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キートンの蒸気船   STEAMBOAT BILL JR. (1928・アメリカ)
■ジャンル: コメディ
■収録時間: 72分


■スタッフ
監督 : チャールズ・F・ライスナー / バスター・キートン
製作 : バスター・キートン
脚本 : カール・ハルボー


■キャスト
バスター・キートン(ウィリアム・キャンフィールドJr)
アーネスト・トレンス(ウィリアム・キャンフィールド)
マリオン・バイロン(メアリー・キング)
トム・マクガイアー(ジョン・ジェイムズ・キング)
決して笑わない男が、観客を笑わせるシュールさ。バスター・キートンの本質は演技力ではなく、素人っぽさの中に秘められた究極のプロフェッショナリズムなのである。この素人のような無表情感覚が当初は観客にもどかしさを生み。やがてはその激しい直線的なリアクションの数々を通してカタルシスの昇華へと導くのである。

■あらすじ


都会から蒸気船の船長を務める父親の元に戻ってきたウィリー(バスター・キートン)は、蒸気船で働くことになる。そして、幼馴染のメアリー(マリオン・バイロン)と再会する。しかし、メアリーはライバルの豪華客船の社長の娘。付き合うことが許されない二人。そんな時台風が上陸し町中がめちゃくちゃに破壊されていく。


■人を笑わせる大変さを出さないすごさ



バスター・キートンの偉大性と素晴らしさは一重に人を笑わせることの大変さを、大変さを全く感じさせない無表情ぶりで提示した点だろう。
そして、本作の魅力がより伝わった点として『幌馬車』『キング・オブ・キングス』の名優アーネスト・トレンスをキートンの父親役に配した点は忘れてはいけない。この感情豊かな大男と無表情の小男のキートンの対比がすごく良いのである。ちなみにバスター・キートンは168cmである。(チャールズ・チャップリンは165cm、ハロルド・ロイドは178cmである)

バスター・キートンの倒れ方はいつ見てもすごすぎる。しかも倒れるにいたる動作が実に身軽である。吉本新喜劇のようなずっこけが嫌いではないのだが、この転倒を見てしまうともはやああいったずっこけぐらいでは笑えなくなってしまう。それくらいこの人のここぞというときのリアクションは素晴らしいのである。

キートンの実父ジョー・キートン(1867〜1946)が床屋の理髪師でキートンの髭を剃る役柄で出演している。この床屋のシーンの後の帽子を購入するシーンは結構芸が細かくて笑える。カンカン帽子などを進められるのだが、ハンチングにこだわるキートンの仕草が面白い。


■本当に体を張った笑いとはこのレベルの話



車に轢かれてのすさまじいとんぼ返りをはじめ、暴風雨の中こうもり傘ごと吹き飛ばされたりとすごい。サイレント映画というものは音声と音楽がない作品なのだが、サイレント映画が現在に伝えてくれるものは、ずばり本来映画といわれるものは、映像で見せなければいけないということである。台詞や音楽も重要だが、それ以上に重要なものは間違いなく映像なのである。

最近の説明の多すぎる台詞、氾濫する激しい効果音、映像なのか断片なのか分からないつぎはぎ映像が、本来の映画の素晴らしさを失われせている要因なのかもしれない。


バスター・キートン(1895−1966)


チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと共に世界の三大喜劇王と称される。両親は舞台俳優で、子供の頃から共にヴォ−ドビルの舞台に立つ。1917年ロスコー・アーバックルの紹介で映画界入りする。1918年第一次世界大戦のため徴兵され耳を負傷する。映画界復帰後は1920年代にヒット作を連発し、「決して笑わない無表情のコメディアン」として人気を博すも1928年にMGMと契約してからは低迷するようになる。ノイローゼによるアルコール依存症により1933年にMGMを解雇され、後に破産する。1950年代にTVで復活を果たし、1952年『ライムライト』でチャールズ・チャップリンと共演する。1966年に肺癌により死去。

1960年に発表された自伝の中でキートンはチャップリンについてこう記している。
「チャーリーと私がそれぞれ映画で演じた人物に共通点があるといわれるたびに、私は困惑してしまう。私から見れば、このあいだにはまず根本的に大きな違いがあるとしか思えない―チャーリーの放浪紳士は浮浪者で、浮浪者の哲学を持っている。彼は彼なりに愛すべき人物なのだが、それでもチャンスさえあれば抜け目なく盗みも働く。一方私の演ずる小男は労働者で真っ正直な男だ」

「チャップリンの不幸は彼が自分自身のことを真に受けとめはじめた時からはじまったのだと思う。それは彼が『巴里の女性』を作ったあとのことである。ほとんどの人は忘れてしまっているだろうが、映画の中で暗示を使ったのはこれが最初だった。・・・こうして映画の歴史が作られた。しかしチャーリーの見事な演出を讃える雪崩のような賞賛の山は、彼の頭までおかしくしてしまったんじゃないか、私にはそう思えてならない。批評家はチャーリーを天才―私は誰よりも先にこのことを認める―だと言った。そしてこの時から道化の天才チャップリンは、知識人のように振る舞い、考え、語ろうとするようになったのである」

