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らせん階段   THE SPIRAL STAIRCASE(1945・アメリカ)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 83分

■スタッフ
監督 : ロバート・シオドマク
製作 : ドア・シャリー
原作 : エセル・リナ・ホワイト
脚本 : メル・ディネリ
撮影 : ニコラス・ムスラカ
音楽 : ロイ・ウェッブ

■キャスト
ドロシー・マクガイア(ヘレン)
ジョージ・ブレント(ウォーレン教授)
ロンダ・フレミング(ブランシュ)
エセル・バリモア(ウォーレン夫人)
エルザ・ランチェスター(オーティス夫人)
らせん階段
最後の最後まで言葉を発さないヒロインを演じるドロシー・マクガイアの愛らしさ。人間本来の魅力というものは、豊かな表情によって作り出されるという事が彼女を見ていると再認識させられる。顧みて現在、度重なる整形によって表情の変化に乏しくなった俳優達、そして、同じく表情のない政治家・・・本当に大切なものを失っている人達はこういう人達のことをいうのではないだろうか?本作のヒロインは最後に声を取り戻した。しかし、彼らは失った大切なものを取り戻せるのだろうか?いやその前に何か大切なものを失っているという事すら気がついていないかもしれない。

■あらすじ


20世紀初頭にニューイングランドの町外れに古びた大きな屋敷があった。そこで働く女中ヘレン(ドロシー・マクガイア)は、幼い頃の事故により口が利けなかった。町ではこのところ障害を持った美しい女性ばかり狙う連続殺人鬼の話題で持ちきりだった。そして、ヘレンも自身の身を案じていたのだったが・・・


■白と黒がくっきりと浮き立たせる曲線と直線


らせん階段
ドロシー・マクガイア(1916−2001)という女優が生み出す魅力。吸い込まれるような表情の変化の可憐さ。耳は聞こえるが、話すことはできない女性を見事なまでに感傷的に、そして愛らしく演じている。
言葉が話せないという事が、女性を如何に魅力的に変えてくれるのか?制限の中で歯を食いしばって生きる女性の美しさとほとばしり出る尊厳。ドロシーはそれを体現出来ていた。

そして、こういう作品を見るよく分かる。白黒映画というものが、如何にして現実との隔たりを生み出し、映画が映画としての価値を生み出すことになったかという事が。
そのまま見せるのではなく、鑑賞者に多くを考えさせるのが本来映画の持つ力だった。

カラー映画がより現実に近い色合いになるにつれて、映画は映画であることを放棄し、アニメーションに近づこうとしている。その理由は何故か?その答えは、
制作者が映画の中で制約を受けなくなったことにより、創造的な仕事(本来創造的な事は悪いことではない)が膨大に増えてしまい、想像力を働かせる余裕がなくなってしまったからだろう。一から十まで伝えないと気のすまない作品が増えている。

蝋燭、らせん階段、女性、曲線と直線が二つの色によってくっきりと鑑賞者に訴えかける力。想像力を養わせる力が昔の映像にはあった。


■本当に表情がイチイチ愛らしいドロシー


らせん階段 らせん階段
D・W・グリフィスのサイレント映画が流れる中、そのシーンに合わせて
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」の第1楽章を奏でる中年女性の姿が映し出される。やがて本作のヒロイン・ヘレンを始めとする観客がスクリーンに反応する姿が映し出される。サイレント時代の創成期の映画を観る観客の姿を再現することによって見せる新鮮な感覚に対する恐怖と好奇心。この作品の根底に潜むテーマである。

そして、本作のハイライトシーンでもある
殺人鬼の眼球ショットが現れる。クローゼットの衣服の間から現れる眼球の怖さ。その眼球に投影される被害者の姿。被害者の手が頭上で交差され、やがてねじれていく。そして、一仕事終えた殺人鬼は、次の獲物を求め彷徨う。

その後に続くヘレンと彼女が慕っているパリー医師の馬車内でのやり取りや彼女を愛おしく思っているウォーレン夫人とのやり取りが生み出す安堵感。特に紙に包まれた石炭を暖炉の中に投げ込んでいる姿と、寝ている振りをしながらそれを見つめる夫人。やがてくるっと無邪気に振り向くヘレンの姿の愛らしいことと言ったらない。そういったものが、緊張感溢れる迫り来る恐怖の描写と見事に交差し、スパイラルの渦のように物語自体を引き上げていく。


