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スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐   
       
   STAR WARS: EPISODE III - REVENGE OF THE SITH(2005・アメリカ)
■ジャンル: SF
■収録時間: 141分

■スタッフ
製作総指揮・監督・脚本 : ジョージ・ルーカス
製作 : リック・マッカラム
撮影 : デヴィッド・タッターサル
SFX : ILM
音楽 : ジョン・ウィリアムズ

■キャスト
ユアン・マクレガー(オビ=ワン・ケノービ)
ヘイデン・クリステンセン(アナキン・スカイウォーカー/ダース・ベイダー)
ナタリー・ポートマン(パドメ・アミダラ)
イアン・マクディアミッド(パルパティーン最高議長/ダース・シディアス)
サミュエル・L・ジャクソン(メイス・ウィンドゥ)
クリストファー・リー(ドゥークー伯爵)
「私はあなたが憎い!」そうアナキンが叫んだ瞬間彼は深い絶望に包まれた。心の底から人を憎んでしまうその心が、暗黒面の始まりであり、本当に人を憎しんでしまうことが、もはや誰も愛せなくなることだということに気づいてしまった瞬間でもある。そして、ダース・ベイダーとしての憎悪の歴史が始まるのである。本当の『スター・ウォーズ』はこの偉大なるエピソードVから始まるのである。

■あらすじ


ジェダイの艦隊が、ドゥークー伯爵の艦隊によって猛攻を受ける。今や共和国軍と独立勢力の戦闘も佳境に入っていた。そんな中2人のジェダイ、オビ=ワン(ユアン・マクレガー)とアナキン(ヘイデン・クリステンセン)は、直接伯爵の本艦に忍び込みドゥークーを葬り去る。ようやく共和国の安定が近づいたかと思われたが、実はアナキンは、既に暗黒面に取り込まれようとしていた。そうアナキンは刻一刻とダース・ベイダーの道へと歩み始めているのだった。


■ウェルカム・バック!ダース・ベイダー!


ある意味この瞬間だけのために存在したエピソードT〜Vであった。そう、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーのマスクを装着した瞬間のあの呼吸音とスモーク。その過程を鑑賞できただけで、もう全ての今までの作品の失敗部分は帳消しだと感じさせる、その力は、映画という存在を超えた一つの新しい世界観をルーカスが構築したゆえだろう。

芸術の創造と同じく、新たに創造された世界観の中での一つの完結は『機動戦士ガンダム』シリーズにおいてもそうなのだが、強力なカタルシスを生み出してくれるものである。このダース・ベイダーの誕生=悲劇の誕生がエピソードUから漂う恐るべき凡庸さを消し去ってくれた。

何よりも素晴らしいのは、あのダース・ベイダーの腹部のボタンのデザインを全く変えずに再現した思いっきりの良さである。多くの皮肉屋の存在を無視したこの英断の瞬間、ダース・ベイダーはより普遍性を保ったのである。安易なデザインの流行を超えた存在となったのである。

ちなみにこのダース・ベイダー誕生シーンにあたりアナキン役のヘイデン・クリステンセンは自らマスクをつけ演じたいと主張したという。そして、本人自身によりこのシーンは演じられている。ただし、声は旧作から担当しているジェームズ・アール・ジョーンズの声である。


■ルーカスのダーク・サイド


四股全てを切断され、溶岩で焼かれボロボロになったアナキンのその姿がダーク・サイドの完全体=ダース・ベイダーになる瞬間・・・元々はパドメの出産に伴う死の運命を変える為に、ダーク・サイドに移行したのだが、パドメを救うことはおろかパドメを失ってしまったのである。

パドメを失わないためには悪にでも何にでもなるという強い愛情が、パドメを死に至らしめたという点は実にギリシア神話的である。愛の不条理である。
ただし、パドメの描写が全くまずいのでそういった感情の高みまで見ている側を引き込んでは行かない。これは作品全体に広がるルーカスの女性軽視の姿勢から生まれる創造性の限界でもある。

本作においてのアナキンとパドメの愛の物語は、パドメの性格づけ及び行動原理が完全に破綻している。つまりパドメの魅力がストーリーの進展の為に、犠牲にされたのである。パドメというルークとレイアの「大いなる母」が、何故かエピソードVから急変したかのような弱々しさだけの存在となり果て、カリスマ性の欠片もない姿に変貌させられているのである(多くの女性ならば出産にあたり不安の分だけより強くなりこそすれ、弱くはなることはないとこのパドメに違和感さえ覚えるだろう)。アナキンの変貌よりもパドメのエピソードUからVにおいての突然の変貌の方が、露骨に不可解なのである。

これこそ『スター・ウォーズ』を取り囲む悪しき男性社会の象徴だろう。私は別にフェミニズムではないが、ある意味このエピソードT〜Vを取り囲む非人間味を感じさせる世界観の理由の一端は、
偏った性別及び人種のみ登場する時代遅れな姿勢による部分も多いのだろう。


