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悪魔のいけにえ   THE TEXAS CHAINSAW MASSACRE(1974・アメリカ)
■ジャンル: ホラー
■収録時間: 84分

■スタッフ
監督 : トビー・フーパー
製作 : トビー・フーパー / ルー・ペレイノ
脚本 : トビー・フーパー / キム・ヘンケル
撮影 : ダニエル・パール
音楽 : ウェイン・ベル / トビー・フーパー

■キャスト
マリリン・バーンズ(サリー・ハーデスティ)
ガンナー・ハンセン(レザーフェイス)
エド・ニール(ヒッチハイカー)
テリー・マクミン(パム)
ポール・A・パーテイン(フランクリン・ハーデスティ)
アレン・ダンジガー(ジェリー)
映画史上に燦然と輝く「狂気の主張」!レザーフェイスがチェンソーを通じて我々に主張したかったこと。それは「狂気」の甘美なる調べであり、「どうだい?理性じゃなく欲望のまま空っぽになって生きてみたくないか?」と問いかけているのである。

■あらすじ


1973年8月18日、テキサスの田舎をドライブするサリー(マリリン・バーンズ)ら5人の若者達。ガソリン切れ寸前のバンを置いてサリーの叔父が昔所有していた廃墟にふと立ち寄る。そして、近くにある無人のような建物にパムとボーイフレンドは、立ち寄った。と突然人間の皮のマスクをした大男が金槌を振りかざし襲い掛かってきた。サリーの仲間が1人また1人とその建物に消えていく・・・


■「狂気の主張」のためここに英傑つどう!


レザーフェイスが殺人鬼映画『ハロウィン』(1978)のブギーマン、『13日の金曜日』(1980)のジェイソン、『エルム街の悪夢』(1984)のフレディの始まりとなった。本作を超えるこの種の作品は今だ存在しない。本作以降ろくな作品を作り上げてないトビー・フーパーが奇跡的に作り上げた作品が本作である。

本作の魅力は、レザーフェイス、マリリン・バーンズ、テリー・マクミン、車椅子のフランクリン、ダニエル・パールの絶妙のカメラワーク、ヒッチハイカー、ロバート・A・バーンズの美術、音楽といくつもの要素がかみ合い1つの明確なる主張をしている。そう「狂気の主張」を。見ている側からするとこの狂気の主張の反吐の出る醜さとぞっとする非人間性に全くの拒否反応を示すのだが、なぜかこの主張が脳裏に焼き付けられてしょうがないと言った状況に追いやられるのである。そして、この理由なき狂気の体現者=殺人者達に対してふと思いふけってしまうのである。

狂気とは、一体何なのか?なぜ彼らは狂気に駆り立てられたのか?・・・そんなことクソ喰らえ!な姿勢で作り上げられた。その狂気を100%受け入れた作り手の姿勢が、この作品をここまで高めている絶対的なポイントなのである。


■魅力的な3人の若者達



オープニングのテロップから、なんとも苦笑いしてしまうノリである。オレンジがかった白色の文字で仰々しい文句がナレーションとともに浮かび上がってくるのだが、まさかトビー・フーパーがこんなこと思ってるわけないだろ的な空気が早速にわくわくさせてくれる。

そして、登場する5人の若者達。中でも印象深いのがこの3人である。サリーを演じるマリリン・バーンズ(1956− )と、その兄弟フランクリン(1946−2005)を演じるポール・A・パーテイン、そして、パム役のテリー・マクミン(1953− )である。

マリリンの魅力は後に語るとして、ポール・Aは車椅子のデブ男をなかなかいい味出して好演している。当初はヒッチハイカーが登場するまでこの男が一番やばいかもという不思議な雰囲気を漂わせていた。そして、実際はへたれな所もまた味わい深く、身障者に対する無慈悲なトビー・フーパーの扱いもまたトビーらしくて良い。

次にテリーがいなければこの作品はかなりつまらないものになっただろう。
何よりもビジュアル的に赤のホットパンツに美脚という70年代テイストなセクシーさが作品に華を添えている。そして、もちろん伝説のフックとマリリン・マンソンが見事にぱくった保存箱からゾンビのように起き上がるあの不気味なシーン。彼女は本作一本で引退し、今はフラワーショップを経営しているという。


■映画史上初の絶叫クィーン誕生!


