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アンダルシアの犬   UN CHIEN ANDALOU(1928・フランス)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 17分


■スタッフ
監督・製作 : ルイス・ブニュエル
脚本 : ルイス・ブニュエル / サルバドール・ダリ
撮影 : アルベール・デュベルジャン


■キャスト
シモーヌ・マルイユ(若い女)
ピエール・バチェフ(男)
ルイス・ブニュエル(プロローグの男)
サルバドール・ダリ(修道士)
アンダルシアの犬
80年早かった。この映画は映画が本来持ちうる一つの芸術体系を示している。これからの映画は短くなり、芸術と娯楽の区分がますます明確になっていくだろう。芸術的な映画は10分から25分の間でより濃密に少数精鋭で作られていく。この遣り方によって、映画が芸術に不向きだった集団で生み出さなければいけないという弱点を解消してくれることになる。

■あらすじ


昔々のある夜のこと。男は満月を横切る雲を見た。そして、女の頭を固定し、片目を剃刀で裂いた・・・シュールレアリスムの幻想詩が続く中、二人のカップルが愛し合い、砂浜を歩く。やがて春を迎え砂浜に埋もれて停止している離れ離れの二人の姿を映して物語は唐突に終わる。


■芸術に触れるとは・・・懐かしさを愛するという事


私たちにとって100人中100人がこの作品に親しみを感じるはずである。この作品は全ての人が見る夢というものを映像化していったものである。夢とはコレであり、コレこそ夢の本質である。
夢の中には社会的なルールなぞ存在しない。そして、芸術とは夢と同じく人間に一つの本質も伝えてくれる。

「感じようとするな、受け止めようともするな、ただ懐かしさを感じれるものだけを愛せ!」


そうすれば自ずと芸術に対する感性の扉は開かれていく。
芸術を理解する必要なぞない。ただただ懐かしさを感じ好きになれる作品に多く触れ合うことによって、あなたの感性の砦は、やがて一つの城へとなり国へとなっていく。そして、あなたという人間のオリジナリティは確立されていく。


■芸術の本質・・・生み出すものの特権


娯楽しか栄えない分野になぞ栄光は存在しない。映画というものは1920年代においては芸術的なものでも何でもなかった。そんな分野に目をつけ、映像でしか表現できないものをその中に閉じ込めることを追求した男たち。

この作品がいまだ色褪せないのはその内容以上に、映画という媒体を通して一つの画期的な試みをしたという所にある。ひねくれモノはしたり顔で「何が、シュールレアリスムなんだ?こんなもん?」というかもしれない。しかし、そんなひねくれモノも時代に対して挑戦した≠ニいう事実に対してはグウの音もでないだろう。

芸術に的確さなぞは必要ではない。むしろ先取りすることの方が重要である。そして、先駆者が生み出したその芸術が解釈・否定されることによって、その分野からより多くの偉大な芸術は輩出されていく。ただし「何も生み出さぬモノは、無責任な発言は慎むべき」である。
なぜなら芸術とは意図して生み出された人間の決意の結晶なのだから。


■映像が芸術を生み出すのに好都合だという証明


映像が物語を紡ぎだすようになってから人々の感情を体系的に揺さぶる能力を研ぎ澄ましてきた。これが娯楽性の創造である。それに対し本作を創造した二人(ブニュエルとダリ)は人々の感情を直感的に揺さぶる映像を提示した。ここに映画の持つ二つの可能性が提示された。

この作品の映像は、80年近く経とうともいまだに直感的に鑑賞者の心理に覆いかぶさる。
だからこそこの作品の中には、痛みと笑いが同居している事を鑑賞者は直感する。たかだか17分の映像にも関わらず、何回も観たくなるこの内容。それはこの作品自体に人間の潜在的な魅力が多く存在するから・・・


■何も見えていない人々が徘徊する現在


アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
剃刀を月夜に研ぐ男(ルイス・ブニュエル)。月を横切ろうとする雲。そして、女の片目を見開かせ、眼球を卵の黄身のようにすぱっと切り裂く。
人間は目を見開いている時に真実から遠のき、目を閉じている時に真実へと近づく。超現実主義にとって夢は神であり、眼球とは多くの可能性を妨げるものである。

しかし、この映像も眼球があるからこそ観る事が出来る。だからこそその不条理さによってこの冒頭は輝く。
さあ今からあなた好みの映像のトランプを引いてください。そして、そのお気に入りを組み合わせてください。するとあなただけの何かが出来上がります。

ちなみにこのシーン。牛の目の周りを脱毛し、そこに女性のようなメイクアップを施し、実際に剃刀で切って撮影した。そして、今現在この作品の背景に流れる音楽は、1960年にブニュエル自身によって付け加えられた音楽である。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」からの"Liebestod"と二曲のアルゼンチン・タンゴが使用されている。これは1929年公開時に使用された曲と同じである。


