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ワイルドバンチ THE WILD BUNCH(1969・アメリカ) | ||||||
■ジャンル: 西部劇 / アクション ■収録時間: 146分 ■スタッフ 監督 : サム・ペキンパー 製作 : フィル・フェルドマン 脚本 : サム・ペキンパー / ウォロン・グリーン 撮影 : ルシアン・バラード 音楽 : ジェリー・フィールディング ■キャスト ウィリアム・ホールデン(パイク・ビショップ) アーネスト・ボーグナイン(ダッチ) ロバート・ライアン(ディーク・ソーントン) ウォーレン・オーツ(ライル・ゴーチ) ベン・ジョンソン(テクター・ゴーチ) エドモンド・オブライエン(フレディ・サイクス) |
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■あらすじ パイク(ウィリアム・ホールデン)率いる強盗団が、銀行を襲うもそこにはお金がなかった。この仕事を最後に引退を考えていたパイク達は、メキシコ革命の真っ只中のメキシコに新天地を求めることにする。そして、マパッチ将軍のために米軍の武器を大量に強奪することに成功するのだが・・・ ■新しい西部劇の幕開け 西部劇の概念を根底から崩した作品それが『ワイルドバンチ』である。文句なしにサム・ペキンパーの最高傑作である。「俺は皺のあふれる顔を撮るのが好きなんだ」と言うだけあり、本作においても、若者の出番は全くなく年輪を重ねた男達の魅力にあふれているのである。 とにかくオープニング・センスからしてもう素晴らしい。さそりを蟻の大群の中に追いやり殺している少年少女達の無邪気な姿と同時並行で軍服を着たパイク(ウィリアム・ホールデン)率いる強盗団が馬に乗って銀行に向かう版画のような絵になりながらタイトルが流れていくオープニングから痺れるのである。それにしても臆面もなくオープニングに蠍と蟻の大群と言う不気味な映像を持ってくるところに、サム・ペキンパーという男は全く女性の観客を視野において映画を作っている監督ではないことがよく分かるのである。 ■ウィリアム・ホールデンの復活 マパッチ将軍役のドン・エミリオ・フェルナンデス(1903−1986 メキシコの大監督でありメキシコ革命戦争にも実際に参加した陸軍士官でもある)がサムに脚本を読んだ後にいった。「パイク達が町に入っていく様は、俺が子供の頃、サソリを捕まえて、アリ塚に落としたのに似てるな」その言葉に触発を受けて冒頭のサソリのシーンは追加されたのである。サソリの時代=西部開拓史の時代が終わり、アリの時代=国家間の戦争の時代が始まっていくのである。 とにかく主人公のパイクを演じるウィリアム・ホールデン(1918−1981)が渋い。この時期のホールデンは数年前イタリアで愛車フェラーリの事故で殺人罪の有罪判決を受けたこともあり、俳優としてもほとんど引退状態であった。にもかかわらず本作での芝居は最高である。1人の男の悲壮感と焦燥感と誇りがにじみ出ているのである。当初はパイク役はリー・マーヴィンの予定だったがギャラの交渉で折り合いがつかなく結局は、ジェームズ・スチュアート、チャールトン・へストン、グレゴリー・ペックという候補を押しのけ、ホールデンがマーヴィンが要求した1/4のギャラで出演したのである。 ■スローモーションの美学 私自身が本作を初見した中学生の時に最も印象に残った俳優は、中年婦人の耳たぶを舐めるこの男だった。ボー・ホプキンス(役名クレイジー・リー。1942− )という名前の役者であるが、1972年の『ゲッタウェイ』にも印象深い役柄で出演している。この男のとぼけた無邪気とも言える表情がなんともいいのである。人質と唄を歌いながら行進をしていて逃げそびれて殺される役なのだが、もっと生きていてくれと思わせる魅力的な役柄だ。 スローモーションの伝説的な活用。かつてナチスの宣伝映画から始まり、黒澤明が『七人の侍』で使用したスローモーションという手法をサム・ペキンパーは蘇えらせたのである。現在の映画が映像の高速処理化で多くのイメージを植えつけることによって、観客の心理に影響を与えようと意図している事に対して、サム・ペキンパーは、映像の低速処理によって一つのイメージのショックを和らげようとしているのである。この手法によって、観客は時間の感覚を鈍らされた上でバイオレンス=暴力と言うものに慣らされていくのである。