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生きるべきか死ぬべきか   TO BE OR NOT TO BE(1942・アメリカ)
■ジャンル: コメディ
■収録時間: 99分

■スタッフ
監督 : エルンスト・ルビッチ
製作 : アレクサンダー・コルダ
脚本 : エドウィン・ジャスタス・メイヤー
撮影 : ルドルフ・マテ
音楽 : ウェルナー・ハイマン

■キャスト
キャロル・ロンバード(マリア・トゥーラ)
ジャック・ベニー(ヨーゼフ・トゥーラ)
ロバート・スタック(ソビンスキー中尉)
フェリックス・ブレサート(グリーンバーグ)
トム・デューガン(ブロンスキー)
20世紀のミューズ<妖精>キャロル・ロンバートの遺作であり、最高傑作。これからの芸術に必要な要素を多く含んだ喜劇。アドルフ・ヒトラーとナチズムの本質が凡庸さにあるという点と「戦争をするなら男と女で」という皮肉をこめた喜劇。この作品から新鮮さを感じぬものからは希望は生まれないと言い切れるくらいの大傑作。

■あらすじ


第二次世界大戦勃発直前のワルシャワで『ハムレット』を上演中の劇団の看板俳優ヨーゼフ(ジャック・ベニー)は、愛妻で同じく看板女優のマリア(キャロル・ロンバート)が浮気してるのじゃないかと日々心配でたまらない。そんな中ナチスのスパイがワルシャワのレジスタンスの名簿を入手した。これを取り戻そうと張り切るヨーゼフら劇団員達はこともあろうにナチス親衛隊とヒトラーに化ける。さて見事に化かしきれるのか?そして、ついでに愛妻の浮気も防げるのか?


■ワルシャワに突然現れたアドルフ・ヒトラー


洗練されたコメディとはどういうものか?この作品を見てしまうと、現在、コメディは確実に退化していることが理解できる。そう
コメディの退化は観客に対する媚びからまず始まったのである。芸術とは決して媚びないことであり、喜劇は明確に古来から芸術の範疇なのである。

1939年8月アドルフ・ヒトラーがポーランドのワルシャワに突然ひとりで出現するというオープニングから驚かされる。しかも実にヒトラーらしくないとぼけたオヤジがヒトラーに扮しているのである。そして、なぜヒトラーがワルシャワの街にひとりで出現したかを説明してくれるのである。この意表をつかれた始まりは見事としか言いようがない。


■風刺とはこのくらいでないと・・・



第三帝国を風刺した劇を練習している劇団の中に劇団の花形女優キャロル・ロンバートが超ハリウッド・セレブ・ファッションで登場する。「この衣装はどうかしら?」と聞かれた演出家は答える。
「君の役柄は強制収容所の女なんだよ」この無邪気さが抜群に良い。風刺とはここまでぎりぎりのラインでしてもらいたいものである。


■生きるべきか死ぬべきか・・・それが問題だ



全くヒトラーに似ていないと演出家に言われ、ヒトラーそのものだということを証明するためにワルシャワの街に出るブロンスキー(トム・デューガン)だが、1人の少女に「ブロンスキーさん。サインをください」と言われてしまう。全く売れない俳優がサインを望まれにやりと喜ぶと同時に、ヒトラーじゃないことがばれてしまってぎくっとする絶妙に複雑な当事者の置かれた状況が笑いを呼ぶ。1942年当時にヒトラーをこういった笑いの対象にしてしまうことがすごい。

マリアとヨーゼフ夫婦が実に良い。「ハムレット」の舞台裏でヨーゼフが言う「今朝は悪かった。ドポシュに頼んでおいたよ。キミの名をポスターのトップにしろと」すると急に機嫌がよくなり嬉しそうに答えるマリア「優しいのね。ダーリン。でもどうでもいいのよそんなこと」間髪居れずに「じゃあ今のままで」と言うヨーゼフにむっとするマリア。もうこの一連の会話で夫婦の性格が見事に描写されるのである。
偉大なる喜劇作家は笑いの中から登場人物たちの性格を炙り出すものである。