マリリン・バーンズは、本作により絶叫クィーンとして伝説化しているが、この人の存在はレザーフェイスと同じくらい重要だった。彼女がいたからこそ本作はここまでの芸術作品となり、いわば彼女はプリマドンナなのである。
この耳をつんざく絶叫と耳をつんざくレザーフェイスのチェンソー音の組み合わせの効果がどれほど格調高く見る側に恐怖心を与えたことか?ホラーは血ではなく音であると伝えているのである。

そして、見事なルックス。結構シャロン・テートを髣髴させるところがまた良く、白のパンタロンに水色のシャツという出で立ちも抜群に良い。彼女は今もテキサス在住で劇団活動をしているという。代表作は他に『悪魔の沼』『ヘルター・スケルター』(共に1976年)である。


■突然ぶち切れするヒッチハイカー



映画の中でこの5人の若者についての説明はほとんどない、分かることはカップルは誰と誰か?位であり、年齢もどこから来たかも分からない。そして、車椅子のフランクリンを同情するような感傷的な描写など一切ない。ただあるのは「5人の若者」がいましたと言うことだけである。

おもむろに誰かが金髪の美女が裸になってシャワーを浴びたり、頭の悪そうなカップルがラジカセのロックをバックにセックスに励む描写もないのである。ただあるのは5人を見つめる乾いた映像だけである。

そして、1人のヒッチハイカーが異様な空気を運んでくる。この男見るからに怪しく、しかも持ち歩いてる写真が牛の屠殺写真と言うかなりの不気味さ。さらにフランクリンのナイフを手にとって、自分の手のひらを切り出す始末である。ぞっとしている5人の姿を頼まれもしないのにポラロイド写真で撮り、「これ2ドル」と言って、5人の冷ややかな失笑をあび、逆切れしてナイフを振りかざし、フランクリンの腕に切りかかり、バンから追い出される。

このヒッチハイカーの狂気の描写が実に秀逸で、この行動パターンは、
実際心理学的にも立証されている動物に対する残虐行為及び自分自身への自虐行為が、青年期を越えると他者への攻撃願望に発展するという行動パターンである。

とにかくこのヒッチハイカーが素晴らしいほど不気味である。演ずるはエド・ニール(1945− )という俳優で、ベトナム戦争では勲章も貰っている男である。そして、恐らくヒッチハイカーの服装を見てもベトナム帰還兵なのだろう。


■レザーフェイスかく登場せり!


カップルが屋敷に向かう途中のカメラワークは一種の芸術である。さんさんと照りつける太陽と共に歩くカップルを下から押さえるショットのあとに、ひまわり畑の脇を歩くカップル。その耳にやがて聞こえる自動発電機のブンブンという耳障りな音。この自然の中の映像の後にレザーフェイスが登場するからこそ「絶対的な狂気の」価値が生まれたのである。

衝撃のレザーフェイスの登場は実に見事に突然現れてくれる。
「ぶっきらぼうに」現れる魅力。これがレザーフェイスの魅力である。勝手に屋敷に忍び込んだ若者が、廊下でつんのめって転びそうになったところにネクタイにエプロン姿のレザーフェイスがぶっきらぼうに現れ、不恰好に金槌でボコボコに殴りつけて、屋敷の奥に引きずっていき、シャッターを思いっきり閉める。

そして、パムも同じ運命に。レザーフェイスにやすやすと抱きかかえられ、屠殺用のフックに生きたまま臀部を突き刺されぶら下げられるのである。これは痛すぎだろ。ということを黙々とマスクなので表情も分からぬまま無表情でこなしていくのである。そして、チェンソーをおもむろに取り出し、パムの前で気絶している先ほどの若者を切り刻み始める。とにかく殺害のシークエンスがリアルすぎである。

