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スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス  
     
        STAR WARS: EPISODE I - THE PHANTOM MENACE(1999・アメリカ)
■ジャンル: SF
■収録時間: 133分

■スタッフ
製作総指揮・監督・脚本 : ジョージ・ルーカス
製作 : リック・マッカラム
撮影 : デヴィッド・タッターサル
特撮 : ILM
音楽 : ジョン・ウィリアムズ

■キャスト
リーアム・ニーソン(クワイ=ガン・ジン)
ユアン・マクレガー(オビ・ワン=ケノービ)
ナタリー・ポートマン(アミダラ王女)
ジェイク・ロイド(アナキン・スカイウォーカー)
サミュエル・L・ジャクソン(メイス・ウィンドゥ)
キーラ・ナイトレイ(サーベ)
『スター・ウォーズ』サガ三部作に知性を持ち込んではいけない。ただただ感傷に浸り、受身の姿勢のみ求められる。芸術とは全く対極の位置に存在するCGの氾濫が、この作品の調和を見事に崩しているが、『スター・ウォーズ』旧三部作の偉業に対する感謝の気持ちでこの新しい三部作を温かく脳みそを空っぽにして楽しもうではないか?贅沢なSF活劇を本当にありがとう。

■あらすじ


遠い昔遥か彼方の銀河系の物語。銀河共和国の惑星ナブーと通商連合の争いを解決するためにジェダイの騎士クワイ=ガン(リーアム・ニーソン)とそのパダワン(弟子)オビ・ワン(ユアン・マクレガー)が派遣される。しかし、通商連合がナブーに対する侵略を強行したことにより、アミダラ王女(ナタリー・ポートマン)を救出し、脱出するジェダイの騎士二人は、脱出先の惑星タトゥーインで一人の少年アナキン・スカイウォーカー(ジェイク・ロイド)と遭遇する。


■とことんまでSFを突き詰めていこう!



このエピソードTは、1976年ジョージ・ルーカスによってすでに15ページに渡って概要が書き上げられていた。そして、ルーカスは1994年11月より本格的に脚本化していく決意をした。1995年5月ルーカスは『スター・ウォーズ』サガ(エピソードT〜V)の製作及び約20年ぶりの監督に乗り出すことを宣言した。

ILMが特撮を担当した『ジュラシック・パーク』(1993)でのCGの成果が彼に決断をさせたのだった。そして、「ビデオ販売を一切認めない」とルーカスが言及していた『スター・ウォーズ』三部作のビデオが発売され半年で全米だけで2200万本売れる。

さらに1997年公開20周年記念と銘打ち『スター・ウォーズ』三部作がまとめて『特別編』として再公開された。これらの成功により新しい三部作の製作は決定づけられた。さらにペプシは20億ドルで『スター・ウォーズ』キャラクターを向こう5年間使用する権利を獲得した。

「突然、すべての制約が消えた。かつて過酷な太陽が照りつける荒野をバックパックを担ぎ、足には鉛の足枷をつけて歩いていたものが、いまや冷房の利いたトラクターに拾われる思いだ」「デジタル技術によって製作費を大幅に低減させ、より大きなスケール、よりスピーディな話の作りが可能になった」とルーカスは語った。

そして、ルーカスは万感の思いで語るのである。
「ついに、本物のスリルを味わえる時が来た。それが、再び僕を仕事に戻る気にさせてくれた。ただ楽しむためにね」そう、ただ楽しむための作品である。


■SF映画が素直に楽しめない時代の幕開け



『スター・ウォーズ』シリーズ(エピソードW〜Y)は、世界中の映画ファンにとってまさに聖典であり、この聖典を乗り越えていくことはルーカスと言えども不可能に近い。最後に作られたエピソードYから約15年の時を隔てファンに培われてきた期待感及び想像力に敵うわけもない上に、一人ひとりの思いを反映させる映画作りなど不可能である。

さらに、この作品によってSF映画のぞっとするほどの概念の真実が解き明かされた。
それはSF映画とは人間味の感じられるぎりぎりのレベルにおいてのみ価値が見いだされると言うことである。この人間味の感じられるぎりぎりのレベルの特撮に疲れ切り、人間味の感じられない特撮に、観客が「本物のスリル」を見いだしてくれることを期待したルーカスは、結果的に観客の期待を裏切ってしまうことになった。

今やCGに溢れた映像やブルースクリーンを背景にした芝居というトリックを、もはや知り尽くしている観客たちはそういった部分ばかりが気になりSF映画自体に感情移入しづらくなっているのである。
つまりテクノロジーの進歩に対する鑑賞者の感情の反乱ではなく、テクノロジーのカラクリを知ってしまった鑑賞者の感情の反乱が、本作に対して純粋に楽しむ心を奪ってしまったのである。これが今日SF映画をもはや素直に楽しめない「ぞっとする真実」の現状なのである。


