描かれた作品である。これほどのスケールの物語を日本で撮り上げようとした当時の日本人の意気込みのすごさ。そして、円谷英二の温かみのある特撮技術を堪能せよ。多くの人が感じ始めているCGの無機質な違和感に対する答えがこの作品にあるといっても過言ではないだろう。

■あらすじ


アメリカン・プレス・センターの運転手をしている田村茂吉(フランキー堺)は、戦後の繁栄の下、懸命に働いていた。戦争中の苦労の中身体を悪くしている妻由(乙羽信子)を労わり、婚期も間近な娘冴子(星由里子)や息子の幸せを夢見ていた。しかし、そんな庶民の平凡な幸せを打ち砕く事態が勃発した。第三次世界大戦の勃発である。そして、遂に両陣営の核ミサイルのスイッチは押されたのだった。


■単なる特撮映画ではなく、志しの高い作品



この作品は『世界大戦争』という題名により多大なる損をしている。監督自身も『宇宙大戦争』と間違えられることは不本意と言っているようにこの題名ゆえに宇宙人や怪獣が出る映画と勘違いされ敬遠する人たちが多くいたのである。元々はタイトルも当初は『東京最後の日』『世界最後の日』等であった。そして、当時としては破格の制作費約1億3000万円(当時の通常の映画制作費の4倍)が投入された作品である。

團伊玖磨の壮大な序曲から始まるオープニングから、実に魅力的に古き良き日本の風景が映し出される。特に昔の白黒テレビが映し出されるシーンが良い。フランキー堺と妻役の乙羽信子が登場する。そのさりげない至宝の芝居により絶妙な当時の一般庶民を演じている。

この作品の優れた部分は、政府高官やスパイやジャーナリストや軍人を通してではなく、
一庶民を通しての大国のエゴと核兵器による亡国を描いたところにある。


■このタイムリーさ。60年代の方が国際的だったのでは?


本作は、同盟国軍と連邦国軍という名でこそあれ、当時の米ソ冷戦関係を描いている。映画の中では核ミサイルを発射しあうことになるのだが、実際に1年後の1962年10月15日から13日間にわたりキューバ危機が勃発し、米ソ核戦争勃発、まさにこの映画が現実のものとなる寸前だったのである。そういう事実を考えるといかにこの作品がタイムリーな作品だったかが分かるだろう。

「へえ、心配するなって事よ。地球ぶっ潰しておめえ、誰が得するんだよ」全うな人間ならこう考えるのだが、国と国の利権が絡むと実に愚かな所業が行われるのである。そして、この映画の中では描かれようのない重要なことは、
国家というものは常に愚かな行為に流されやすく、それを人智でもって静止することこそ政治家と役人の役割なのであるということである。古来そういう役割を果たさぬ国家は時間をかけて消滅するか、強制的に消滅させられるかどちらかの結末が待ち構えているのである。

「世界の戦争の歴史でね。火薬というものを初めて使ったのは蒙古の軍隊なんだよ。ほら元寇の役で。だから日本は火薬の洗礼を受けた世界最初の国なんだ。原爆の洗礼も最初に受けた 広島、長崎で。水爆の洗礼も最初に受けたビキニの灰で、だからそういう国に生まれた僕達若い者は、再び人類の上に戦争の不幸を招いちゃいけないんだ。たとえば、今度戦争になって誰か一人の人間が間違ってあるいは慌ててボタンを押したら、もうこの地球は取り返しがつかないことになるんだ」



■星由里子のエキゾチックな美しさ・・・極めて現代的



当時17歳の星由里子が実に若々しくて美しい。この頃の彼女はかなりエキゾチックな美貌の持ち主だったことがわかる。最初の方のシーンで、酔った父茂吉(フランキー堺)に「親に向かって口答えするのか?」と逆切れされてふくれっつらになるシーンなど、かなりの可愛さである。