そして、この効果が現実スピードの暴力と混合されることにより、暴力のいろいろな側面を目の当たりにして戸惑い不思議な躍動感を感じるのである。 ■いいねえ、パキンパー作品に出てくるザコキャラは そして、パイク一味を追いかけるソーントン一味の中で一際目立つのが死体に群がる禿げ鷹のような2人組を演じるストローザー・マーティン(1919−1980 写真先頭)とL・Q・ジョーンズ(1927− 写真後方)のコンビである。欲深さ丸出しで、物語中ほとんどこすい口喧嘩しているか、死体から物品を漁っているかのどちらかなのだが、実に実に魅力的なのである。『隠し砦の三悪人』の2人組(太平&又八)のような最下層に生きる人間のたくましさ、浅ましさ、醜さをペキンパー独特の共感と優しい視点で描いているのである。 特に誰が撃った死体かを争って「嘘つき〜〜こいつを殺したのは俺だぁ!」とストローザーが怒鳴ってL・Qに「何だそんな言い方はないだろ?」と言い返されて「すまん。一緒に靴を脱がそう」と言ってからL・Qが靴を脱がしてる間に死体の高価な指輪をこそっと自分のポケットに仕舞い込むストローザーが何とも可愛らしいのである。悪党の子供っぽさを描かせるとこの監督とセルジオ・レオーネの右に出るものはいないのである。 ストローザー・マーティンは語る「『ワイルドバンチ』で怒鳴られなかったシーンはないよ。だが勘違いするなよ。俺はこの世の誰よりもサムを尊敬しているんだ」
■荒くれ者達の友情の表現 銀行から苦労して盗んだ銀貨がネジ止めだったことを知りののしり合うパイク達。サイクス(エドモンド・オブライエン 1915−1985)が「穴のついたクズ鉄をつかんで― 分け前が聞いてあきれるぜ」と悪態をついたりしていたが、やがては下ネタで皆大笑いするのである。かなり魅力的なシーンである。大きな仕事に失敗して、仲間の結束なんかはないに等しい状態になるが、笑いがすべてを癒していくのである。この作品のキーポイントはいい年こいた大人の男達の大笑いなのである。 ホールデン「思い起こせばその日は我々6人全員が不調だった。フィルム上では8分のシーンがやたら難航した。だが6人ともゆっくり時間をかけて調子を取り戻せばいいと感じてたので、誰もセリフを覚えようとしなかった。するとサムが静かに脅すような口調でこう言ったんだ。《諸君、きみたちはこの映画に俳優として雇われた。俳優ならセットに入るときには当然セリフを覚えてくるものだ。今からきみたちに20分与える。その間どこでセリフを覚えても構わない。だが戻ってきて、役者になりきってなければ解雇されると思え》。それを聞いた皆は慌てて茂みや物陰に散らばり、レンガの壁によりかかって、セリフを一心不乱に覚えた」 ■悪党や滅び行く者に対する限りなきシンパシー 「子供の頃に戻る瞬間はどんな大人にでもある。悪人にも・・・いや悪人ほど、なおさら・・・」 メキシコの村を離れるときに流れるメキシコ民謡『ラ・ゴロンドリーナ』が実に良い。ペキンパーの映画は情緒あふれる曲がよく使用される。パイク一味が去っていくシーンとこの民謡のメロディと歌詞の内容が何とも情感にあふれる素晴らしい雰囲気をかもし出している。こういう情感をアメリカ映画で表現できる監督がなかなかいないところを見ても、ペキンパーという人はバイオレンス以上に情感溢れる映像を撮る類希なる才能を持った監督と言える。この点がタランティーノと全く違う点なのである。 〜 行方も知らず― 疲れた翼で、つばめはどこへ飛んでいくのかあてもなく 隠れ家を求めて、むなしい旅へああ神様 もう私は飛べない。夢に見るのは愛のねぐら だけど素気無く愛は飛び去る 1人残って途方にくれる ああ神様 もう私は飛べない 〜♪ パイク一味の唯一のメキシコ人エンジェル(ジェイミー・サンチェス)が故郷に戻ると、恋人テレサは今や野盗まがいの政府軍のマパッチ将軍の愛人になっていた。詰め寄るエンジェルに金も食べ物もあって満足よとぬけぬけと言うテレサ。欲望のためには自分の故郷を食い物にしている将軍の女になってでも生き延びようとする女も女だが、そういう女をあっさりと射殺するエンジェルもエンジェルである。基本的にこの作品の中の女性は、安易に金のためならなんでもする存在であり、男性は、あっさりと女子供でも殺す人達なのである。ちなみに当初エンジェル役はロバート・ブレイクで考えていたが、辞退したのでサンチェスの抜擢となったのである。