■この作品の正しい見方



この作品は、特撮の世界に埋没し巨万の富に安逸として生きている1人の男ジョージ・ルーカス=アナキン・スカイウォーカーの物語でもある。彼は、自分の望む『スター・ウォーズ』の世界を完全なる自分の把握の元で作り出した。そんな彼が作り出したこの作品は、もはや商業の概念なぞ突き抜けた自己満足の領域に達しているのである。

この巨万の富を手にしている特撮狂いの男が、長年の構想の末に作り出した世界観が、恐るべき程ストレートにその単純さ、過去からの影響、奇想天外さ、恐るべき内向性、純粋なる喜びとして、物語に複雑に交錯しているからこそ、多くの人は戸惑い、幻滅し、歓喜し、許容し、圧倒されという感情の交錯の波にさらわれていくのである。
この作品は本来中和される要素が全く中和されていないジョージ・スカイウォーカーのナマの物語なのである。

だからこそこの作品に対して、細々とした批判よりも、1人の天才が構想した世界観を純粋に楽しむべきだろう。それがたとえCGに脅かされた映像であろうと、無機質なブルースクリーンを背景にした役者たちの凡庸な芝居を見せ付けられようとも、そこには、そんなことを優に忘れさせるだけの「パワー」に満ちあふれているのである。そういう観点で観ればこのエピソードTは恐るべき程の傑作なのである。


■CGの氾濫する映像はただのゴミクズ



私は明確に映画の中のCGの氾濫に否定する人である。
しかし、この作品に関しては全てを許せる。その理由はジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』という一つのSFの復興を成し得たことに対する純粋なる感謝の念として、彼が思う存分その映像のテクノロジーを使う姿を温かく見守りたいのである。

せめてルーカスの道楽でもあるエピソードT〜Vくらいは批判などせずにただ彼の作り出してくれたエピソードW〜Yに対しての感謝の気持ちを込めつつ何も考えずに楽しもうではないか?『スター・ウォーズ』(エピソードW〜Y)に対する感謝の念を持たぬものは、それはあの映像の奇跡を堪能できなかった感性なのだから、相手にする必要もない。これらの人は、元々このエピソードTを元々見るべきじゃなかった人々にすぎないのである。

「SF復興に対するルーカスの壮大な凱旋パレード」それがこのエピソードTから始まる三部作なのである。


■ジェダイの騎士たち



「物事の先を読む鋭い能力で反射行動に出る。ジェダイの資質だ」


SF映画という役者の演技力が半減する世界の中で、特にクワイ=ガン・ジン(名前の由来:開眼人と言われているが実際の名前の由来は中国語である)を演じるリーアム・ニーソン(1952− )の存在感には誇り高きジェダイの騎士の説得力が宿っていた。彼の存在感がいかにすごかったかは、彼の登場しない後のエピソードであるU、Vを見れば納得できるだろう。

リーアムは元々『スター・ウォーズ』の大ファンだったので、ブルースクリーンを背景にした芝居には戸惑ったらしいが、かなり役柄に入れ込んでいたという。

そして、「イエス、マスター!」とその弟子を演じるユアン・マクレガー(1971− )も少ない出番ながらも活躍している。元々はオビ・ワンをケネス・ブラナーが演じるとも言われていた。ユアンはオビ・ワンを演じるにあたりアレック・ギネスとそっくり同じアクセントで話すように過去の作品を見て吸収したという。


そして、将来のダース・ベーダーであるアナキン・スカイウォーカーを演じたジェイク・ロイド(1989− )は、『ジングル・オール・ザ・ウェイ』(1996)でシュワルツェネッガーの息子を演じていた子役で、実に可愛らしい。この愛らしい子が後にダース・ベイダーになるのかというギャップが良い。
特にこの『スター・ウォーズ・エピソードT』のポスターは素晴らしい。アナキン少年の影がダース・ベーダーなのである。

ちなみに彼の母親シミを演じたペルニラ・アウグスト(1958− )は1992年に『愛の風景』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞している演技派女優である。


■ナタリー・ポートマン当時16歳



何よりも魅力的な登場人物ナタリー・ポートマン(1981− )。映画館で見たときはアミダラ王女がポートマンとは途中まで全く気づかなかったのだが、アミダラ王女の時と侍女パドメの時で声の質をデジタル技術により変えていたという。さらにポートマンがパドメを演じている時のアミダラ王女(影武者)を演じているのはデビューしたてのキーラ・ナイトレイ(1985− )である。


この2人はメイクの効果もあってすごく似ているのだが、セットを訪れたナイトレイの母親が娘に声をかけたら、それはポートマンだったという逸話があるほどである。ちなみにポートマンはこの役柄に選ばれるまで『スター・ウォーズ』シリーズを一度も見たことは無かったという。

