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東海道四谷怪談   (1959・新東宝)
■ジャンル: ホラー
■収録時間: 76分

■スタッフ
監督 : 中川信夫
製作 : 大蔵貢
原作 : 鶴屋南北
脚本 : 大貫正義 / 石川義寛
撮影 : 西本正
音楽 : 渡辺宙明

■キャスト
天知茂(民谷伊右衛門)
若杉嘉津子(お岩)
江見俊太郎(直助)
北沢典子(お袖)
池内淳子(お梅)
大友純(宅悦)
東海道四谷怪談東海道四谷怪談
1973年、42歳の銀行員の女性が、10歳年下の男性に貢ぐ為に6年間に渡り9億円を着服し逮捕された。8ヵ月の逃亡生活の末だった。ホストのような口先だけの男に騙され人生を台無しにする女は、今も後を絶たない。男に都合よく振り回され、しゃぶり尽くされ自滅していく女。お岩もそんな女だった。21世紀初頭多くの女は自滅を渇望しているように見える。そんな時代だからこそお岩は再び転生するのかもしれない。

■あらすじ


江戸時代の備前(岡山)にて浪人伊右衛門(天知茂)は、お岩(若杉嘉津子)の父を斬殺する。お岩との婚儀を断られた故の出来事だった。そして、下僕の直助(江見俊太郎)にそそのかされ、お岩とその妹お袖を騙し、父の仇を求めて旅に出るのだった。それから二年の月日が経ち江戸で貧乏暮らしを続ける伊右衛門とお岩だったが、ふとしたことで伊右衛門に名家の婿入りの機会が生まれる。そこで邪魔になるお岩を殺害しようと南蛮渡来の劇薬を飲ませるのだったが・・・


■殺すという事・・・殺されるという事・・・


東海道四谷怪談 東海道四谷怪談 東海道四谷怪談
1961年に倒産した新東宝がその末期に生み出した奇跡的な作品。まさに新東宝の怨念が昇華したかのような作品。
オドロオドロしさよりも人間というものの儚さが、その原色の映像の中に封印されている。人はなぜ人を愛し、やがてその人を憎むようになるのだろうか?そして、人はなぜ人を殺してしまうのだろうか?殺すという事・・・殺されるという事・・・この作品ほどそういったことについて考えさせられる作品はない。

この作品はお岩の呪いを描いた作品のようでありながら、実は殺人者に起こりうる(慙愧の念から生じる)死者に対する恐怖がやがて、悔恨の念を生み出すというプロセスを描いている。もはや悔恨も許されぬ領域の中発狂して朽ち果てていく主人公と、入れ違いに美しく昇華していくお岩。

それにしても私たちはなぜ怖いものを見たいと感じるときがあるのだろうか?
もしかしたらそれは恐怖こそが生への実感と明日への活力を生み出すからかも知れない。


■同性を惚れさせる天知茂の色気


東海道四谷怪談
歌舞伎の黒子の登場からこの怪談は始まる。
自分で生きているようでありながら他人に支配されているようである登場人物たちに相応しい始まりだ。そして、伊右衛門による最初の殺人が起こる。直情径行型のこの男。如何に他人の言葉に左右されやすい自分を持たぬ人かがわかる。

一方そんな彼をそそのかす直助は、狡猾な悪だ。自分のしていることをはっきりと自覚している。現代社会にもこういう人はたまにいる。この直助が憎々しいまでに生き生きしている。喋り口調の切れ味も抜群に良い。演じる俳優は江見俊太郎(1923−2003)である。

この男の切れ味があったからこそ優柔不断な天知茂(1931−1985)の役柄も映えたのである。そして寡黙さが与える二つの印象=賢さと愚かさを天知は見事に体現していた。等身大に悪に堕ちていく男でありながら、滴り落ちる色気を発散させるその姿。いい役者は色気の出し方も心得ている。


■怖がらせるのではなく、その美しさにゾッとさせる姿勢


東海道四谷怪談 東海道四谷怪談
若杉嘉津子扮するお岩が醸し出す女の弱さ、情の深さ・・・最近はこういった雰囲気が出せる女優は少なくなってきているのだろうか?
不幸の中でもがき苦しみ、自暴自棄になるわけではなく、不幸の中で諦め、ただただ現実を受け止めるか弱い女の姿がそこにあった。だからこそ情無用な最後の仕打ちに対して、お岩の憤怒がめらめらと燃え立つ死に際にも説得力が生まれるのである。

貞淑な妻お岩が匂い立たせる生前の色気。その禁断の果実のような佇まいが逆に男の想像力を刺激して止まない。例えば宅悦が病床のお岩の肩を揉むシーンを思い浮かべてみよう。思わず後ろから抱きつきたくなる色気に満ちているのはなぜか?それは、その前に行水する彼女の全裸の後ろ姿を観客は観ているからだろう。この不健全な色気が存在したからこそ、死後のオドロオドロしい風貌にさえも色気を漂わせる結果を生み出したのである。