■ある女優の出演シーンを全てカットしたルーカス



2005年6月号のプレイボーイ誌において、1人の女優バイ・リン(1970− )がオールヌードを公開した。このことによりジョージ・ルーカスは彼女が演じたバーナ・ブリームー議員役を全てカットしたという。しかし、あくまでもこの主張はバイ・リンの主張であって、ルーカス自身は「8ヶ月も前から彼女の役柄はカットされていた上に、ほんのちょい役だったんだよ」と言及している。

基本的にこのバイ・リンという人は、非常にエキセントリックな存在でなかなか面白いと思うのだが、今のところまだまだ弾けてない女優である。ただし、使いようによってはかなり光り輝く可能性がある原石かもしれないので、彼女の出演シーンは是非とも見たかったものである。

こういうどこか変わっている女性は、馬鹿か鋭い感性の持ち主かどちらかなので、非常に興味深い。


■ユアン・マクレガーの台頭


本作の実質的な主役であるアナキン・スカイウォーカーを全作に続いて演じるヘイデンは、本作に至っては11s体重を増やして貫禄をつけ、さらにメイクの効果もあってか違和感なく演じている。もっとも何もない背景での無機質な芝居を強制されている役者達の演技力について云々することは、このエピソードVに至っては不毛なことなので差し控える。

ただし、先述のパドメを演じたナタリー・ポートマンは、脚本の一貫性のなさから強烈に魅力に乏しい芝居を強要されている。その結果情けない役柄を演じるはめに至ったことには同情を禁じえない。一方、ユアン・マクレガーという俳優の恐るべき程の演技力を見せ付けられた。この役者、もしかしたらもっともっと魅力的に光り輝く可能性に満ちている。

しかし、サミュエル・L・ジャクソンは相変わらず面白い。生粋の『スター・ウォーズ』好きである彼はルーカスにこう言ったという。
「俺の死に方はド派手にしてくれないか?」と。コイツ本当に『スター・ウォーズ』を愛してるんだなと感じた。


■CGが見事に融合しているオープニング・シーン


オープニングのジェダイ艦隊と独立勢力の艦隊を巻き込んだ壮絶な宇宙戦が素晴らしい。特にタイトルからこの戦闘シーンへの入り方が美しい。夕陽をバックに静寂の中飛行するオビ=ワンとアナキンの2機の戦闘機。そして、大空中戦の戦場へ。

この大乱戦のCG技術は紛れもなく素晴らしく、『スター・ウォーズ』といえば宇宙空間での飛行バトルと再認識させてくれるのである。エピソードT、Uにはこの宇宙戦のハラハラ感覚が決定的に欠けていたのである。そして、2人のジェダイは、ドゥークー伯爵とグリーヴァス将軍の戦艦に忍び込み一騎打ち、さらには壮大なる大気圏突入、そして、コルサントへの不時着となるのである。消防隊が空中で燃え盛る艦船の消火活動をするところが芸が細かい。

『パールハーバー』のCGアニメイターが主導となって作成したこの20分あまりのオープニング・シークエンスは文句なしに素晴らしく、当初は60分にも及ぶシークエンスを1/3に減らしたにも関わらず緩急を使い分けた演出が見事であり、結果として濃密な迫力に満ちた映像の連続を生み出している。

ちなみにドゥークー伯爵を前作に引き続いて演じるクリストファー・リーは当時82歳の高齢でもあり、わずか2日で撮影を終了し、顔のアップ以外のスタントは基本的に代役が演じ、顔の部分をCGですり替えたという。


■素晴らしい造形


素晴らしいグリーヴァス将軍の造形。このがりがりの骸骨のようなサイボーグが、4刀流でライト・セイバーを振り回しオビ=ワンに襲い掛かるのだが、その自然な動きといい、一輪車に乗り移り迫力満点に追跡するシーンといい、何かレイ・ハリーハウゼン時代のSFに共通したわくわくする爽快感と生物っぽさが存在していた。

それは一重にグリーヴァス将軍の勝つためには手段を選ばない姑息さとセキをする仕草がCGの中に生命を吹き込む結果を生み出したのだろう。
「リアルさはCGの最大の課題だよ。その点ミニチュア模型は本物らしさがある」とルーカスは言っているが、私はそのリアルさを生み出すものは、やはりしっかりとした人物描写ならぬCGで描かれた登場人物の性格描写だと考える。

惜しむべくは、彼の声を当初はゲイリー・オールドマンが演じる予定だったが叶わなかった点である。
ちなみにグリーヴァス将軍を追跡するオビ=ワンを助ける10歳の少年の役柄の登場を当初ルーカスは構想していた。この少年の名前こそハン・ソロである。


■民主主義が崩壊しつつある今に対する警告


「議会制民主主義には弱点があるんだ。意見が割れ。争いが生まれ。腐敗の温床となる。それを収拾できるのは強力なカリスマだけだ」


本作の帝国成立の過程は、まさに民主的なプロセスによって、独裁国家が誕生する過程だが、残念ながらその過程の描写は、パルパティーンのカリスマ性の欠如故に全く凡庸なシーンとなってしまっている。さすがにヒトラーのような強烈な権力の台頭を演出することは、なかなか映画の中においては難しいことなのだろう。