ハムレットの有名なくだり「生きるべきか死ぬべきか・・・それが問題だ」という劇の最大の見せ場をヨーゼフが演じると、同時にきまって席を立つ1人のハンサムな若い中尉。実は長い独白シーンの間にマリアは夫の不在を幸いなことに、このハンサムなソビンスキー中尉(ロバート・スタック)と浮気しているのだ。そして、そんなこととは知らずに、中座されたことで自分の芝居に自信喪失するヨーゼフ。ルビッチの面白さは、こういった秘め事の駆け引きと誤解の部分にある。それにしても名セリフを言おうとする時の神妙なヨーゼフの表情が実に味わい深く笑える。
やはりコメディはオヤジが大真面目に演じるからおかしいのである。

しかし、この頃のロバート・スタック(1919-2003 TV『アンタッチャブル』のエリオット・ネス役で人気を博した)はハンサムである。そして、この当時のキラキラ・シルバーな映像のゴージャスなセンスは実に美しい。
「2分で3トンの爆弾を落とす人は初めて。バーイ」というときのバーイの瞬間のランバートの表情はかなり魅力的である。しかし、ランバートという女優さんは若い頃のメリル・ストリープに雰囲気がかなり似ている。


20世紀究極の美女 キャロル・ロンバート(1908−1942)



イングランド系とスコットランド系の両親のもとに生まれる。1925年にハリウッドデビューするが、翌年自動車事故にあい、左の頬に傷を負ってしまう。傷は整形手術とメイクアップで目立たなくなったものの、契約をキャンセルされてしまう。しかし、サイレントからトーキーの過渡期にそのコメディ・センスを買われ1934年、ハワード・ホークスのコメディ『特急二十世紀』でスターになる。そして、『風と共に去りぬ』の撮影後の1939年にクラーク・ゲーブルと再婚する。


1942年1月16日、戦時国債キャンペーンのためインディアナにいた彼女は、ロサンゼルスに戻る途中で飛行機がラスベガス近郊で墜落、母親と共に死去した。享年33歳であった。ゲイブルは飛行機落下の報を聞き、救助活動に駆けつけたが、冷たくなった遺体を前にして叫んだという。「おお神よ!妻の居ない家に帰れというのか!」彼女の死に落胆した夫ゲイブルは映画界を一時引退し第二次世界大戦に従軍した。戦後ゲイブルは二度結婚をしているが、1960年に死去した際には、その遺体は遺言により「キャロル・ロンバード・ゲイブル」と刻まれていたロンバードの墓の隣に埋葬された。

主演のキャロル・ロンバードは映画完成の一週間後、飛行機の墜落事故で非業の死を遂げる。そのため劇中でソビンスキー中尉の爆撃機に招かれた時に発するセリフ“What can happened in a plane?”は本編からカットされた。そして、その再編集のために35,000ドルもの費用がかかったという。

現在においてもその魅力において群を抜いている女優である。彼女の魅力の最大の部分は、透き通るような清楚な表情と氷のような冷たい表情という相反するものが同居している所にあるだろう。それでいて親しみやすさも表情一つで表現できる人なので、こういう表情の豊かな美女にはどんな男性でも弱いのではないかと思う。
本当に魅力的な美女とは、表現力の多彩さから生まれる表情の豊かさを持ち合わせた女性なのである。人間は一つの美では満足できない生き物なのである。男もそして、女も。



■ああ・・・国の運命は大根役者の手にゆだねられたか



ポーランドがドイツに占領され戦々恐々とした日々を送っているヨーゼフが自宅のアパートに戻ると、妻の隣のベッドの隣で眠っているソビンスキーを発見する。折りよく帰宅した妻もろとも問い詰めるヨーゼフに、 ソビンスキーは言う。「今はそれ所ではない。愛国心はないのか?」ヨーゼフ「
なんだと?私のセリフを無視しスリッパまで奪いながら愛国心だと?祖国を愛してる。そして、スリッパもな!」ヨーゼフにとって、祖国を守ることも重要だと考えてはいるが、妻の浮気を防ぐことの方が重要なのである。更に言うと自分がポーランド一の名優であると自己主張することも。ルビッチの見事さはここにあるのである。彼にとって、本来人間とは国家主義よりもそういったことにこだわる営みの方が健全なのである。自分自身の生活を捨てたところから、人類の狂気は始まるというこの後の時代にも、そして、今に至っても繰り返されていく社会の全体主義的傾向への見事な警告を打ち鳴らしているのである。ヨーゼフという主人公の身を借りて。

