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点と線 (1958・東映東京) | |||||
| ■ジャンル: サスペンス ■収録時間: 85分 ■スタッフ 監督 : 小林恒夫 原作 : 松本清張 脚色 : 井手雅人 撮影 : 藤井静 音楽 : 木下忠司 ■キャスト 南廣(三原紀一) 高峰三枝子(安田亮子) 山形勲(安田辰郎) 加藤嘉(鳥飼重太郎) 志村喬(笠井警部) 三島雅夫(石田部長) |
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■あらすじ 福岡県の香椎の海岸で2人の男女の心中死体が発見される。その心中に唯一疑問を持った鳥飼刑事(加藤嘉)に、警視庁から派遣された三原刑事(南廣)が協力する。そして、事件の陰に官僚の汚職事件が垣間見え、安田(山形勲)という男が捜査線上に浮び上がっていた。しかし、彼には犯行当時北海道にいたというアリバイがあった。 ■トリックを試すために人を殺してた ![]() 松本清張が日本の推理小説の新たな可能性を示した記念碑的な小説といわれるこの作品の当時の目新しさはずばり「時刻表のトリック」である。つまり鉄道という足を利用しての旅情サスペンス時代の到来なのである。 東京を中心点にして北は北海道、南は九州と日本縦断するのである。当時東京から九州まで特急で17時間かかった時代だった(今だと新幹線で約5時間)。 本作のキモの部分は、東京駅で13番線ホームから15番線ホームが見えるのは、1日の中でわずか4分間しかないという点であり、その「4分間の偶然」のトリックである。そのトリックの重要性に関してはともかくとして、そういった発想はなるほど当時は斬新だったろうと感じさせられる。 しかし、私はどうしてもこういう類いの作品が好きになれない。それは殺人のアリバイ工作のため、トリックを使用しているのではなく、どう考えてもトリックの為に人を殺している感じがするからである。「アリバイ工作の複雑さは人間ドラマを骨抜き」にしてしまうのである。 つまりこの作品から「人間を描かない推理小説」が続出してくるのである。つまり計算ドリルの回答の鮮やかさを楽しむような深みのない作品の続出である。 ■日本縦断を感じさせないカメラワーク 日本地図の東京駅から始まり、福岡県の香椎駅まで赤線のラインが地図上の線路伝いに自走していくタイトル・バックが気分を盛り上げてくれる。そして、2人の男女の足の裏のショットから物語は始まる。そう海岸で男女が心中したのだ。 実に映画的には美味しいショットなのだが、監督とカメラマンの力量不足なのだろう。まったく淡々と撮影されたショットである。この作品には日本の自然の風光明媚さと、都会の澱んだ空気がほとんど描き出せていない。これが全体的に致命的≠ニいう空気をかもし出していた。日本を縦断するドラマの主役は実際的には風景なのである。 しかし、一部役者陣は魅力を発散してくれている。この心中に唯一疑問を感じる鳥飼刑事を演じる加藤嘉(1913−1988)の魅力。この人は本当に台詞回しが味わい深い。特に表情の細やかな変化が素晴らしい。しかし、この時この人まだ45歳なんだがそんなに若く見える? ■個人は腐りきった組織の中で「高慢な悪」へと変貌する 「近頃はわが懐で飲み食いするお客さんなんて珍しかとですよ」 この作品の殺人には、政府官僚と民間企業の汚職が、その根底にある。この頃の世間の価値観は、とにかくいい大学を目指して生活の安定を掴み取ろうというモノなのだが、その思想の根底には、強烈な拝金主義が芽生えていた。そして、他人はどうなってもいいから自分だけ得したいというあさましさも多分に存在した。 話はずれるが、現在の日本に生きる我々30代前半以下の人間は、こういった世代が散々しゃぶりつくした残りカスの中で生きているのである。そういった意味においては「我々は昔の世代の日本人よりも必然的に優れているはずである」。これは御幣を招くかもしれないが、恐らく事実だろう。 「最高な学府に学んだ奴に限って、人を利用する才知に長けていると思いませんか?利用するだけ利用して、いざ事がバレに回ると自分の地位を守るために部下の死ぬことを願うような連中です」 このセリフをいい放つ南廣のその力んだセリフ回しが、違和感を感じさせるが、言ってる事は現在にも通じるところがある。つまりこの作品の題名でもある「点と線」の意味。一個人の良心や知性なぞは、集団化することによりいとも簡単に崩されていく。その個人と集団を繋ぐ線こそが、「善悪の彼岸=善悪の境界線」なのである。 ■魅力的な女優陣 特に風見章子 ![]() 「綺麗だ。自分の目が美しいことをよく知っている女だ」 高峰三枝子(1918−1990)様が登場する時のこの南廣の独白。