気の強そうな所も岡田茉莉子の若い頃を髣髴とさせる。実際164pの長身の美女なので、日本で撮影された007のボンド・ガールに選ばれても遜色なかっただろう。

冴子(星由里子)の恋人・高野を演じる若き日の宝田明は長身で格好いいが、どうも彼の生き方から漂う当たり障りのなさ、調子の良さ、若者へ何かを提示するよりも迎合するその雰囲気が、本作のような役柄にはあっていない。悪くはないがもう少し意思の強そうな俳優をキャスティングをしてもらいたかったものである。ただし、モールス通信で電文を打つ。「コーフクダッタネ」のシーンはベタではあるが少し感動的である。

そして、政府首脳部を演じる役者の面々がすごい。首相に山村聡、官房長官に中村伸郎、外務大臣に上原謙、防衛庁長官に河津清三郎である。上原謙のキャスティングに関して松林監督はミスキャストだったなぁ〜と述懐しているのが実に興味深い。


■今家族団らんで最後の一瞬を迎えることの出来る家庭はどれだけ存在するのだろうか?



しかし、この最後の晩餐のシーンの情緒。ちゃぶ台を囲んで集まる母と父と子供達。果たして今の世の中で最後の晩餐をこういった形で迎えることの出来る一家はどれだけいるのだろうか?こういう最後の瞬間に家族の大切さをさりげなく描くところにこの作品の素晴らしさがある。

そして、
現代人にとって、こういう最後の晩餐を共に迎える人がいないかも知れないという所が全面核戦争よりもぞっとする現実なのではないだろうか?我々は何か大切なものを失ったのではないだろうか?

お稲荷さん、巻き寿司、メロン、オムレツをありがたる子供達と、そういったものをありがたらない子供達。そういったものを容易に食べさせてあげられる豊かになった現代と、そうでなかった1960年。私は、1960年の方に魅力を感じるのである。  


■本当に世界を滅ぼしてしまう本気≠ネ姿勢


フランキー堺が涙しながら絶句する夕暮れの物干し場のシーンはとても物悲しい。
「やい!原爆でも水爆でも来てみやがれ!俺達の幸せに指一本指させねぇから! 俺達は生きてんだチキショウ! チューリップの花が咲くのを見て、俺は楽しむんだ! 母ちゃんには別荘を建ててやんだ 冴子にはすごい婚礼さしてやんだい! 春江はお前スチュワーデスになるんだしお前 一郎は大学に入れてやんだよ! おっ俺の行けなかった お前大学によぉ!」

そして、それと並行して描かれている中北千枝子扮する母親が保育園にいる子供に最後クリームパンを食べさせてあげようと走り疲れて死んでしまうシーンがすごく悲しい。一方、保育園に残った子供達にイソップの「2匹のヤギ」の絵本を読む保母さん(白川由美)の姿も物悲しい。

しかしこのシーン、ワールド・トレード・センターの同時多発テロが起こっていた瞬間にジョージ・ブッシュ大統領が訪問した小学校でヤギさんの絵本を読んで聞かせていたという奇妙な共通点を連想させてくれる。

本作をはじめて見た高校生の時、本当に核攻撃が始まり地球が滅びる結末に唖然とした。映画史上ここまで核戦争を詳細に渡って描いた作品はないだろう。


■この頃の特撮には温かみ≠ェ存在していた



円谷英二の偉大さは、今だからこそ受け入れやすい。その特撮技術の魅力は一言で言うと
手作り感覚なのである。CGによる特撮が生み出すものは、無味乾燥以外の何者でもないことがほとんどであることを考えると、彼の特撮の温かいこと温かいこと。ある意味子供心をくすぐるその特撮。

特に東京に核爆発が起こるシーンの見事さ。迫りくる弾道ミサイルを国会議事堂上空に静かに侵入してくる光の点で表現する発想には正直驚かされた。これが普通の特撮監督ならもっと大掛かりな表現形式をとるのではないだろうか?

