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トレインスポッティング   TRAINSPOTTING(1996・イギリス)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 93分

■スタッフ
監督 : ダニー・ボイル
製作 : アンドリュー・マクドナルド
原作 : アーヴィン・ウェルシュ
脚本 : ジョン・ホッジ
撮影 : ブライアン・テュファーノ

■キャスト
ユアン・マクレガー(マーク・レントン)
ユエン・ブレムナー(スバッド)
ロバート・カーライル(ベグビー)
ジョニー・リー・ミラー(シック・ボーイ)
ケリー・マクドナルド(ダイアン)
ケヴィン・マクキッド(トミー)
「この映画一体何なんだ?」「最低×最高=最強だよな?」そうこの映画には最低なセンスと最高なセンスの両極端がミックスされた映画だ。言い換えるならば心底軽蔑するべき映像センスと、心底尊敬に値する映像センスが見事なまでに融合された作品である。つまりスパッドのクソとダイアンの馬乗りファックという吐き気と快楽が融合された最高の作品である。

■あらすじ


1987年のスコットランドで20代半ばにして無職でジャンキーなレントン(ユアン・マクレガー)は、ショッピング・ストアーからビデオをぱくって仲間のスパッド(ユエン・ブレムナー)と逃げる。結局逮捕され、執行猶予になるが、早速ヘロインを打ちに行って、そして、死にかける。レントンは、心を入れ替えロンドンで真面目に働くことにした・・・


■この映画はファッションではなく、シビアに誇張された現実


この作品のセンスを分かれとは言わない。ただ分からないことを恥じろ!と言う。「何この映画?」ではなく素直に理解につとめてみるべき価値がある作品。この感覚が分からないと非常にまずい。それほどのレベルの作品である。公開当時にブーム的にもてはやされただけだからこそ、再認識されるべき作品である。

ブームではなく根底にある価値を認識せよ。まさにこの映画が生み出しているものが今の日本の中で象徴的な部分なのである。
「甘ったるい」やら「怠け者」という批判は結構。「シビアに勤勉な悪党ども」よりは遥かにましなこいつらレントンたちは、ただひたすらに「退屈」を忌み嫌い疾走する。その先にあるものは何か?これって現代的なテーマじゃないか?


■素晴らしいオープニング


「人生を選べ。仕事を選べ。キャリアを選べ。家族を選べ。大型テレビを選べ。洗濯機を選べ。車を選べ、CDプレーヤーを選べ・・・ジャンクフードを頬張りながら、くだんねえクイズ番組をカウチに座りながら見ることを選べ。腐った体をさらすだけの、出来損ないのガキどもにも疎まれる惨めな老後を選べ。未来を選べ。人生を選べ。―でも、それがいったい何なんだ?」


イギー・ポップのLust for life≠ェ流れる中、疾走する坊主頭のユアン・マクレガー演じるレントンと、ユエン・ブレムナー演じるスパッドの姿から始まるオープニング。もうこの独白×ソング×万引きから逃げる姿からしてやられる。この映画見事に「最低×最高=最強」の映画なのだ。

ちなみにこのオープニングは、ビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』(1964)とスパイク・ジョーンズ監督のビスティ・ボーイズのMV『サボタージュ』に影響を受けた作りである。本作には電車を見つめる4人のポーズがビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバムのバックの4人のポーズと同じであったり、ロンドンのホテルの前の道を横切る姿がビートルズのアルバム『アビイ・ロード』の表紙と同じであるという風にビートルズへの強気オマージュが捧げられている。


■責任感の欠如?それってどういう意味?


物語の主人公達は20代中盤のヘロイン中毒の若者たちである。本作は俗に思われているティーンのドラッグ映画ではない。そして、舞台は英国のスコットランドである。ちなみに監督のダニー・ボイルとジョニー・リー・ミラー以外はほとんどスコットランド出身である。

「ラリってる時は天国だが、シラフになると途端に、余計な心配が始まる・・・でもとことんきめれば全て他人事で済む」

まさに「責任感の欠如」が渦巻いてる作品である。しかし、そもそも責任感って、この社会に存在してるのか?上から押し付けられたルールに有無を言わさせずに強制されて生きているんじゃないのか?本当に望んだルール、必要なルールなぞ今の時代にどのくらい残ってるのだろうか?ただの旧来から存在する権力者の方便じゃないのか?

この作品は実に単純明確に責任感≠叫びたて盲目に従わせようとする人々が作り上げた無機質で退屈な社会に対して疑問符を投げかけている。


■SEXを1000倍快感にする方法


「SEXよりも1000倍の快感を得られるヤクのつまった注射針」


このセリフに、思わず麻薬に手を出してみたいという誘惑に駆られる人がいるかもしれない。私の知り合いでも、この日本において西成あたりで簡単にヤクを手に入れ17歳にして
「うれしそうに薬の講釈し始める」退屈なやつもいる。しかし、こいつらって一皮向けば大概は、ヤクのお金を稼ぐために絶望的に暴走しているヤツラばかりだ。

まさにあのハリウッドを象徴するくたばれロバート・エヴァンスが言っている言葉と一緒である。
「ファックの薬として始まったものがわたしのファック人生を滅ぼした。コカインは口を軽くさせちんちんを柔らかくする。すぐにそんなものをもっていることすら忘れるようになる」

そう麻薬は、そいつら自身を退屈なヤツラに変えていくのである。


■じゃあヤクやめる前に、最後の一発!