■女神のように美しいロンダ・フレミング

ロンダ・フレミング ロンダ・フレミング ロンダ・フレミング
20分もたった頃に、忘れた頃にやってきた美女。どこまでも美しいロンダ・フレミング(1923− )。私の大好きなローラ・リニーという女優によく似た雰囲気の女優であり、この人のクールビューティーがこの作品に華々しさと怪しげな輝きを添える。白黒映画というものは光と影によって美女をより美女として輝かせる。

それにしてもこの作品が、撮影された1945年とは、日本が戦争に負けた年である。そんな最中にこんな作品を撮れる国とよくまあ戦争したものだ。文化を見るとその国の底力は分かると言われている。そういった意味においては今も昔もアメリカという国は良くも悪くも強力な力を持った国である。

一方、日本はアジアの中でもすっかり成りを潜めつつある惨めな位置に追いやられつつある。それを自覚しないとまた再び日本は大変な事になるだろう。


■愛情の示し方を知らない親が、怪物を作る


ロンダ・フレミング ロンダ・フレミング ロンダ・フレミング
この作品の殺人鬼は、外見が魅力的でありながら障害を持つ娘ばかりを殺害している。何故彼はそうなってしまったのか?物語の中でも言及されているが、父親から「強い男になれ」と叩き込まれた反動らしい。そして、継母にも愛されない孤独感。

両親が、子供の本質を見抜こうとせずに「こうなれ!」と押し付けることによって、その子は親に押し付けられた「人間像」と自分がなんとなく望む人間像の間で葛藤し、やがて、大きな魔物に追いかけられるようになる。そして、そんな強迫観念に、押しつぶされていく。

この殺人鬼である男性もまた被害者だった。そして、彼は継母に殺害されてしまう。本当の元凶はココにあった。自分の実の息子を殺人鬼と疑い、そして、義理の息子にも愛を振りまくわけでもなかったこの母親。物語の体裁を整えるためにラストは和解の雰囲気を取ってはいるが、実際の所、この母親の人間的な情愛の不思慮さによって、この悲劇はもたらされたも同然なのである。


■最後の引きで終わる幕引きの鮮やかさ


らせん階段 らせん階段
らせん階段の造形そのままにヘレンの運命は決定付けられていく。
下に行かないと真実は見えない。でもその流線型の階段の造形が、彼女の敏感な聴覚、視覚の判断を鈍らせる。上に留まれば確実に殺されてしまうだろう。しかし、下には流線型の真実が待ち構えている。

ヘレンは、少女の頃に起こった自宅の火事により、目の前で両親が焼け死ぬのを見てしまい、それから口が利けなくなった。
流線型の渦を巻く炎の記憶。そして、流線型の階段が導く真実。そんな悲劇的な結末の果てに待ち構える真の幸福。最後の電話口に立ったヘレンは一つの呪縛から解き放たれていた。

「パリー先生、直ぐ来て、私・・・ヘレンです」・・・そして、掴んだ彼女の幸せを突き放すかのようにして終わる物語の引き際の鮮やかさ。この時代の作品は大人だ。パリーと抱擁するラストシーンもヘレンの歓喜の表情を観客に見せる事もしない。


要は一番重要なシーンは、観客の想像力に任せる―信用している―ということである。


当初ジョーン・クロフォードがヘレン役に興味を示していた。彼女は『女の顔』(1941)で障害を持つ女性を演じていたので、ルイス・B・メイヤーから「同じような役柄になってしまうよ」と断られてしまう。ちなみに彼女は同年(1945年)に『ミルドレッド・ピアース』でアカデミー主演女優賞を獲得している。

本作において、ウォーデン夫人を演じたエセル・バリモアが1947年アカデミー助演女優賞にノミネート(1944年に同助演女優賞を獲得している)された。本作は、ヒッチコック監督で映画化された『バルカン超特急』(1938)でも有名なエセル・ライナ・ホワイト(1876−1944)による原作である。1975年にジャクリーン・ビセット主演でリメイクされ、2000年にはニコレット・シェリダンでテレビ・ムービー化された。

− 2008年2月10日 −


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