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新選組   (1969・三船プロ)
■ジャンル: 時代劇
■収録時間: 122分

■スタッフ
監督 : 沢島忠
製作 : 三船敏郎 / 西川善男 / 稲垣浩
脚本 : 松浦健郎(沢島忠)
撮影 : 山田一夫
音楽 : 佐藤勝

■キャスト
三船敏郎(近藤勇)
小林桂樹(土方歳三)
北大路欣也(沖田総司)
三国連太郎(芹沢鴨)
司葉子(つね)
中村錦之助(有馬勝太)
なんだ?このみなぎる迫力は、なんかこの作品異様なほどの『武士の美学』に対する拘りに満ちている。今の日本人が失いつつあるこの感覚。本当に失っていいのか?この不動の自信。これこそこれからの時代に必要な尊敬される日本人像ではないか?今TVとかで見る日本人に胡散臭さを感じている若者達必見の「ホンモノの日本人な作品」内容よりもこの空気を楽しめ!

■あらすじ


多摩から幕末の動乱の中、京都に出てきた近藤勇(三船敏郎)と土方歳三(小林桂樹)は、芹沢鴨(三国連太郎)と共に「新撰組」を結成する。芹沢鴨暗殺、池田屋事件、鳥羽・伏見の戦いを経て「新撰組」は、尊皇攘夷の流れに対抗して徹底抗戦するも、追いつめられていく。


■この臭いが幕末か!


この異様なほどの存在感は一体なんだ?
誰が誰に似ているとかそういう次元を超えてこいつらなんでこんなに目が血走ってるんだ!ということに驚かされる。これが昔の役者のパワーか??2004年に大河ドラマで延々とやっていたが、あれに欠けていたのがこれだろう。素晴らしい脚本の下役者達もそれなりの魅力を発散していたが、本作にある幕末の狂乱にも満ちた日本人が失いつつある気骨があれには欠けていた。

時代劇に気骨があった。三船敏郎という当時49歳の役者が映画出演100本記念にこの作品を選んだ理由は、近藤勇という男に対する熱き想いからだろう。史実にも忠実でなく、役者も外見や年齢的には実在の人物の役柄とは全く合致していない。しかもかなりの登場人物が綺麗ごとで描かれすぎている嫌いもある。しかし、この作品には幕末を感じるのである。


■三船敏郎の存在感を素直に感じよ!


近藤勇を演じる三船敏郎(1920−1997)という役者はその一本調子な演技故に、よく大根役者と言われる。たしかに一部の作品においてミスキャストから生まれているやる気のなさは存在するが、この人の場合は黒澤明を始めとする名監督によって引き出される資質と、そうでない場合の差が激しすぎるのである。

しかし、一本調子な芝居においても圧倒的な存在感を見せ付けてくれている場合が多い。つまり、私達が三船敏郎の演技力を比較する時に特に黒澤明作品を対象にしてはいけない。黒澤作品に出演している全ての役者にいえることだが、黒澤明によってある種仕組まれた存在感が、恐るべき程の動力をかけて生み出されているからである(例えば「赤ひげ」において加山雄三が泣きの芝居をするために自然に泣けるまで3週間撮影中止までする監督なのである)。

三船敏郎には2人の三船敏郎がいる。黒澤明と仕事をしている三船敏郎と、黒澤明から解放されている三船敏郎である。本作は後者なのだが、この三船は、近藤勇の空気を見事に体現した芝居をしていた。

「切腹は武士に与えられた最高の名誉である」

そう三船扮する近藤勇が断言するシーンには、凄まじいほどのカリスマ性が存在している。このセリフでこれ程の迫力を出せる役者が現在日本において何人存在するだろうか?三船敏郎=大根役者と言及する前にこの点についてよく考えてみるべきである。


■ひたすら不器用に!熱気で乗り越えよ!