「もうヤクはやめたぜ!あんなもん二度とごめんだ!」「よし!やめるぞぉ〜。じゃあその前に気合の一発!」


いいねえ。このノリ!何かするときに気合を入れすぎて結局は挫折するってパターン。レントンも早速ドラッグを絶つために、家に自分を監禁し、ポルノ雑誌やトマト・スープ10缶、ゲロ用、小便用、クソ用のバケツなどを買いだめるのだが、「睡眠薬が効くまでのつなぎの一発を求めて」即効に挫折することになる。つまるところ、レントンは、やるとなったらとことんやりたい精神的完璧主義者なので、それから逃れるためにドラッグに溺れるのである。

「手に入るドラッグならなんでもやった。もしビタミンCが違法ならやってたぜ」

このレントンの完璧主義は物語を理解するにおいて重要なポイントであり、一番の親友スパッドとの関係を考えるにあたってもその部分は際立ってくるのである。流されやすいお人よしスパッドと、なんとなく理屈屋のレントン。この対比が、ステレオタイプ化されているヤク中像を明確に否定している。


■「最低」な3シーン


ビゼーの「カルメン」のハバネラが流れる中、座薬状のヤクを求めて、スコットランド一汚い便器(クソはチョコレートで作られている)の中に飛び込むレントン。このシーンは最低なセンスだ。中盤に登場するスパッドがクソ(同じくチョコレート)を食事中の彼女の両親達の顔にぶっ掛けるシーン、ヤクに溺れて赤ん坊を餓死させるバカ女に並ぶ最低センスである。この3シーンが本作においての代表的な「最低」のパートである。

「ショーン・コネリーのアンタッチャブル≠フオスカー受賞?同情(シンパシー)票に決まってんだろ!」

とのたまうシック・ボーイは007オタクである。このポール・スミスを優雅に着こなすジャンキーを演じるジョニー・リー・ミラー(1972− )は、実際に007シリーズに11作出演しているM役で有名なバーナード・リー孫である。ちなみに当時アンジェリーナ・ジョリーの夫であった。


■「最高」な3シーン


「墜ちるところにまで墜ち、スプーン一杯のヤクを汚れた血の流れる静脈にぶち込み続けた。ラリっては盗みを繰り返しいつか終わりが来るのを願った・・・どんなにヤクを体に蓄えても何の役にもたたないのだ・・・」

そして、冒頭に戻るこの疾走するレントンとスパッドのシーンと、逮捕された後に懲りずにヘロインを注射し絨毯が沈んでいきルー・リードの「パーフェクト・デイ」が流れるシーン。さらにレントンの見事な禁断症状の描写シーンの3シーンが本作において代表的な「最高」のパートである。

ただ暗いシーンを暗く描くのではなく、暗いシーンの中に突き抜けた明るさが漂っている。この描写の妙は製作者達がただポップな流行の作品を作ろうとしていたわけではないことを明確に示している。


■一番輝いていた男


「失業手当をもらえる程度に、やる気見せんだぞ!」


いいねえ。スパッド。頑張りすぎずに採用されない程度に面接に励むこのダメ男。ポール・スミスのジャケットにタイトなパンツにブーツ。かなりいかすコ−ディネイト。しかも緊張を和らげるためにスピードで決めて面接ではじけまくる。このシーン面接という実に形式ばったつまらない慣習を思いっきりおちょくっている何故か爽快さ漂うシーンである。

スパッドを演じるユエン・ブレムナー(1971− )こそスコティッシュ・クニエイ(=邦衛)と呼ぶに相応しい憎めないキャラである。元々レントン役はユエンがする予定だったという。正直この作品スパッドが一番輝いていた。

ちなみにユアン・マクレガーはレントンを演じるにあたり2ヶ月かけて減量した。


■NO BALL GAMES


パブで無表情にジョッキを二階席から後ろにぶん投げるベグビーのクールさ。
こいつ横山やすし並みの戦闘力だろ?ベグビーを演じるは、ロバート・カーライル(1961− )である。とにかく挙動不審で「目が合ったら終わり」な男を演じさせたらうますぎる役者だ。

この男が、ロンドンで真面目に働き始めるレントンのアパートに押しかけてからのくだりなぞはもう最高に良い。流れる音楽はPulpの「Mile End」。最高にクールだ。そして、何よりも最高なのは、ロンドンのクラブで引っ掛けた女と車の中でエッチしようと下半身を触ったらなんと男だったというシーン。駐車場の壁に
「ノー・ボール・ゲームズ(玉遊び禁止)」と記されている所がまた笑える。

