HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
白熱   WHITE HEAT(1949・アメリカ)
■ジャンル: アクション
■収録時間: 114分

■スタッフ
監督 : ラオール・ウォルシュ
製作 : ルイス・F・エデルマン
原案 : ヴァージニア・ケロッグ
脚本 : アイヴァン・ゴッフ / ベン・ロバーツ
撮影 : シド・ヒコックス
音楽 : マックス・スタイナー

■キャスト
ジェームズ・キャグニー(コーディ・ジャレット)
ヴァージニア・メイヨ(バーナ)
スティーブ・コクラン(ビッグ・エド)
エドモンド・オブライエン(ハンク)
マーガレット・ワイチャーリイ(母親)
キャグニーの精神破綻ぶり、メイヨの徹底した悪女ぶり・・・すべてが極上のフィルム・ノワール。「一切の悔恨の念」なぞ微塵も持たない悪がひたすら突っ走る。同情の余地のない悪の権化であるキャグニーの「悪の爽快」に酔い、軽蔑するべき女であるメイヨの「悪の華」に惚れ惚れする。そして、ラスト・シーンにおいて観客の心の中にも溜まった「悪の情念」は昇華するのである。「Made it, Ma! Top of the world!」の叫び声と共に。

■あらすじ


凶悪なギャング・コーディ・ジャレット(ジェームズ・キャグニー)率いるギャング団は、30万ドルの現金強奪に成功する。追跡のほとぼりを冷ますために刑務所に入るコーディ。しかし、コーディが刑務所に入るやいなや妻バーナ(ヴァージニア・メイヨ)はコーディの腹心ビッグ・エドと共謀し、コーディの最愛の母親を殺害する。それを知り怒りに燃え脱獄するコーディだったが・・・


■新たな悪役像の始まり


「悪の合理主義者」コーディ・ジャレットの誕生。この存在感がこの作品の全てである。どこまでも悪に徹し切れているその行動には、一緒の清さすら感じられる。そして、
これほどまでに滅んでいくべき悪の説得力ある姿は今までの映画においてほとんど存在しなかっただろう。

だからこそ、どこからどう見ても悪そのもののコーディは多くの人の心を掴んだのである。しかし、実はキャグニーいわく
「最初の脚本はありきたりなものだった・・・想像力や独創性の欠片もなかった主人公のコーディは全く代わり映えのしない凶悪な殺人犯にすぎなかった」という。

そんなステレオタイプなギャングの姿をキャグニーが変貌させた。
「マ・バーカーと息子達の例にならおうじゃないか。コーディって男は、こんな凶暴なふるまいをするんだから、それにふさわしく精神病患者にしちまおうじゃないか」このことによりコーディは、今までの映画に登場する悪党にはない存在感を示す結果となった。マザコンで残酷な殺人狂という役柄の誕生である。


■キャグニー・アプローチ


ジェームズ・キャグニー(1899−1986)という類い稀なる名優が生み出したこのギャングの造形の特異さは今までのギャング映画のギャングたちにはないものだった。今
までは貧困という生活環境と若き上昇志向が歪んだ形でエネルギーとして発散され、華やかな一瞬の輝きを放ちながら惨めに死に絶えていくというシンパシーをもって描かれていたのだが、コーディは「生まれながらの悪党」そのものであり、そういうシンパシーを起こさせる要素は微塵も物語には組み込まれなかった。

そんな難しい役柄を見事に演じあげたキャグニーという人の芝居に対する考え方を紹介しよう。
「心理状態を作り出すなんていうのはまったくばかげたことで、俳優の仕事にはかえって邪魔になるとさえ、わたしは思っている」である。彼はデ・ニーロのような役柄に対してのアプローチなど不要だと考える俳優である。


■魅惑の分かりやすい悪の華・ヴァージニア・メイヨ



ヴァージニア・メイヨ(1920−2005)の魅力。
この一種独特の眼差しと抜群のスタイル。そして、ブロンドヘアーから安易に想像される悪女のイメージを通り越して、どこか抜けていて、世渡りの下手そうな、それでいて小ずるいという何故か憎めない所。