全く説得力がない。28歳の病床の美人妻を演じているのだが、40歳の彼女には貫禄がありすぎる。それにしてもこの監督は、オープニング・ショットからあらゆるシーンにおいてヒッチコックの影響を受けているのだが、それが見事なまでに上滑りしている。 演出家の才能と言うものは、巨才のマネをしたときに、それが生かせているかどうかで、その才能の程がはっきりと分かる。そういった点においては最近のハリウッド映画の監督なぞは才能はたかが知れていることが分かりやすい。DVDのオーディオコメンタリーなぞを見ていると、「一人遊び」最中のように興奮して、「つまらん映像」を「歴史的偉業」を成し遂げたかのように語るヤツラの多いこと多いこと。 その凡庸さの数だけ、語りたがり確信を得たいというものなのだろうか?「偉大さは内へ語らせ、凡庸さは外へ語らせる」である。 ![]() しかし、役作りが浮き上がる年齢的なギャップがあるからと言って高峰三枝子の存在が邪魔なわけではない。ミスキャストではあるが、やはり出演する毎に華があるのである。特にその独特の話し口調に。しかし、可憐な二つの華といえば赤坂の料亭「小雪」の女中、とみ子と八重子であろう。演じるは、光岡早苗(のち城山路子に改名)と月丘千秋(1926− )である。月丘千秋は月丘夢路の妹であり、宝塚音楽学校出身の女優さんであり、月丘夢路にかなり似ている。 そして、安田の愛人まゆみに扮する日劇出身の奈良あけみがいい。その電話の取り方、ベッドの寝方もダンサーっぽいけれんみがあって見ていて気持ちいい。しかし、何よりも驚きなのは<海風荘>の女将役の風見章子(1921− )がこんなにいい女だったとは・・・みすぼらしい老婆役しか知らない私にとって驚きだった。 ■ロンドン生まれの山形勲 ![]() この男実に豪快に憎たらしい。邦画界で最も声のでかいオヤジ候補ナンバー1であり、顔の長さもナンバー1な山形勲(1915−1996)である。いいなあこのオヤジの憎々しさ。ビルの屋上で汚職の共犯者である官僚・石田と交わすやりとりなぞこの作品のハイライトである。 「ま・・・待ってください」「フッ〜」と苦笑いして眼鏡を拭くその姿。段々と本性を表すそのふてぶてしさと本当に悪いヤツラはこういうヤツなんだろうなぁという説得力が実に素晴らしい。この人は時代劇で評価されている嫌いがあるが、現代劇でもいい芝居を多く見せてくれている名優なのである。 「地位だの椅子だのがそんなにありがたいのか?フッ、そりゃそうだろうな。他人に自殺してもらってでも喰らいついていようっていう椅子だモンな」 この男のオヤジがまたすごくて、奈良県に生まれるも、5歳の頃に大阪で人さらい(??)にあいサーカス団に売られ、世界中をアクロバット少年として引き回されているうちに、ベルリンで知り合った日本人女性との間に生まれたのが山形勲だという。なんなんだこの『モンテ・クリスト伯』のような生き様は! 結果的にはホテル経営者にまでなったそうなのだが、この人こそ不幸を幸福に転化した男だろう。 ■この女々しい高級官僚の姿こそ今の日本そのものである このビルの屋上のシーンにおける汚職官僚の自己保身に満ちた姿は実に印象的である。その姿はまさに過保護な家柄で育てられた子が、自分だけが被害者面をして境地に立たされると自己憐憫に浸り、他人の不幸に対しては、屁とも感じないその精神的幼児性が良く表現されている。 やはり濃い血が生み出す異常性なのだろうか?それとも一族の財の成し方が汚れていれば汚れているほどその人間の思考も陳腐になるのだろうか?しかし、こういった国を食い物にするヤツラが結果的には生き延びるのである。こんな弱虫な石田のような男が、過信し、いばり、境地に追いつめられると女のように泣くその姿が、我々の生きている国の本当の姿なのだ。 ■快適な旅のナビゲイターではなかった ![]() しかし、元々はジャズのドラマーだった南廣(1928−1989)の俳優活動第一作目がこの作品なのだが、誰が見てもその大根芝居振りには驚かされるばかりだろう。この人の芝居の説得力のなさが、この作品の推理過程にワクワク感をもたらさなかった原因なのだが、それもまた当時現代劇に弱かった東映らしさでもある。 一方、この刑事の上司を演じた志村喬(1905−1982)は、なかなか大変だったろうが、この新人の固さを最善の形でカバーするいい芝居を見せつけていた。この頃までの志村喬は本当に魅力的だった。60年代以降になると、同じような煮え切らない役柄ばかりをする凡優になってしまうのだが・・・ 本作は1957年2月から1958年1月まで雑誌「旅」(JTBが発刊していた)に連載された松本清張のベストセラー小説である。 − 2007年8月27日 − |
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