レザーフェイスを演じるガンナー・ハンセン(1947− )は、高校時代フットボール・プレイヤーで、バーの用心棒をしていたところに本作の話を聞き、オーディションにトライしたという。


ウィスコンシンの人肉屠殺人 エド・ゲイン(1906−1984)



本作のレザーフェイスら殺人一家のモデルにしたのが、アメリカ最悪の猟奇的犯罪者と言われたこの男である。禁欲的キリスト信者である母親の暴力的しつけの中、歪んだ愛情で育てられ、女性と付き合うことすら許されない環境の中、エド・ゲインは歪んでいった。

女性に触る事も許されずに中年を迎え、女性に対する好奇心だけが膨張し、1945年に母親が死去した後に、その好奇心が爆発した。まずは墓漁りをはじめ、女性の死体を解剖し、性器を切り抜いたり、女性の上半身の皮を削いで人肉ベストを作ったり、食器や家具に皮膚を貼り付けたり、首から上を保存して化粧を施したりした。

彼は当時話題になっていた性転換して女性になったクリスチーネ・ヨルゲンセンにすごく興味を持ち、自分自身も女性になりたいという願望があったと言う。そして、実際152pと小柄で仕草もなよなよしていた。

当初は死体姦や人肉ベストなどで女装して踊り狂うだけで満足していたが、やがてそれだけでは飽き足らず女性を殺害しだした。1957年11月16日逮捕されたときには、15人の女性の死体が自宅で発見された。裁判の結果、精神異常を認められ無罪となり、ミネソタ州立精神病院に収監された。1984年7月26日、癌による呼吸不全で死亡した。

1960年『サイコ』のノーマン・ベイツ、はエド・ゲインをモデルにしたアルフレッド・ヒッチコックの名作である。また『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルも彼をモデルにしている。


■殺人鬼の人間味がさらに不気味さを倍増させる


そして、2人を探しに行ったジェリーを殺害するシーンも素晴らしい。保存箱の中で失血して呆然状態のパムが甦った死人のようにぐわっと起き上がるのである。と同時にジェリーに襲い掛かるレザーフェイス。そして、何故か慌てふためき他にジェリーの仲間がいないか確認した後で、なんとなく考え込んで椅子の上に座り込んで物思いにふけるのである。

このマスクをつけた殺人鬼にはなんやら得体の知れない人間味も存在している。そこがまた絶妙な恐怖をわかせる。それにしても、ジェリーが屋敷に忍び込む前に中国的な銅鑼の音が反復されるのだが、実に奇妙なムードを漂わせている。


■サリーとレザーフェイスの手の届きそうな絶妙の距離感


サリーをレザーフェイスが延々と追っかけるシーンが実に素晴らしい。とにかく追っかける追っかける!確実に何キロかは走ってるだろう。
このただただ絶叫して策など弄さずにひたすら走るだけというサリーの反応が実は相当なるリアルな恐怖感につながっているのである。ちなみに小枝に引っかかれながら野原を逃げ惑うシーンの服についている血は実際のマリリン・バーンズの切り傷によるものである。

とにかくもうチェンソーの先が届きそうなほどの距離を後ろから追ってくるレザー・フェイスに絶叫しながらサリーは逃げるのである。そして、屋敷の中でふとかち合ったときにサリーがあげた絶叫にぎくっと驚くレザーフェイスが最高に良い。
こういうレザーフェイスの人間味溢れるある意味の弱さが本作を実に見事に引き締めている。

殺人鬼の弱さの描写が、より怖さを引き立たせえいるところがレザーフェイスの魅力でもあるのである。


■「おじいちゃんは昔5分で60頭の牛を殺したんだぜ!」



登場する殺人一家。驚きは何と言ってもミイラ状態のおじいちゃんが実は生きていることだ!なんとサリーの若い生血をちゅうちゅう吸って、両手をグーにしてウキウキしてるのである。究極に不気味だ。更に不気味なのはこのおじいちゃん役を実は18歳かそこらの若者が演じていたという点である。