■樽風呂で女とはしゃぐことをこよなく愛する男ペキンパー それにしても本当にサム・ペキンパーという人は樽風呂の好きな人である。もちろん本作でも登場する。ワインの樽風呂の中ではしゃぎにはしゃぐ大の大人達。かつて樽型の檜露天風呂に入ったことがあるが、やはりこういうはしゃぎ方を私自身もしたものである。そして、私も樽風呂好きの1人である。 伝説となっている馬ごと橋爆破シーンである。この爆破シーンに至るまでの軍用列車からの武器奪取も見事だった。この軍用列車のシーンにペキンパーは6日間を費やした。「軍用列車のシーンは地獄のようにきつかった」とボーグナインも述懐している。あの列車から落ちそうになっているシーンは、実際に走る列車から本当に落ちそうになっている所を撮影したのである。 ■アーネスト・ボーグナイン ボーグナインが本作への出演を決めた理由は、一度ホールデンと共演したかったからであった。そんな彼にウォーレン・オーツは撮影前に言った。「ペキンパーに会うのを楽しみに待ってな。生きたまま食われるぜ」それに対してボーグナインはこう答えた。「俺の前の女房ども以外に、俺がこの世で付き合えない奴はいないさ」 アーネスト・ボーグナイン(1917− )は生涯に5度結婚している。一度目は1948年〜1958年に普通の女性と結婚していたが、アラン・ラッド主演の『悪人の土地』(1958)で共演した女優ケティ・フラド(1924−2002)と1959年再婚する。ケティはメキシコ出身の女優で『真昼の決闘』(1952)で脚光を浴び、『折れた槍』(1954)にメキシコ人女優として初めてアカデミー賞にノミネートされた。1963年に離婚する。ちなみに1973年にペキンパー監督の『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』に出演している。1964年、『ブロードウェイの女王』エセル・マーマン(1908−1984)と結婚するも、わずか32日で離婚した。この3度目の結婚はボーグナインによっぽど堪えたらしい。 ■伝説の死の行進 一仕事終えた後の酒瓶の回し飲みがまた格好良い。そして、ウォーレン・オーツ(1928−1982)の手元に酒瓶が来たときにはすでに空という所がまた良かった。このウォーレン・オーツという役者にはこういう役柄が実に似合うのである。『ワイルドバンチ』の彼はかなり光り輝いている。彼もまたストローザーに共通した悪党の可愛らしい瞬間を演じる役回りをしていた。 1人だけ売春宿に入らずにナイフで木を削っているダッチ(アーネスト・ボーグナイン、1917− )が実に格好良い。外見から見てみるとグレムリンに似たかなりのブ男なのだが、時たま見せる凄く人間味溢れる表情がよいのである。サム・ペキンパーは、当初ダッチ役には、若くて大柄な役者を使おうと考えていて、ボーグナインの起用には全く乗り気ではなかったが、ボーグナインの芝居を見たと同時にボーグナインの虜になったのである。とにかくこの映画におけるボーグナインの役割は、パイク一味を見守る母親のような存在であり、父親のような存在のホールデンと見事なバランスが取れているのである。 そして、3人も事を終え売春宿から出てくる。ところで3人の売春宿でのシーンで売春婦に同情的なやり取りを全く展開しない所がいかにもペキンパーらしい。むしろオーツは、ここに及んでも売春婦に払う金をけちるほどのケチっぷりなのである。そして、それを咎める訳でもなく見守るパイク。そしてパイクの一言「レッツゴー」。それに対して「Why Not?」と答えるオーツ。これ程痺れるシーンはない。男達の会話にセンテンスは必要なのである。ただ必要なのは、はき捨てるような言葉なのである。 そして、有名な「威風堂々な死の行進」が始まるのである。このシーンはただ堪能してくださいとしか言いようのないほど見事な群集撮影シーンでなのである。こういうシーンでは監督の演出と同じくらい役者の存在感が重要なのである。更に言うと鼓笛隊の演奏とメキシコの民謡がかなりの効果を挙げているのである。 ■やはり銃撃シーンに必要なのは緊張感だろ? ペキンパーは緊張感の表現力が極めてすぐれた監督である。エンジェルの首を掻き切ったマパッチを殺し、200人の軍隊に包囲されるが、4人の迫力で圧倒した瞬間・・・緊張の糸が張り詰める中、ダッチが「ヒヒッ」と笑ったのに端を発し残りの3人も顔を見合わせて大笑いする。この笑いの前の一時の静寂が格好良すぎる。 そして、静寂を破るパイクの銃弾がドイツ軍士官に炸裂すると同時に弾丸の乱れ撃ちになるのである。