とにかくカーライルの芝居の幅の広さには驚かされるばかりである。元々はベグビー役は『シャロウ・グレイブ』のクリストファー・エクルストンにオファーされていたという。

しかし、このスコットランドのパブの雰囲気は、シドニーのパブの雰囲気とそっくり同じなので実に懐かしい感じがする。何気に昼間のパブには昼間なりの独特の雰囲気がありその雰囲気がよく出ている。そして、日本と違いプール(ビリヤード)はアルコールを飲みながら出来なければいけないゲームであるのだ。


■ダイアンの引き締まった肉体美


ダイアンが登場するときにブロンディーの「アトミック」のカバーが流れる。超クールすぎる。この選曲はかなりありきたりじゃなくて見事だ。そして、このダイアンの可愛らしいこと。まさに小さな魔性の女。
この裸で馬乗りになって腰を振ってファックする姿と女子中学生(そろそろ16歳という役柄)の制服姿のギャップがたまらん。

このダイアンのギャップを見たら、生活安全課のオヤジでもぐっと来るだろ?こなきゃホモだぜ。
ダイアンを演じるケリー・マクドナルド(1976− )は『ダブリン上等』(2003)などにも出演している。とにかくこの薄ら笑いの表情がたまらない。


■トミー+リジー ボリューム1


「ぱくってきたトミーの自家製ポルノビデオを見ながらふと思った俺の人生には何かが欠けてる」


素晴らしい。サッカーのグレイテスト・ゴールVol.1のケースに親友トミーの自家製ポルノ・ビデオを入れ替えて、自宅の10年もののビデオデッキでシックボーイと無言でビデオに見入るレントンのその姿。

「ジギー・ポップ・・・イギーどっちでもいいわ。どうせ死んだ人よ」

そういい放つダイアンの言葉に続く「何か新しいことをはじめなきゃ」に触発されて、ロンドンに出るレントン。レントンに悟らせる2つのきっかけが、友達の自家製ポルノと女子中学生のベッドの上での説教であることが実に21世紀的である。

生真面目に生きてきた人類の生≠ノ対するプロセスをそろそろ見直すべきじゃないか?そう訴えかけているのである。20世紀の人類の生真面目さが何を生み出したのか。マジで考えてみなよ。「無計画な破壊」だけを生み出したんじゃないか?21世紀はちょっと不真面目に行こうぜ!これがこの作品の隠されたメッセージである。


■トレインスポッティング


「スコットランド人なんてクソくらえだ!最悪の中の最悪さ(the lowest of the low)!みすぼらしくて卑屈で史上最低のクズだ!あるやつらはイングランド人を馬鹿にしてるが、俺らはそんなやつらの国に所属してんだぜ!何の価値もない国を占領するようなヤツラの支配する国の新鮮な空気を吸って何になるんだ?」


スコットランドの大自然を前にして12時間ぶりにヘロインの再開を宣言するレントン。このセリフも本作の本質を明確に現している。題名の『トレインスポッティング』とは簡単に言えば電車オタクであり、本作的に言えば、来るはずもない電車を待ちながら駅にたたずみキョロキョロするその挙動不審さをジャンキーたちにかけているのである。

「退屈」という名の駅にたたずみヘロインを打ちながら電車を待つ彼らの前には、落胆と堕落以外はつかの間の快楽以外何も手に入らなかった。そして、彼らは自ら電車を探しにロンドン=ドラッグ取引に繰り出す決意をしたのである。その果てにあるものは・・・仲間の訣別なのである。



■BORN SLIPPYでいこう!


「なぜ裏切った? 本当のところは俺がワルだからだ。だが変わろうと思う。これを最後に足を洗って、カタギの暮らしをする。楽しみだ、あんたと同じ人生さ。出世、家族、大型テレビ、健康、マイホーム、年金・・・平穏に暮らす。寿命を勘定して。」


この独白にUnderworldの「Born Slippy(生まれながらの半端者)」が流れる中、レントンの作り笑顔が浮かび上がって物語は終わりを迎える。実に意味深な終わり方である。
結局は自堕落に生きても、平穏に生きても退屈であり、退屈を受け入れることが人生なのか?と問いかけているのである。

しかし、この笑顔が意味するものは、明確に「否定」である。「退屈」を恐れる人間は、次のステップとして「生きがい」を求めて彷徨うのである。
この小説はそもそもアーヴィン・ウェルシュ(1958− 、16歳で学校をドロップアウトし、ロンドンでヘロイン中毒になり自堕落な生活を送るも、不動産会社で働き、やがて、1993年に自伝的処女作「トレインスポッティング」を発表する)自身がレントンのモデルである。ちなみにウェルシュは「普段ならこんなヤツ相手にしない」小物マイキー役で出演している。

ボイルのブラックユーモアは最後のオチの生真面目さによって、明確に21世紀は不真面目に行こうぜ!と言っているのである。「退屈」から逃れるんじゃなくて「生きがい」を気楽に追い求めなよと。間違っても「生きがい」を真面目に求めるんじゃないぜ。そう言っているのである。

本作は350万ドルで製作され、世界中で2,400万ドル稼ぎ出した。撮影は7週間半にわたって行われた。1996年アカデミー脚色賞にジョン・ホッジがノミネートされる。ちなみにホッジは元々医者だった人で、多くの麻薬中毒者の治療も経験した人であった。

− 2007年7月14日 −


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