そして、一家の大黒柱でバーベキュー屋兼ガソリンスタンドを経営する親父。そのズタ袋とロープを持ってサリーに迫り来る姿の不気味さと言うよりもキモサと、サリーを捕獲し、店を去ろうと車に乗り込むが、店の電気を消し忘れていたので踵を返し電気を消しに行く生活観溢れるキュートさが入り混じったなんとも言えんキャラである。

そして、長男のレザーフェイスと弟のヒッチハイカー。とにかくレザーフェイスは親父が帰ってくると、ドアを壊したと殴られて逃げ回る弱さなのである。そして、それを見てはしゃぐ弟。
こいつらがいかに完全にいかれていて、それが超常現象的ないかれ方ではなく、実際存在しそうないかれ方であるところが見ていて不快感を催させられるのである。


■家族団欒に付き合わされたサリーの災難



このサリーの眼球及び瞳孔から流れる涙の映像は狂気的なほど素晴らしい。まさに1人の人間が家畜化されていく過程である。
この作品には、人の皮と骨で作ったさまざまな装飾品や骸骨、ミイラ化された老婆、椅子の肘掛が人間の手になっていたりとエド・ゲイン的異常趣味が頻繁に登場する。

サリーはなすすべもなくただただ「何でもするから助けて!」と叫ぶ。このぞっとするような4人を前にしてずっとずっと言わずにおいたこの一言を発するサリーがいかにどん底に追いやられているか分かる。サリーは家畜になってでもいいから生かしておいて!と叫んでいるのだ。もうこれほどの恐怖的空間はない。

若くて美しい女性が、狂気に追いつめられた末に4人の狂人の家畜になると宣言してしまうのである。ここまで追いつめられて発狂していく人間に冷静に向き合った残酷な映像はあるだろうか?そして、サリーが発狂すると同時に、なんとも力強くヒッチハイカーを押しのけ逃亡に成功するのである。
彼女は狂気を受け入れたが故に狂気に打ち勝ち狂人として生き残れたのである。

まさにリミッターを振り切った人間そのものである。そして、テキサスの原野を逃げながら、ヒッチハイカーに背中をナイフで10回は地味に切りつけられているがもう彼女は何も感じない。最後には血まみれの顔で、発狂の極地的笑い声をあげながら去っていくのである。

そして、朝日の中チェンソーを振り回し、悔しがるレザーフェイスの何ともいえない余韻と共に本作は終了するのである。それにしても一体何なんだこのラストの開放感と余韻は?
この感覚こそ「狂気の主張」の与える作用なのである。生き残ったサリーは、正常で死ぬよりも狂気の中で生きることを選んだ。そして、最後は笑みさえも浮かべているじゃないか?と。


■トビー・フーパーは歴史的芸術作を生み出すことの大変さを知っている


徹底したサディズムを映画にすればどうなるのか?とその一点に集中した結果このサディズムを映像表現した芸術作品は生まれた。
そして、トビー・フーパーは生半可なことでは、この作品を超えることができないことを知っているので、くだらないB級映画ばかりを撮り続けている。

トビー・フーパーという天才さえも驚嘆し、今だ引きずられている作品が本作である。彼は30代始めに理想郷に辿り着いてしまった。だからこそ、それ以降のトビーは実につまらないものと向き合うしかなかったのである。逆に言うとそれ程トビーも神経をすり減らして本作を撮りあげたのである。まさに天才が一生に一回作り上げる映画が本作なのである。

本作は当時全くの無名だったトビー・フーパー(1943− )がキャスト・スタッフ総勢30名で16oムービーで一年を費やし撮りあげた作品である。かなりの低予算で作り上げた作品であり、撮影期間に4週間かけたという。

本作は「スプラッター映画の元祖」とも言われているが、どぎつい流血シーンはほとんど存在しない。それ故に本作はそのマスターフィルムがジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と共にニューヨーク近代美術館に永久保存されている。


− 2007年6月8日 −


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