こんな美女がいびきをあげながら寝ているその姿から登場するのである。そして、この姿もどこか抜けていて可愛い。この登場の仕方は映画史上稀な
「眠れる‘いびきを立てる’美女」の誕生の瞬間でもある。この人のこの何故か憎めない美女っぷりが、この作品に一つの華やかさをもたらしているのである。

最近の邦画において、ギャング、やくざ映画の情婦の役柄を演じる女優の芝居の拙さは、この人の芝居と比較してみればよく分かるだろう。
つまるところ飲み屋の女というよりもショーガール的な華やかさが同居しているのである。最近の女優は芸がないからただ男性の隣に座って接客するような悪女的な芝居が多すぎる。

そういった役柄は映画的ではなく、場末の出し物的である。映画ならばショーダンサーやポールダンサーのような華やかさの同居する悪女を演じるべきである。


「いっそ独り占めにしたら」
こんなありきたりなセリフにこそ悪女の魅力はつまっているのである。
精神的に斜め向きの悪女は見ていて面白くない。やはり映画の中の悪女は解放的な方がいい。


■「おい!コーディ!」「おめえオレの住所まで教えるつもりか?」


「記憶力が良すぎたな」


オープニングからキャグニーは「根っからの悪党」を演じてくれている。列車強奪もののパターンでもある新米の仲間がコーディの本名をふと言ってしまうシーンでも、容赦なく自分の名前を聞いた乗務員を殺していくのである。

とにかく殺し一つとってしてもキャグニーは歯切れがいいので、残酷な行為としてではなく、流れとして物語を受け止められる。彼の魅力はその野性味にあり、獣が獣を狩るようなある種の美しさに満ちているのである。
あのチーターが見事に獲物を狩るように、鮮やかな殺しの描写は、見ている側を不愉快にさせないものである。

これに対して昨今の映画の殺しのシーンは、洗練さの全く欠けた、リアルさの名の下による残酷描写のみが突出している。
洗練さはアクションにテンポを生むが、残酷さはアクションに分断を生み出すのである。最近のアクション映画等が全く記憶に残らないのも、ただ分断されたスピードの加速によるからである。本来は洗練されたスピードの加速で在るべきにもかかわらずである。


■このマザコンぶり・・・


「連中に弱みを見せては駄目だよ」

コーディーのマザコンぶりと、母親の異常性が本作に独特の味わいをだす。そして、コーディが定期的に謎の発作に苦しむのである。その理由も
「子どものころに母親の気を引こうとして頭痛のまねをしていたら、本当に頭痛の発作を起こすようになった」という何とも不思議な設定なのだが、ちょっとへんてこなこの設定も、キャグニーの発作芝居の不気味さを見れば消し飛んでしまうのである。

あのどこから搾り出してるんだ?というような唸り声の不気味さ・・・あるほどに不気味な発作の芝居は今だ見たことがない。

それにしても母親のひざの上に座るコーディの姿はまさに強烈で、この極悪人もママのひざの上では子供のように安らぎに満ちた表情になるのである。そして、母親は言う。「世界一になるんだよ」と。かなり歪んだ母子関係である。しかし、殺人鬼が生み出される親子関係の本質を見事に現しているシーンである。


■執念深く立ちふさがる敵はぶち殺す!