■何となく・・・が集約された映像悲劇


アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
8年後、中途半端な女装姿で自転車をこぐ男は転落し、縁石に後頭部をぶつける。そして、手のひらが蟻に食い破られていることに気づき、じっと考え込む。

路上に落ちた手首を棒で突っつく両性具有の女性。切り落とされた手の部分を無表情に突っつく。この手首は誰のものであるか、そして、周囲の目も一切気にせずただ突っつく。

ヨハネス・フェルメール
女装した男が登場するときに女が読んでいた画集は、レンブラントと並ぶ17世紀のオランダの画家
ヨハネス・フェルメール(1632−1675)の画集である。そして、画集をほうり投げた時に開いたページは、「レースを編む女」だった。この画家こそダリが最も敬愛した画家である。

アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
やがて手首を箱に仕舞い込み路上に立ち尽くす。そして、一台の車に轢かれて即死する。何となく生きていた人間が何となく死んでいく。大半の人間の人生はそうともいえるがそうでもないとも言える。人は生きた≠ニいう事の証明のためにささやかな幸せを育もうとするのだろうか?

しかし、
時は過ぎそれさえも許されなくなった時、人間に残された手段は、自ら死を選ぶことしかないのだろうか?何となく生きていたなら、何となく死ぬことも対して変わらない・・・


■性欲とはコノ流れである


アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
窓の外の眼下で繰り広げられた人の死によって
生の実感が、性欲の実感へと転化していく。血のよだれを垂らしながら女の胸をなでさすり、裸体を連想し、お尻を揉む自分を連想する。しかし、我に返った女はその手を跳ね除け逃げていく。

血のよだれを垂らしながら恍惚とした表情の男。性欲とは死と白痴と密接にリンクしているという事をわずか1カットで表現している。


■人間はたえず実に単純な欲望に振り回される


アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
そして、男は女のもとに駆け寄り、性交を試みようとする。しかし、いつの間にか二人の修道士(うち一人はダリ)とロバの死骸ののっ掛かった二台のグランドピアノを引っ張るハメになり、なかなか女のもとにたどり着けない。

アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
女がドアの向こうに逃げた時、男はドアに手を挟まれ、その痙攣する手から再び蟻が這い回る。
噴き出す白は創造の象徴であり、うごめく黒は排出の象徴である。男は何を望み女を追いかけるのか?

排出したい・・・どす黒い血とどす黒い欲望を・・・


■春が来て・・・瞬間になって・・・永遠になった


アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
そして、16年前に遡り、男は二丁拳銃である男の胸を撃ち抜く。そして、ある男は死ぬ。死の瞬間男は全裸の女の背中に抱きかかる形で死に絶える。
ああ・・・死の恍惚・・・死とは女神を我が胸にする瞬間・・・

アンダルシアの犬 アンダルシアの犬
再び例の男と女。女はドクロメンガタスズメを目撃する。その背の部分の髑髏が拡大されていく。男の口が溶けていき、女の見覚えのある毛だらけのものに変化していく。そう女のワキ毛だった。女自身のワキ毛はなくなり、男の口がワキ毛になった。

女は男にアッカンベーをして、ドアを開け去っていく。そこは浜辺だった。ハンサムな男がいる。女は彼にしなだれかかる。彼は時計を女に見せる。女は男にキスをせがみ二人はキスをして去っていく。例の箱が転がっている。それを蹴っ飛ばしながら・・・

そして、春が来た。二人は砂浜に埋もれていた。離れ離れに・・・完


■二人の芸術家が融合するという奇跡


サルバドール・ダリ サルバドール・ダリ
「私は少し前に見た夢の話をした。細い横雲が月をよぎり、剃刀の刃が目を切り裂く。ダリのほうも昨夜夢に見たばかりだといって、てのひらにアリがいっぱいいる光景を話した。彼が続けていうには、『そこを出発点にして2人で映画をつくったらどうだい?』」ルイス・ブニュエル『映画、わが自由の幻想』

ルイス・ブニュエル(1900−1983)とサルバドール・ダリ(1904〜89)が生み出したこの作品は、6日間かけて脚本を完成させ、15日間パリで撮影し完成させたものである。

サルバドール・ダリ
ダリの二枚の絵
「記憶の固執」(1931)と、「ナルシスの変貌」(1937)

ブニュエルはパリのプレミアにおいて、ポケットに石礫を潜めながらスクリーンの前の観客を見守っていたという。これはこの作品によって混乱した観客に襲われたときの場合を考えての用心だった。

− 2007年12月15日 −


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