バスター・キートンの名言
「悲劇はクローズアップで、そして、喜劇はロング・ショットで撮るもの」
「喜劇とは、頭の回転は遅く、体の回転は速いもの」


■泣かせることより笑わせることの難しさ



伝説の大嵐のシークエンスが始まる。とにかくここからがすごい。建物が倒れる倒れる。その間をすり抜けていくキートンの爽快さ。正直このレベルのコメディ映画は最近少ない。最近のコメディ映画にはほとんどが楽して人を笑わせようという慢心が画面上からにじみ出ているものが多い。観客を笑わせるということはここまで大変なことなのである。チャールズ・チャップリンが言ったように
「観客を泣かせることより笑わせることの方が難しいのである」

そして、このバスター・キートン独特の笑いの疾走感は一種独特である。
やはりキートンという人は音のない時代に音速を突き破っていた人だったのだ。だからこそその直線的な疾走感に当時の観客は魅了されたのだろう。そして、省みて音の氾濫する今という時代においても音速を突き破るキートンの疾走シーンは人々を魅了し続けるのである。


■これぞ伝説の名シーン



ぽつんと立っているキートンの背後から倒れてくる倒壊した建物。あわや下敷きかというところをちょうど窓の部分に立っていて助かる。もうこのあたりから、前半から中盤にかけての抑え気味の演出が効を奏し、どんどん見ている側のテンションはあがっていくのである。このシーンを含め全てのシーンをスタントなしで演じているのだからキートンとはすごい人である。

大変なことをさらに何倍も美化して大変だと相手に伝えたがる現代において、無表情で大変なことの数々を実行していくバスター・キートンという喜劇俳優は実にユニークだろう。


■すごすぎ!顔面を引きずられながら吹き飛ばされるキートン


暴風雨に吹き飛ばされるキートン。とにかくこの吹き飛ばされ方が半端じゃない。顔面を地面にこすりつけながら暴風に引きずられていくのだから。はっきりいってリアクションのレベルが違いすぎる。ジャッキー・チャンがよく自分のスタントなしのアクション・コメディはキートンに影響を受けたと言っているが、なるほど見れば見るほどにバスター・キートンの偉大性がどれだけ後世の映像作家達に影響を与えているか分かるのである。

一つ一つの体を張ったギャグの鮮度が半端じゃない。昨今の下ネタ中心のコメディ映画のレベルの低下の原因はやはり演じている側のコメディに対する姿勢によるものなのだろうと実感できる。ポリシーやプライドのない創作活動はその場しのぎで好評は得られてもやがて埋没するのである。


■キートン映画はお笑いネタの宝庫


暴風雨から逃れるために劇場に逃れるキートンが、劇場の背景幕を本物と勘違いし飛び込んでいくのだが、この本当に知らなかったと誰もを納得させる飛び込み方が凄すぎる。ジャッキー・チェンがどうしてもバスター・キートンに及ばないところはやはりジャッキー特有のこういうスタントをする時のあざとさだろう。それを否定するつもりはなったくないが、キートンのすごさはあざとさのないところにあるのは事実である。

そして、木ごと暴風で弾き飛ばされる。木が宙を舞うのである。もう1928年の映画とは思えない展開振りに当時の観客は度肝を抜かれたことだろう。今見ても現実感を突き抜けた爽快感が味わえるのだから当時だと驚異的な爽快感を観客は感じ取ったはずである。

ラスト、両親同士の和解も成立しキスを待つメアリーそっちぬけで、川に飛び込むキートン。え?なんで?と思うその行動の真意は、なんと溺れかけている牧師を救うためだった。ちなみにヒロイン役を演じたマリオン・バイロン(1911−1985)は当時16歳であった。


■安易なお笑いブームは知性を腐らせていく



昨今の日本でのお笑いブームだが、これはお笑いというよりもレベル的には確実に学芸会レベルである。芸のない人間が芸能人と名乗りちやほやされ、公共の電波で垂れ流されることこそブラックジョークなのだが、そんなことは気にせずにテレビガイドに蛍光ペンでこまめにチェックをつけ、絶対に見逃さないとDVDレコーダーフル稼働で学芸会に心癒されている状況も何ともお寒い限りである。

今世界中で知性の二極化が明確に現れている。二極化とは消極的な知性活動と積極的な知性活動である。つまり手近にテレビ、携帯、インターネットから知性を吸収していく者と、手の込んだいろいろな方法手段で知性を吸収していく者とにである。そして、もっと分かりやすく言うと、新しい者を追いかける知性と古いものを追いかける知性の二極化ともいえるのである。


知性の二極化が生み出すものは、基本的に大衆愚民思想と、選民思想及び貴族思想なのであるが、現代社会においてもセレブという言葉が氾濫しているように、もうすでに人類史史上絶え間なく繰り返されてきた時代の再来が訪れようとしているのである。だからこそ、我々はバスター・キートンが新しいと感じるのであるだろう。

ちなみに本作の影響を受けて同年にウォルト・ディズニーにより『蒸気船ウィリー』が世界初のトーキー・アニメとして公開された。そして、この作品こそミッキー・マウスのデビュー作である。

− 2007年4月15日 −


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