しかし、このパルパティーンの凡庸さが、実はヒトラーや過去の独裁者を示唆するものでなく、現アメリカ大統領ジョージ・ブッシュを示唆するものであるならば、それは見事な描写といえるだろう。自ら国家内の問題を引き起こし(9・11か?)それを利用して絶対権力を固めようとしているその姿。

21世紀の始めは、20世紀の始めと同じく血統を背景にした凡庸な指導者の間から生まれる権力の強化が、世界的な崩壊を導いていくのかもしれない。そういった意味においてはこの作品の描く遥か昔≠ニは、実は数年後の世界秩序の混乱を示唆しているのかもしれない。

そういう意味においては、凡庸な分だけより悪意に満ちた独裁権力に滅ぼされていくジェダイの騎士達は、今まで、そしてこれから独裁的な権力に滅ぼされていったもしくはいく人々の鎮魂でもあるのである。そして、ルークとレイアは将来の希望である。ルーカスはたえず言う「悪は栄えない。決して」

この作品は、数年後により評価が高くなる可能性に満ちた作品である。


■最後にジェダイの戦いが生み出す感動


ルーカスは語る
「愛する者への執着は裏を返せば欲≠セ。皇帝の欲望が絶対的権力を得ることであるのに対して、アナキンの欲望はパドメを守ることだ。これは自然な運命に逆らう力でもある。だが妻を守る力を手にすればさらに大きな力が欲しくなる。小さな力がより大きな力への渇望を生むというパターンだ」

ラストのアナキン=ダース・ベイダーとオビ=ワンの死闘は、いかにもCG臭い溶岩の中の戦いではあるが、後のエピソードW〜Yのことを考えると実に感傷深いシーンである。最後にアナキンが
「I hate you!(あなたが憎い!)」とオビ=ワンに叫ぶセリフ。

そして、
「You were my brother,Anakin.I loved you.(弟と思っていた。お前を愛していた)」と言うオビ=ワン。素晴らしい程に感動的な感情の流れである。そして、このセリフが、2人がジェダイとして最後の別れの挨拶を交わす時にオビ=ワンが言う言葉「Good-bye,old friend.May the Force be with you.(さらば我が友よ。フォースと共にあれ)」を鮮烈に思い出させるのである。

ルーカスは、『スター・ウォーズ』とは「ダース・ベイダーの物語である」と語っている。それに加えて『スター・ウォーズ』とはオビ=ワンとアナキン、オビ=ワン(ヨーダ)とルーク・スカイウォーカーといった師弟が生み出す影響力≠描いた作品だったのである。

多くの人にとって、影響力≠与えた人が存在する。その暗部と明部が、その人の人生の栄光に明暗を分けてしまうのである。しかし、それ以上の恐怖は、実は今だ影響力≠与えるような人とめぐり合っていない人たちも多くいるということである。だからこそ、大いなる冒険に乗り出さなければいけないことを心に刻み込んでくれる作品でもあるのである。


■ニーチェのこの文章が『スター・ウォーズ』を生み出した


「しかし、もっとも厄介なものはもろもろのちっぽけな考えだ。まことにちっぽけな考えを抱くよりは、悪を行うがまさる!いかにもあなた方は言う。「ちっぽけな意地悪を楽しむことによって、多くの大きな悪行をしないですむ」と。しかし、そんな節約をしても仕方がない。・・・ちっぽけな考えは菌類に似ている。それは這い回り、もぐり、どこにも見当たらなくなる。―そして、ついには、このちっぽけな菌類のために全身が腐り、衰弱してしまう。しかし、それらとは別に悪魔に憑かれた者がいる。この者にはわたしはそっとこう耳打ちしておく。
「いっそあなたの悪魔を育てて大きくした方がいい!あなたにも偉大さへの道はまだ一つ残っている!」


■スティーブン・スピルバーグも参加


本作は1973年にルーカスが書き上げていたアウトラインを元に脚本を仕上げられた。撮影は2003年6月30日から9月17日に渡ってオーストラリアのフォックス・スタジオで行われた。さらに助監督としてスティーブン・スピルバーグが参加している。ヨーダとシディアスの戦いと、ムスタファーの決闘(アナキンとオビ=ワンの最後の戦い)の一部を担当した。

約2年間費やされた特殊効果の作業において世界最大の2,151ショットの特殊効果が使用された(ちなみに『スター・ウォーズ』(1977)では特殊効果は350ショット)。総製作費は1億1300万ドルに達した。2005年5月15日、カンヌ国際映画祭にてプレミア公開され、2005年度の最高興行収入である8億5000万ドル(全米のみでは3億8000万ドル)を記録した。尚、2005年アカデミー・メイクアップ賞にノミネートされたが、『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』が受賞している。

− 2007年7月10日 −


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