「斬っても斬っても斬りつくせない それでも斬るか?」


殺陣シーンのカメラワークなぞは、はっきり言っていい出来ではない。しかし、逆にこの出来の悪いカメラワークすらもがリアルな殺気につながっている。同じく出来の悪い編集、飛び散る血しぶき、最後に近藤が断首される演出には、限りなく低レベルな演出力が伺える事は言うまでもないが、それであっても、多くの役者の死に様には、昨今の映画には見られない熱気がこもっている。

映画と言うものに熱気が失われたことと、こだわりのない人間の増加は反比例しているだろう。
昨今の世界中の映画及び芸術の凡庸さの原因の一つには、熱気ではなく小賢しい器用さのみが流通している故だろう。これだけ凡庸さがもてはやされれば、逆に言うとこれからの時代は「熱気のある頑固者たちの時代」へと再び戻っていく可能性がある。


■そして、この男2人の弱さと迫力


三国連太郎(1923− )。彼が「新撰組」初代局長・芹沢鴨を演じるのだが、三国連太郎という役者は、こういう「豪傑」な役柄をやらせると素晴らしくうまい。
リアルな殺気、殺気の中に秘められた弱さ、弱さゆえの怖さ、そういった次元を突き抜けた大きな存在感に満ちている。

この人と三船敏郎が一緒にいるとそれだけで、もう映画が引き締まってくる。これは終盤において有馬藤太を演じた中村錦之助(1932−1997)と三船敏郎のツー・ショットの存在感にも共通している。

「あなたも官軍の将 他人の痛さを知るべきだ」

「文武に優れたものでも人の情の分からぬものは獣と同じです」


こういう素晴らしいセリフを、耳に心地良く響く迫力ある発声でもって、見事なセリフ廻しで言うのである。と言ってその分この2人が出てこない中盤は、気の抜けた炭酸飲料のような作品になっているのかといえばそうではなく、中盤においては、他の役者達が集団で熱い個性を発揮しているのである。


■「新撰組」の本質を最初に示した作品


「批判 憎しみ 呪い 結構。隊士を引きずってゆくには血と涙はいらん。凍った血でいいのだ」


そう特に「新撰組」のダーク・サイドを全て引き受けた鬼の副長%y方歳三を演じる小林桂樹(1923− )の存在である。この存在なくして、本作の魅力は生まれなかっただろう。
この誰が考えてもミスキャストな土方役を、誰が演じた土方よりも魅力的に演じたこの力量は恐ろしいばかりである。

さらに山南敬助を演じる中村梅之助(1930− )のこの温かさと沖田総司を演じる北大路欣也(1943− )の若々しい活力がこの作品の桂樹=ダーク・サイドに対抗する明るさとなっていた(ちなみに北川美佳(1948− )とは三船敏郎の2人の子を産む人である。この当時の芝居はおそまつだった)。

さらに、河合耆三郎を演じる中村賀津雄(1938− )。この役柄は、なかなか味のある役柄で現代的である。武士に憧れ刀を持つ商人。「武士として死ねるんですね」といって切腹しようとするが、死に切れないで逃げ惑い切り殺されるそのはかなさ・・・。

「新撰組」というアウトロー集団が実は「恐怖の掟に縛られた組織」であり、それ故に時代に残す大きな出来事を生み出し、くぐり抜けていったのだが、その影には多くの血と涙が流されていたことを感じる瞬間である。

この作品は現在においても、「新撰組」と幕末の本質をかなり容易に匂わせてくれる作品だろう。


■美しいロケーションと美しい華


ちなみに冒頭、近藤と土方が多摩川を歩くシーンにおいて、実際に歩いている橋は、時代劇のロケで有名な京都の木津川にかかる流れ橋である。この橋は終盤においてももう一度登場するのだが、実に美しい情感に満ちた風景に溢れる場所である。他にも松本酒造酒蔵なども登場しているのだが、
こういった今も残る美しい京都の姿を古き映画の中でふと見つけると、日本古来の風景がいかに心の平安と気分転換に結びついているかを痛切に感じるのである。

最後に近藤の妻つねを演じた司葉子(1934− )。この人はその物腰といいセリフ廻しといい、本当に素晴らしい日本の女優である。彼女は1960年代において間違いなく3本の指に入る可憐なる名女優だろう。特に『秋日和』(1960)においての岡田茉莉子との共演は邦画史上に残る素晴らしさだった。

もっともっと評価されてしかるべき女優である。司葉子の魅力。
それは女のはかなさ、刹那さ=日本的なエロティシズムである。

− 2007年7月12日 −


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