「ああ・・・国の運命が大根役者の手にゆだねられたか・・・」このセリフこそが、明確なるアドルフ・ヒトラーや戦争遂行者に対する皮肉なのである。

ヨーゼフは変装するたびに「ポーランドの偉大な名優ヨーゼフ・トゥーラをご存知ですか?」と尋ねるのだが、誰一人にも知られていないでがっかりするのである。本作でのジャック・ベニー(1894-1974 彼もユダヤ人である)の芝居は、実に後年のジャック・レモンを髣髴させるところがある。

ゲシュタポのエアハルトとシュルツのコンビが最高に笑いを誘う。1942年にゲシュタポをここまで組織的かつ人間的にちゃかすとはやはりルビッチはただものではない。そして、ヨーゼフの足を引っ張る劇団仲間ラヴィッチも最高に良い。とにかくナチを騙すときでさえも自分ばかり目立とうとするオヤジなのだ。


■喜劇を作るという姿勢



何よりもこの3人の三角関係がくどくなく要所要所で笑いを作り出す。劇団員全員の逃亡をかけての大芝居を前に、マリアと別れを告げるヨーゼフとソビンスキー。ソビンスキーのりりしい軍服姿に思わずうっとりしてしまうマリアとヨーゼフ。そして、お互い気まずそうに顔を見合わせる絶妙の間の瞬間。こういうシチュエーションはやはり脚本の妙である。
喜劇ほど積み重ねが必要な作業はないのである。その積み重ねを怠って笑いを生み出そうとするものは、結局は安易な視覚的な方法に走るしかないのである。

脱出する飛行機から偽ヒトラーがジャンプというと「ハイル!ヒトラー!」と喜んでジャンプする2人のドイツ兵達。そして、スコットランドにパラシュートで落下してきた偽ヒトラーを見つけた農民が言うセリフ。「ヘスの次はヒトラーか?」

お世辞にも芸達者が揃っているわけでもない劇団が、侵攻してきたナチス親衛隊を騙すことになるというこの物語演出も脚本ももちろん素晴らしいのだが、何よりも素晴らしいのがやはり俳優達の情熱によるものだろう。この作品に関わる俳優達の多くはヨーロッパ系であり、作品後にロバート・スタックのように実際に海軍に入隊するものたちも居たのである。この時代に対する真剣な眼差し出演者達にがあったからこそ喜劇の名作は生まれたのである。
喜劇を作るためには、悲劇を作るとき以上に涙が必要なのである。

本作が製作された1942年といえば現在進行形でアドルフ・ヒトラーが世界大戦を行っている時期である。そして、ルビッチの祖国はドイツであり彼はユダヤ人なのである。ヒトラーによりポーランドが侵攻されてからの物語の展開はこの当時現在進行形のことだったのである。

本来の笑いが持つパワーというものについてチャップリンの作品と同じく考えさせられる映画である。現代社会がいかにローマ帝国の末期状態かをよく理解させてくれる指針にもなる。
笑いの本来の力は、人生につかれきった人間を癒すといった次元ではなく、力では抵抗しきれない絶対的な力に対しての英知溢れる一撃なのであると理解させてくれる。

ちなみにジャック・ベニーの父親(ユダヤ系)が、この映画を劇場で見た時に、ナチの軍服を着ている息子の姿に激昂して劇場を出て行ったという。結局は息子の説得により最後まで見てくれたのだが。


この映画の何よりも最高かつ痛快なシーンはラストシーンである。三度目の正直とハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」を独白するヨーゼフのラストシーンは意表をつかれた笑いを生み出してくれる。まさにやられたという感覚である。こういう笑いの終幕のセンスはこそまさに芸術的センスなのだろう。昨今のコメディ作品の自画自賛するほどかと思える低能さの無自覚振りからしてみれば神と猿の隔たりがある。
見たまますぐに笑うという傾向の笑いの要素よりも、見てから少し遅れて笑う笑いの方が真に可笑しいのである。それが理解できない人はかなりまずいというよりも、想像力が乏しすぎるだろう。笑いとは常に知性の周回遅れなのである。

そして、最後の最後にいたっても全く反省をしないマリアという女が実に可愛らしい。
昔の映画は女の浮気性を可愛く描き、今は下品に醜く描いている。この感覚がずばり今の時代の人間が実はかなり生真面目な人が多いという事を示しているのであろう。

− 2007年3月8日 −


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