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西部戦線異状なし ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT(1930・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: 戦争ドラマ ■収録時間: 131分 ■スタッフ 監督 : ルイス・マイルストン 製作 : カール・レムリ・Jr 原作 : エリッヒ・マリア・レマルク 脚本 : マックスウェル・アンダーソン / デル・アンドリュース / ジョージ・アボット 撮影 : アーサー・エディソン 音楽 : デヴィッド・ブロークマン ■キャスト リュー・エアーズ(ポール) ルイス・ウォルハイム(カジンスキー) ウィリアム・ベイクウェル(アルバート) ラッセル・グリーソン(ミューラー) スリム・サマーヴィル(チャーデン) |
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■あらすじ 1914年第一次世界大戦勃発で出征パレードの最中に、ポール(リュー・エアーズ)達学生もその熱気の中で出征を決意する。フランスとの戦いが長引く西部戦線に到着したポールたちは最初の砲撃を受けて、すぐに自分達の行動に対して後悔をする。それから3年たち多くの友人を失い生き残ったポールは故郷に帰ってきた。しかし、相変わらず好戦的な国民の熱気に触れてうんざりし、戦友の下に帰っていく。 ■史上初の反戦映画にして今だ最高峰 今だこの映画を超える戦争映画が現れていない。戦場シーンの迫力も人物描写の巧みさも、カジンスキーのような魅力的な戦場の古参兵も、そして、反戦メッセージの示し方の巧みさも、通常の戦争映画のレベルからかけ離れたところにこの作品は存在する。 ― この物語は非難でも懺悔でもなく、ましてや冒険談でもない。なぜなら死に直面した者にとって、死は冒険ではないからだ。これはたとえ砲弾から逃れたにしても、戦争によって破滅させられたある時代の男達を描こうとしただけである。 このオープニング・テロップからして本作の志の高さがうかがい知れる。最近の映画は反戦的なムードをしきりに出したがるが全く説得力がない。それは映像の中で、戦争=戦場の戦闘を娯楽として捉えている姿勢があまりにも露骨だからである。例に挙げるまでもないが『男たちの大和』はその最たる例。本作は反戦よりもむしろ戦場の男達の生活を丹念に描いた物語なのである。そして、それは明確に鎮魂の姿勢なのである。だからこそ本作は普遍性を保っているのである。 ■ポールとカジンスキーの存在感 ポール役を演じたリュー・エアーズ(1908−1996)は、『素晴らしき休日』(1938)や、『ジョニー・ベリンダ』(1948)でアカデミー主演男優賞にノミネートされた名優であり、ジンジャー・ロジャースとも一時結婚している(1934−1940)。その後は作品には恵まれなかったが、1964年にスチュワーデスと結婚し幸せな家庭を築いたという。 本作で彼は2万5000ドルのギャラをもらっている。一方、本作にエキストラで出演していたフレッド・ジンネマンは6週間で約300ドルのギャラだった。ちなみに本作で多大なる影響を受けたエアーズは、第二次世界大戦中の1942年に兵役を拒否する宣言をし、アメリカ中の世論が彼のこの宣言に対して激昂したという。 一方非常に印象深い古参兵カジンスキー役を演じたルイス・ウォルハイム(1880−1931)は本作公開の翌年胃癌で死去している。彼はライオネル・バリモアに師事しており、見かけと違い非常に知性的でコーネル大卒であり、フランス語、スペイン語、ドイツ語を流暢に話した。本作での彼のギャラは全出演者の中で最高額の10万ドルである。 ■生徒達を煽り戦場に駆り立てる教師 最初からこの作品は、痛々しいほどの現実味に溢れている。出征を歓迎するパレードで沸き返るドイツの地方都市から物語が始まり。巧みなカメラワークで、その一角の建物の中の教師と生徒達を映す。教師は叫ぶ「祖国のために死ぬのが英雄だ!」と。そして、戦場に駆り立てられていくポールを初めとする若者達。 人のいい郵便屋だったヒンメルストスも軍服を着ると、性格が豹変し、「何になろうとしたかを忘れろ。お前らは兵隊になるんだ」といきなり頭ごなしに言う権威づらになっているのである。彼の豹変が、軍隊という組織の怖さを見事に表現している。つまり、彼が地元では人が良かったのは、小さな権力さえも持っていなかったからだけなのである。