「今に俺の首を狙う。その時がオマエの最期だ」

と不敵にコーディは腹心ビッグ・エドに言うのである。こういったセリフ一つ取ってみてもキャグニーが言うと実に格好いい。ちなみにこの腹心ビッグ・エドを演じるはスティーブ・コクラン(1917−1965)である。『ヒット・パレード』(1948)『春来りなば』(1956)『さすらい』(1957)『荒野のガンマン』(1961)といった作品で有名なハンサムでミステリアスな俳優だが、1965年グアテマラ海上をヨットで航海中に謎に包まれた死を迎えた。彼はヴァージニア・メイヨとは6回共演している。

ビッグ・エドとバーナの裏切りを知り、脱獄したコーディが、2人を追いつめる迫力。結局はビッグ・エドをそそのかし、コーディの母親を背後から殺したバーナが、コーディに寝返り、ビッグ・エドは撃ち殺されるのである。それにしても殺した後のコーディの誇らしげな仕草と表情。

この作品を見ていて気づくだろうが、死体が一切登場しない映画なのである。見せすぎる映画はまず100%才能の片鱗が伺えない作品である。映画は見せずに人間のもつ五感を刺激して堪能させる芸術媒体なのである。


■キャグニーのウィンク


「頃合いを見計らって仕返ししてやるからな」

この刑務所での決めセリフにおいてのキャグニーのウインクのタイミングの見事さ。
並みの役者ならセリフを言い終わった後にウインクするところをキャグニーはセリフの合間にウインクするのである。この芝居の感性はすごいとしか言いようがない。

この感性に後世の多くの役者たちは刺激を受けたのである。その最たるものがスティーブ・マックィーンであり、クリント・イーストウッドだった。

「よし風通しをよくしてやる」
わざわざ刑務所内でビッグ・エドの依頼により自分を消そうとした男を、一緒に脱獄させトランクの中に閉じ込め殺す執念深さ。しかも、出かけるついでにふと思い出したかのように、にやりとしながら銃を放つのである。


■伝説の発狂芝居


母親の死を知り刑務所の食堂で発狂するコーディ。この迫力ある豚のようないななきのシーンは、300人のエキストラには全く知らされていなかった。だからこそこの異常なキャグニーのいななく声に画面上の囚人達が戦慄している姿が、画面上からリアルに伝わるのである。

ちなみにこのシーンを演じるにあたって、キャグニーは少年期に精神病院に入院していた友人の伯父を訪ねた時に見た狂人の悲鳴と絶叫を思い出して演じたという。


コーディ・ジャレットのモデル・フランシス・クローリー



20歳で電気椅子で処刑されたこのフランシス・クローリー(1911−1932)。常に二丁拳銃を持ち歩き、盗難車でガールフレンドといちゃついていたところを警官に職務質問され、撃ち殺してしまいお尋ね者になる。最後は5階建てのアパートに立てこみ、警官隊の集中砲火を受け、大銃撃戦の末に逮捕される。

彼の兄も警官殺しで逮捕される際の負傷が元で死亡しているのだが、この若き殺人者が処刑の寸前に叫んだ言葉が
「My last wish is to send my love to my mother」だった。


■遂にやったよ!ママ!世界一だぜ!



追いつめられ空威張りするコーディ。
「キャグニーが空威張りして、悪党の惨めさをさらけ出す瞬間世界は薔薇色に輝く」のである。そして、投降しようとした仲間も背中越しに撃ち殺し、遂には銃弾を浴びながら自ら石油タンクに火を放って爆死するのである。

Made it, Ma! Top of the world!

このラストのセリフと壮絶な悪の滅びの美学。悪行の数々の中で善との葛藤を繰り返す登場人物も魅力的だが、本作の最大の魅力は
「悔恨とは無縁の悪の滅びの美学」を描いた点にある。コーディは見ている人たちに同情よりも畏敬の念を書き立てるほどに極端に狂っている。

マザコンで、妻に暴力を振るい、人をあっさり殺し、頭痛の癲癇もちで、切れやすいこの男のようになりたいと思う人はまずいないだろうが、それでも惹き付けられずにはいられないのである。

これこそ「悪の魅力」である。

最後にこの作品に関してキャグニーはこう語っている。「しかし、なんといっても、この種の映画で、いろいろな点でよくなるきっかけをのがしているのは、脚本の質よりも、むしろ、ただただ時間と金をかけなかったという単純な理由なのである」キャグニーは脇役のキャスティングに対してイマイチ納得がいかなかったという。

− 2007年7月27日 −


Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net