200対4の絶対的形勢不利な状況で、女を平気で盾にして抵抗するダッチの姿が何故かそれほど醜くないのである。一方、女だと油断していたら背後から撃たれることになるパイク。そして、撃ちまくられながらマシンガンにすがりつきながら連射するライル(ウォーレン・オーツ)、子供に撃ち殺されるパイク。しかし、不思議とこの描写には不快感がこみ上げて来ないのである。 ■デス・バレエ 不快感よりも妙なカタルシスが体感できるこの銃撃戦のシーンこそ、デス・バレエ(死のバレエ)と呼ばれているシーンなのである。6台のカメラを用いて11日間ぶっ通しで撮影した映像を凄まじい量のカット割りとスローモーション映像の融合によって暴力を題材にした幻想世界を作り出してしまったのであるサム・ペキンパーという男は。実際に死んでいく姿そのもののこの超現実的で醜い大殺戮が何故か幻想的に感じるのはスローモーション映像による時間概念の感覚が鈍らせられたことによるものなのである。 しかし、重要なことではあるが、この銃撃戦のシーンには、誇張したジョン・ウー的演出は一切ないのである。そしてその事がより次元の高い暴力のマジックを生み出しているのである。 ■マシンガン・リレー マシンガン・リレーによる大虐殺が展開されるのだが、まさに死のバトンタッチと呼ぶに相応しいこのシーンは迫力ある滅びの美学を表現してくれている。ダッチが「パイク!撃て!撃て!」と叫ぶ中2人は息絶えていくのである。それにしても、西部劇のラストに機関銃での大殺戮を据えてくるところが型破りなペキンパーらしいところである。脚本を読んだ役者達はラストの展開にぶったまげたという。およそ5分間に渡る銃撃戦に使用された空砲の弾薬は27万発で、これはメキシコ革命で使用された弾薬総量を凌ぐ物量であるという。 偉大な監督は、群衆シーンが上手である。リチャード・アッテンボローにしてもそうだが、デビッド・リーンは言うに及ばず黒澤明しかりである。そして、サム・ペキンパーも群集シーンの演出が上手である。冒頭の銀行脱出の銃撃戦もラストの銃撃戦もわずか5分の出来事なのであるが、そのスローモーションと膨大なカット割りの効果で10分にも20分にも感じるのである。 ■ロバート・ライアン ロバート・ライアン(1909−1973)代表作を挙げればきりのないほどの数の良作に出演している。本作品においてもその渋すぎる存在感は、チャールズ・ブロンソン並みか以上である。この寡黙な、しかもあまり人生で美味しい目をみていなさそうな、皺が文字通り刻み込まれた男の顔を見ているだけで、黙っているだけで様になる男なのである。私は彼をチャールズ・ブロンソンの師匠的人物だと考えている。当初この役はウィリアム・ホールデンの一番の親友グレン・フォードが予定されていたがスケジュールの都合で出演できなかった。 パイクが死んでぼんやりと土壁にもたれかかって体育座りする虚無感たっぷりのロバート・ライアン。そんな姿が物語る。男は黙って己が信じる目的のためにひたすら進め。そして、その目的が果たせずとも決して泣き言を言うのではない≠ニ。パイクの死体からコルトリボルバーを抜き取り形見とする無言の行為がまた格好良かった。 ■暴力とはまさしくこの映画のことだ 『ワイルドバンチ』は、1964年に『ダンディー少佐』の編集権で揉めてプロデューサーと衝突し、さらに『シンシナティ・キッド』の撮影4日目に夜間に無断で全裸撮影を行ったとして解雇され、ハリウッドを干されていたペキンパーが、4年ぶりに監督した作品である。撮影は1968年3月から81日間かけて行われ予算は600万ドルだった。編集になんと一年間かけた。オリジナル・ファースト・カット版は5時間に及び、上映用最終カット版は3時間45分だったが、スタジオからの命令により2時間25分になり、さらに2時間13分に削られ公開された(この時はペキンパー抜きでの編集による)。 最後にアーネスト・ボーグナインの言葉を引用しておこう。「『ワイルドバンチ』はきつい仕事ではあったが、全員が力を合わせて乗り越えた。誰もが自分達がとてつもない作品を作っているという気があったんで、つらいなんて感じなかったね」 そして、ある映画評論家は当時記した。「>彼の映画は暴力に生き、暴力に深入りし、しかもその暴力には動的な美しさがある。暴力とはまさしくこの映画のことだ」 − 2007年2月4日 − |
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