現に小さな権力を持てば豹変した。こういう人は現代社会においても腐るほどいるだろう。 そして、最初に戦場で下ろされた軍用トラックを振り返るポール達新兵の不安な顔つき。もはやそこには出征当初の勇ましさや英雄志向なぞ微塵もかけらもないのである。 ■戦場を一番理解させてくれる描写 物語の終盤に「我々は壕で暮らして殺されまいと努めている。しかし、時には殺される。それだけだ」とポールは、一時帰国したときに、戦場の武勇談をせがむ学校の後輩達に言う。この映画ほど戦争を経験したことのない人間にも戦場を理解させてくれるものはないだろう。 戦場では、食事や寝床が整備されてるわけではなく、塹壕にはどぶ鼠、砲弾、砂埃、死者のものを取り合い、食糧はぱくって現地調達は当たり前、女は食糧のために平気で寝る。もはや道徳や人間の尊厳とは無縁の世界である。 しかし、そんな中で、塹壕から発狂して外に出たが故に砲弾にやられた友人を見舞いに行って、彼が死んだ後にポールはこう言うのである。「彼が死ぬのを見た。生まれて初めてだ。それから外に出て、こう思った。生きてるのはいいものだ。足が速くなった」 最初の軍事訓練のときヒンメルストスがあまりに威張り散らすので、闇討ちしてボコボコにする若者の生き生きとした姿から段々と陰鬱なそれでいて研ぎ澄まされた=老け込んだ若者の表情になっていくのがある意味物悲しい。戦争とは青春の喪失であることを明確に理解させてくれる作品でもある。 ■塹壕戦の恐怖感 それにしても塹壕戦の描写がすごい。まず砲撃で塹壕に砲弾が雨あられと落ちてくる。漆喰が落ちてきたり、ドブ鼠が大量になだれ込んできたりする。やがて、何日も続いた砲弾は止むが、何日も不眠不休だった塹壕の中の兵隊達はすでに精神的にも肉体的にも疲れ果てている。そこへまさにドブ鼠が押し寄せてきたような勢いで敵兵がどんどんと押し寄せてくるのである。 銃弾もつきやがてはスコップで敵兵を殴り殺したりしているのである。そして、戦闘で疲れ果てた兵たちは血にまみれた敵兵のフランス・パンとを削って食べるのである。この塹壕の戦闘シーンほど、戦争の兵士の虫けら度を実証しているシーンはないだろう。 ■どうして戦争は始まるのか? 「どうして戦争は始まるのか?」「誰も望んでいないのに」。しばしの休息の合間にポール達が交わす会話である。まさに俺達なんで殺しあってんだ?とふと顔を見合わせている瞬間である。 そして、白兵戦の中ポールもフランス兵を刺し殺し、初めて敵兵を殺すことになるのである。笑みを浮かべながら死んでいくフランス兵。その隣に砲撃で身動きできずに取り残されたポール。そして、ふとつぶやくこの一言。「もし銃と軍服さえなければ君と友人になれたのに」 ■戦争の本質は、尊厳よりも空腹を満たすことである 中盤に実に印象的なシーンが散りばめられている。当初は150人いた中隊が戦闘後に80人に減る。しかし、食事は150人分用意されており、一転して喜び全部くれとせがむ80人達。当初は半数もの死者が出た悲しさでがっくりしていたのだが、豹変するのである。この描写が実に見事で的確に戦争の本質を捉えているのである。戦争は本質的に他人の不幸は蜜の味なのである。 そして、本作の描写で最も優れていた点は、戦闘の経過などは一切示していないところなのである。ポールは今優勢なのか、もしくはさっきの戦闘で優勢になったのか?とかいった戦況は全く示されないのである。ただ行っては戻り、行っては戻るばかりなのである。 戦争とは、基本的にごく一般的に腹も空けば、性欲もわく人間達が行うものであり、国を守っているとかそんな次元に対する喜びよりも、腹いっぱいメシが食えることに喜びを感じるということである。ちなみにこのシーンでコックの1人の役で『暗黒街の顔役』で秘書を演じたヴィンス・バーネットがちょび髭そのままに出演している。 ■本作でも描けなかった原作のリアル・テイスト 第一次世界大戦ははじめて毒ガスが使用された戦争である。この毒ガスについての描写が原作には存在するが映画内には毒ガスの使用シーンは全く存在しない。 他にも頭が吹き飛ばされても2,3歩歩き続ける兵士や、両足とも射ち抜かれても走り続ける兵士や、口のない人間、顎のない人間、顔面が吹き飛ばされた人間の地獄絵図的描写が原作には随所に散りばめられているが、映画の中では描かれてはいない。 そして、勿論映画の中でそういった描写をする必要はないのである。映画というものは、鉄条網をつかむ両手だけがぶらりと残されるシーンや、死のブーツ・バトンタッチのような象徴的な描写で表現する媒体であり、グロテスクな描写は実は言葉の領域でのみ許される描写なのである。 ■カジンスキー名言集 「音が大きいだけで前線からずっと背後に落ちる。ほっとけねえのは軽いやつだ。前触れがなくいきなり飛んでくる」砲弾の聞き分け方をポール達新兵に教える。実にいいやつ。 「(彼が誰であろうと今は)誰だって死体だ」 「あと2日で1週間だ戦争が分かったといえるよ」 「こうすればいい。大戦争が起こったら、野っ原に囲いを作ってそこに王様を全部集合させて、閣僚と将軍も集めて、パンツ一枚で棍棒の殴り合いをさせる。そうすれば勝負が早い。もちろん切符も売ろうぜ」 ■意思の確認作業の陳腐さと有効性 負傷した後3年ぶりに故郷に帰ってきたポール。すでに戦場では敗戦色が漂っているのだが、故郷ではなおも交戦ムード満点だった。この時にポールは教師と後輩を前に言う。「先生は昔も同じ事を言った!また若い英雄を作ろうとしてる。祖国に殉ずる事を美しいと思ってる。我々もそう思ったが、最初の砲撃で目が覚めた。戦死することは汚くて苦しい。国のためになど死んではいけない!何百万人が国のためにむだに死んでる!」「肉体は土で心は泥だ。いつも死が迫っている。こんなことで勝てるはずがない」 それに対し、「臆病者!」と合唱する後輩達の無理解を背にポールは教室を去る。ちなみにポールの母親役を演じたベリル・マーサー(1882−1939)は『民衆の敵』(1931)でキャグニーの母親役も演じている。実に母性溢れる女優さんである。 ■エリッヒ・マリア・レマルク(1898-1970) ドイツで第一次世界大戦に従軍し、砲弾の破片で怪我を負った後職業を転々としながら1929年に『西部戦線異状なし』を発表し350万部の大ベストセラーになる。しかし、ナチスの台頭を前にスイスに亡命(1931-1939)。1933年本書はナチスにより焚書処分となった。 そして、1939年にアメリカに亡命する。ちなみに1958年に『モダン・タイムス』『独裁者』の主演女優ポーレット・ゴダードと結婚している。彼女は元チャップリンの妻(1936-1942)でもあった。本作の監督マイルストンは1948年にシャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマン主演で、再びレマルク原作の作品である『凱旋門』を撮る。 ■戦場で人間性を持つ危険性を見事に描いたラスト 「とにかくここには嘘がない」と戦場に戻ってきたポール。彼は蝶々の標本を大切に部屋に飾るくらい蝶々が好きだった。そして、戦場で塹壕近くのアゲハ蝶を見つけた。ふと手を伸ばすが届かない。そして、身を乗り出しておもむろに捕まえようとしたとたんに、狙撃兵の銃弾をあびてポールは息絶えるのである。 これほど衝撃的なラストシーンのある戦争映画を見たことがない。戦場で自分らしさを持つことと、人間性を持つことすら出来ない状況を見事に描いたラストシーンである。 ちなみにラストシーンの手はリュー・エアーズの手ではなく、マイルストンの手である。 ■しかし、公開の8年後には更なる大戦争が待ち構えていた 本作は当時としては破格の125万ドルかけて製作され、約2000人のエキストラが使用された。ちなみに、当初はレマルク自身が主役候補であったが、レマルクが断った。その後にダグラス・フェアバンクスJr.が候補になるが、結局は台詞担当の監督だったジョージ・キューカーの推薦によりリュー・エアーズに決定する。 撮影にあたり30トンもの大量の火薬が使用された。基本的にはエキストラの2000人は退役軍人だったが、ジンネマン曰く、大恐慌の後なので放浪者や犯罪者なども多く混じっていたという。結果的に本作は、ドイツを始め一部ヨーロッパ諸国では上映禁止になったが、第3回アカデミー作品賞と監督賞を受賞する。 ちなみに1930年日本公開当時は、検閲によりフランス兵と砲弾でできた穴で一夜を過ごすシーンや、帰郷したポールのシーンなど反戦メッセージの含まれたシーンは全てカットされた。 1938年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻から第二次世界大戦が始まるが、この戦争を開始したアドルフ・ヒトラーという男は、彼自身伍長として第一次世界大戦に従軍し、塹壕戦を経験し、毒ガス攻撃で失明しかけているのである。戦場で本作そのものの体験をした男が起こした戦争がこの後に始まるというのが、人類の戦争との密接な関係を解く一つのキーポイントかもしれない。 − 2007年6月1日 − |
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