東京、ニューヨーク、パリ、モスクワ、ロンドンと主要都市が核ミサイルにより崩壊するシーンは、
ウエハースとうどん粉で作ったミニチュアを逆さにして撮影したという。その後、『ウルトラセブン』、映画『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972)『惑星大戦争』(1977)『ゴジラVSデストロイア』(1995)など様々な作品に流用された。


■滅亡の美学・・・円谷特撮の芸術性



溶岩に飲み込まれていく国会議事堂。このシーンは鉄を流し込んで撮影したという。この大胆な発想力を形にするところが、円谷特撮の凄さだろう。ある意味この破壊様式の美しさこそ、サム・ペキンパーとは全く違った角度からの「滅びの美学」を円谷英二は常に追求していたのではないだろうか?


富士山の背景がきのこ雲というコントラスト。これはまさしく世界に対してのメッセージ性を意識してのカットだろう。映画というものを世界に向けて発信するんだという意識。井の中へ中へと入り込んでいっている感がある現代の映画界も見習うべき情熱であろう。


■笠智衆の存在感を噛みしめよ



世界中の主要都市が破壊及び被爆し、やがて死の灰で死ぬことが決定付けられた高野を含む笠置丸の人々が悲壮な顔をして集まってるところに、炊事長の笠智衆が「船長、おいしいコーヒーを入れて参りました」とノコノコ出てくる。

「何がどうなろうと熱いのをぐっと飲んで ああこらうまいと思うのが・・・なんつったらいいかな わしにはうまく言えないが、人間の生きている権利ですよ。人間は誰でも生きていく権利があると言うのになあ。それを同じ人間が奪い取るなんてどっか間違ったんだ。みんなが今東京へ帰りたいというように、生きていたいと言えばよかったんだ。もっと早く人間みんなが声をそろえて戦争はイヤだ 戦争はやめようと言えば良かったんだ。人間は素晴らしいもんだがなあ・・・。一人もいなくなるんですか・・・、地球上に・・・」
このセリフは、本当に名セリフである。そして、この笠智衆の存在こそが本作品の肝なのである。


■橋本忍バージョンも気になるのだが・・・


しかし、一方で本作品は、戦後の日本に蔓延していた国際政治に対する現実感の欠如と戦争に対して、そして、平和に対しての独りよがりの部分も、奇しくも日本政府が世界に発する停戦への呼び掛けがまったく顧みられないという点によって、監督の意図とは別に見せ付けられるのである。

当初は2ヶ月間監督就任の要請を拒否していたという松林宗恵監督は、学徒出陣により実際に海軍士官として太平洋戦争に従軍した経験を持つ。本作品を「無常観」をこめて描くことを心掛けた。そして、アメリカ映画『渚にて』(1959)を参考にしたという。そして、12回の改稿を経たシナリオも当初は橋本忍が担当していたが、その脚本の生々しさと平和のメッセージよりもむしろ核戦争の中での人間の混乱と醜さに焦点が絞られていたので改稿されたという。

しかし、ハロルド・コンウェイを含め外国のエキストラが3000人動員されたらしいが、その演技力のなさには監督自身も演出を妥協せざるを得なかったという。


■得たものより失ったものの方が多かった・・・


この物語はすべて架空のものであるが、明日起きる現実かも知れない
しかし、それを押しとめよう!われらすべてが手をつないで・・・
まだそれが起こらないうちに

最後に流れるテロップがこれである。このテロップを見ていろいろな感情・意見が出るだろうが、そういったいろいろな問題提議を人々の中にくっきりと示してくれるこの作品は、そういった次元において文句なしの名作である。

そして、そういったメッセージ性と同じくらい、フランキー堺、乙羽信子、星由里子、笠智衆といった素晴らしい俳優の情緒溢れる芝居が見れる部分においても素晴らしい作品といえるだろう。この作品を見ていると今の日本が失った心地よい香りが漂っているのである。あの香りの大切さを我々は確実に感じ始めているのである。

− 2007年3月18日(2007年11月13日修正) −


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