それにしても、アミダラ王女のあの髪型も衣装も、特に『乱』を始めとした黒澤明作品の影響を受けたものであり、なかなか魅力的なセンスに溢れている。しかし、パドメの時のポートマンはとてつもなく可愛らしい。シドニーの映画館ではこの影武者が分かるシーンで「おぉ〜〜!」というどよめきが起こった(
勿論20世紀フォックスの後の一瞬の静寂のあとのオープニングでは、指笛が連呼されたのは言うまでもない)。

しかし、ソフィア・コッポラ(1971− )がアミダラ王女の侍女で出演しているが、実に目立っていない。


■ジャージャー・ビングス


この作品で非常にユニークな新キャラクターが登場する。ジャージャー・ビングスである。このキャラクターが公開当時アメリカにおいて、作品のシリアスなムードを一人台無しにしているろくでもないやつと非難された(その影響でエピソードU〜Vにかけてフェイドアウトしていった)。

このキャラクターの名前は元々ルーカスの息子が名づけたのだが、恐らく『スター・ウォーズ』においてのC3POの役割を演じさせようとしたのだろう。しかし、20年以上ものファンの思い入れの前ではこういったキャラクターは不愉快以外の何者でもなかったのだろう。

それほど思い入れをもたずにシドニーの映画館で友達6人くらいで見た私の場合は、わいわいがやがや見ていたので、ジャージャーはむしろ最高にうけていたのだが・・・。特に食卓のシーンでクワイ=ガンに舌を引っ張られるシーンは絶叫の渦だった覚えがある。『スター・ウォーズ』ほどの作品になるとちょっとしたキャラでも見ている側の思い入れ具合により賛否両論を生んでしまう難しさがあるのである。



■ポッドレースが楽しめるか楽しめないかは



ベン・ハー』(1959)の戦車競走をモチーフにしたポッドレース。2つの強力なエンジンがコックピットを引っ張りながら猛スピードで疾走するのだが、このシーンが楽しめるか楽しめないかは、明確に普段ゲームをしている人かしていない人かによるだろう。

ゲームをしない人にとってはこのCG多様のポッドレースは全く苦にならないはずである。むしろこの映像の迫力に圧倒されるだろう。しかし、ゲームをする人にとっては、他人のゲームを見せられているようで苦痛を感じるだろう。

昨今のSF映画の悩みはここにつきるのである。日頃CGに触れ合ってる人とCGにほとんど触れ合っていない人との差異が大きくなっていく中で両者を満足させる作品を作り上げることは日増しに難しくなってきているのである。CGが日常に入り込みすぎているがゆえに、映画の中でのCGの期待度は上がりつつも、無用の長物化へと向っているのである。


■ダース・モール



エピソードT〜Vを通して最も魅力的な敵役キャラクターはダース・モールである。ダース・モールは元々はベニチオ・デル・トロが演じる予定だったが、最初の脚本よりも登場シーンが少なくなったことでベニチオが降板し、本物のマーシャル・アーツの使い手レイ・パーク(1974− )が役柄を演じることになった。


とにかく赤塗りの異様な風貌で、画面上で一回しか瞬きをしない不気味さである。そして、その機敏な動きから感じさせられる強さへの説得力が、クワイ=ガンとオビ・ワンの二人を相手にした両刀ライトセイバーでの殺陣シーンにおいて遺憾なく発揮される。惜しむべきは薄っぺらな背景シーンなのだが・・・このシーンの撮影のために1ヶ月が費やされたという。



■空前の大ヒットとなる!



エンディングに至っても気は抜かせない。クレジットが終わり、そして、ダース・ベイダーの呼吸音が聞こえるのである。否応無しに次回作エピソードUへの期待感が煽られる見事な演出である。


題名の『ファントム・メナス』(当初の題名は『ザ・ビギニング』だった)の意味は、「忍び寄る脅威」だが、これはある意味、アナキンのダースベーダー化と将来皇帝となり独裁者となるパルパティーン議員のことを指しているのである。

本作の撮影はハリウッドではなく、イギリスのスタジオで極秘裏に行われた。さらに舞台が惑星タトゥーインのシーンはチュニジアの荒野、ナボーの宮廷のシーンはイタリアでロケ撮影された。1997年6月26日より撮影は開始され、9月30日撮影終了した。総製作費1億1500万ドルをかけてデジタルビデオと35oフィルムで撮影された。

世界公開にあたりルーカス・フィルムは2000万ドルの一大広告キャンペーンを行ったという。そして、結果的に4億3100万ドルを北米だけで稼ぎ出し、北米を除いた世界中で4億9300万ドルの興行収入をあげた。本作は1999年アカデミー視覚効果賞、音響効果賞、音響賞にノミネートされたが、三部門とも『マトリックス』が受賞した。

− 2007年7月7日 −


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