そういった意味においては、当時の女優は露出せずとも女の様々な色気を演出する能力に長けていた。そして、その清楚な色気が陰湿な色気に反転していくお岩の顔面崩壊の過程の凄まじさ。怖さよりもその造形の美しさに、ただのホラーを超えた
滅びの美を感じさせる。

それにしても伊右衛門は、お岩の父を殺してまで、お岩と結ばれたかった。しかし、いざ結ばれると違う女性と名誉を選んだ。その為にお岩を殺害した。
人を殺めてまで何かを望むという姿勢は、実は情の深さゆえではなく、自己中心的な単略的な姿勢ゆえであることを見事に示している。だからこそお岩は不幸だった。父を殺した男を愛し、その子を産み、病で床に伏せると甲斐性のない男に無碍に扱われる。

それでいながら、伊右衛門の偽りの優しさに涙を流し、感謝しながら劇薬と知らずに体内に流し込むお岩の不憫さ。そして、女性にとって命の次に大切なものともいえる髪が抜け落ちていく姿。ただただ怖いというよりも、日本人の感情の琴線に触れる繊細な美しさに満ちている。


■お岩と伊右衛門の間で揺れる鑑賞者の心


東海道四谷怪談 東海道四谷怪談
「いかがでした生娘の味は」直助

「少しぐらいあこぎなことしなくちゃこの激しい世の中後生安楽に渡ってくことは出来ませんぜ」直助

「人の一人や二人はばらしてもかまわねえから一山ごっそり当てたいね」直助

直助という悪の化身が、伊右衛門の弱さにつけこんで、彼の中の悪を大きく育てていく。
何か現在でもそこらかしこに見受けられるような会話が上記にある。ぞっとするまでの利己主義と自己憐憫。人間が自分ばかりを大切にする傾向に走ると、必ず大いなる悪の蕾が花開くことになり。善意の花を食い散らす。

この作品が、与える恐怖は現在においては、映像から与えるものよりも、直助にそそのかされ悪の道にどっぷりとはまり込む伊右衛門の姿からではないだろうか?どん底の閉塞感にひた走る日本という国の中で、私たちもちょっと背中を押されれば伊右衛門のようになってしまう気持ちがある。だからこそこの作品は実に怖い。
お岩の不憫さと伊右衛門の愚かさに揺れる鑑賞者の心の分だけ恐怖はじっとりと浸透していく。


■沼から浮び上がり回転する戸板の表裏


東海道四谷怪談 東海道四谷怪談
他人を殺めたものは、最後には自らを殺めることになる。人間にとって表が生の世界であるならば、裏は死の世界。しかし、伊右衛門は、表も裏も死の世界に踏み込んでしまった。まさに戸板に打ち付けられたお岩と宅悦のようにどこに行っても、何を見ても死ばかり。

そして、お岩のもとに行こうと死に救いを求めるように咆哮する伊右衛門だったが、彼が死の淵に沈み込んだ時には、お岩は淵の中から幼子と共に天上へと昇華して行った。結局は永遠の苦しみの中に取り残されてしまう伊右衛門。自己憐憫と自己中心が招いた孤独の中で彼は永遠に苦しむのだろうか?


■映画史に残る名シーン 直助斬殺シーン


東海道四谷怪談 東海道四谷怪談
『七人の侍』の前半で志村喬に切り捨てられる盗っ人。『ワイルドバンチ』の野郎どもの死に様。
それに並ぶ素晴らしいスローモーション・シーンが直助斬殺シーンである。畳敷きの部屋で伊右衛門に斬られる瞬間に、突如沼が現れ、ゆっくりと直助が棒っきれの様に死んでいく。何ともいえない底冷えするほどの不気味な殺害シーンである。

こうして悪を追い払った伊右衛門だったが、それもただの自己保身の為に過ぎず、最後にすがろうとした仏壇にも見捨てられる始末。すがりつこうとしても仏壇は遠のいてゆく。そして、お岩の妹とその婚約者に追い詰められた伊右衛門は、打ち殺される。

悪に染まった人間の滅びの惨めさを天知の色気が、滅びの美学へと転化させている。ここが映画というものが持ちうる中毒性である。
道徳や善悪の概念を超えたものが藝術であるとするならば、悪の滅び様をこれ程妖艶に描いたこの作品はまさしく藝術と呼ぶに値するだろう。


■若杉嘉津子もこの作品で永遠になった


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原作は1825年に上演された歌舞伎『東海道四谷怪談』の台本である。作者は鶴屋南北(1755−1829)。原作ではお袖と直助が実は兄妹であり、それを知った直助は近親相姦を犯したことに絶望し自害するくだりなどがあるのだが、そういった部分はすぱっと削除している。

現在では新東宝が作った作品という認識よりも、日本で最も良く出来た怪談映画の一つとして評価されている。しかし、誤解を招かぬ範囲で言うとするならば、今日的には怪談映画としてよりも男女の普遍的な恋愛感情のもつれを描いた作品として評価されるべきだろう。

女性には依存性があり、その依存性を利用して生きる男どもの存在がある。
そういった女性の本性を理解するためにもこの作品は、女性にとって女性というものを理解するための素晴らしい教科書のような作品とも言えるだろう。

− 2008年2月20日 −


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