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ワイルド・ギース THE WILD GEESE(1978・イギリス) | |||||
| ■ジャンル: 戦争 ■収録時間: 132分 ■スタッフ 監督 : アンドリュー・V・マクラグレン 製作 : ユアン・ロイド 原作 : ダニエル・カーニー 脚本 : レジナルド・ローズ 撮影 : ジャック・ヒルデヤード 音楽 : ロイ・バッド ■キャスト リチャード・バートン(アレン・フォークナー大佐) リチャード・ハリス(レイファー・ヤンダース大尉) ロジャー・ムーア(ショーン・フィン中尉) ハーディ・クリューガー(ピーター・コエジー中尉) ジャック・ワトソン(サンディ・ヤング曹長) |
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■あらすじ アフリカ某国の独裁者に元大統領リンバニは、幽閉されていた。元傭兵のフォークナー(リチャード・バートン)に、リンバニ救出の仕事の依頼が舞い込む。銅の採掘権という利権が絡んだ仕事だったが、作戦立案のエキスパート、ヤンダース(リチャード・ハリス)やプレイボーイのフィン(ロジャー・ムーア)といった50名の傭兵たちと共にアフリカの大地に降下した。そして、手際よくリンバニを救出するのだが、迎えの飛行機が彼らを見捨ててしまった・・・敵兵のど真ん中に取り残された50名の傭兵とリンバニは、果たして生き残れるのだろうか? ■虎の威を借りずに生きる男たちの格好良さ ![]() 傭兵を描いた作品の中だけでなく、戦争映画全体の中でも燦然と輝く作品。本当に生きている男たち≠ェ見せる全ての魅力がこの作品にはつまっている。男が醸しだす魅力とは、本来安定ではなく危ういところにこそ存在するのではないだろうか?虎の威を借る狐が増えている現在の日本だからこそ、この男たちの姿は真の男を目指す奴ら≠フ心を打つはずである。 戦場でこそ輝ける男たち。一般社会に出れば犯罪者や冴えない男たちだが、彼らには彼らの人生のフィールドがあるのである。ボクサーがリングでこそ最も輝くように、歌手がコンサートでこそ最も輝くように、彼らは戦場でこそ最も輝ける人たちだった。 人を殺して金を手にし、老後の安定を手に入れようとする彼らは人間として正しい人達ではないかもしれない。しかし、そんな彼らの姿を観ていて涙が込み上げてくるのはどうしてだろうか?世界の混乱を一切無視して平和ボケの日常の中で、刻一刻とやってくる危機的状況をひしひしと感じながらも、強いものに擦り寄って生きている人々。そんな人々よりも、自分の力を信じるもの達同士で結びつき戦う彼らの姿の方がよっぽど魅力的ではないだろうか? ■007軍団がこの作品を見事に高めてくれている ジョーン・アーマトレイディングのヴォーカルをバックにモーリス・ビンダー親爺の(ちょこっと手抜きした)007風なタイトル・デザインが妙に味わい深い。何気にこのオープニング曲のメロディー・ラインが良く、「これから私は何を観ようとしてるんだ?」と意表をつかせる所が面白い。 「吐こうとしてもストリキニーネが入ってる。少しは苦しむ方がお前のためにいい。あと20分の命だ。その短い一時を楽しんで死ね」 女二人を相手にバスローブ一丁で乱交に励む(マフィアのボスの)バカ息子にストリキニーネ入りの麻薬を食わせるシーンのロジャー・ムーア(1927− )が実に渋い。当時『007/私が愛したスパイ』(1978)の空前の大ヒットによってノリにのっていた時期だった。それにしてもこの作品キャラクターの性格描写が実に端的で素晴らしい(当初このショーン役はOJ.シンプソンの予定だった)。 ちなみにバスローブのチビ男を演じているデヴィッド・ラッド(1947− )は『シェーン』のアラン・ラッドの息子である。この当時シェリル・ラッドと結婚していた(1974−1980)。そして、何気にいちゃつく女二人のうちの金髪美女の方は、世界的な名監督イングマール・ベルイマンの娘アンナ・ベルイマン(1949− )である。この頃は丁度ヨーロピアン・ポルノのキャリアを終えた位の時期だ。 ■男の世界に登場する女たち ![]() 完全に男の世界を描いた作品ではあるが、四人の女性がほんの一瞬登場する。その内の三人は縁故出演である。まずはショーンをかばうポーカーのディーラー・ヘザーを演じるロザリンド・ロイド。彼女はこの作品の製作者ユアン・ロイドの娘であり、本作でサンディ曹長の妻を演じているジェーン・ヒルトン(1927-1979)の娘である。ちなみにジェーンはこの作品の公開一年後に心臓麻痺で死亡している。 ![]() そして、カジノでフォークナーと見つめ合うエジプト人女性役で、当時リチャード・バートン夫人だったスーザン・ハントが出演している。彼女は元々有名なファッション・モデルで、1975年から76年にかけてF1世界王者ジェームズ・ハントと結婚していた。バートンとは1976年に再婚し、1982年に別れている。 そして、唯一縁故者でもないヴァレリー・レオン(1945− )がディーラーの一人としてちょっとだけ出演している。恐らくこれは『私を愛したスパイ』の延長線上で出演したのだろう。 ■戦争行為の本質を描いた作品 「何度裏切られたことか?救世主のために戦い人を殺しても権力を持てばただの盗っ人に豹変する!この世に善人はいるのか?」レイファー フォークナー達を結果的に見殺しにしようとする悪質な大富豪にスチュアート・グレンジャー(1913−1993)が扮している。当初はジョセフ・コットンが演じる予定だったが、グレンジャーの雰囲気も腹黒さ満点で実に良い。ちなみにリチャード・ハリス(1930-2002)扮するレイファーも当初バート・ランカスターが演じる予定だった。 金の為に直接手を下す傭兵たちと、そんな傭兵たちを雇い人を殺させ、彼らさえも見殺しにする大富豪。この構図は今にも通じる世界の偽善の構図でもある。大富豪を国家、傭兵を軍隊に置き換えて考えてみてもあながち当て外れではない。戦争とは、大概にして本当の元凶は安全圏に待機している不条理な悪行なのである。 ■スティーヴン・ボイドのサンディも見てみたかった ![]() 「だから殺して稼いで老後を生きる。あんた方は自分の主張を将来に残すために殺す。その善悪はともかくなぜ道徳的に対立しあう?」ピーター この作品は、直ぐに戦いが始まらない。その前に丹念な給与交渉、傭兵選別、そして、訓練シーンがある。この描写があったからこそこの作品は傑作に成り得たと言っても過言ではないだろう。とにかく傭兵の面々が個性的である。特にサンディ曹長の個性が実に光っている。 自分の上官であれば、どんな場所で会おうとも直立不動の姿勢を取り、敬称で必ず呼ぶ男。但し、訓練においては、上官であろうとも徹底的にしごきあげる。そして、自分も作戦に参加したいと主張する熱い爺さんなのだ。サンディを演じるジャック・ワトソン(1915−1999)は、同監督の『コマンド戦略』(1968)や『グラン・プリ』(1966)、『トブルク戦線』(1967)にも出演しているイギリスの名脇役である。当初サンディ役はステーヴン・ボイドが演じる予定だった。しかし、撮影開始前に急死してしまいワトソンの登板となった。 ちなみに全体を通じてハードなアクション・シーンが続くため、アルコール中毒で有名だったリチャード・バートン(1925−1984)は(南アでの撮影の)3ヶ月間は、ロジャー・ムーアの50歳の誕生日パーティを除いてはソフト・ドリンクで済ましていたという。 ■レイファーとエミール ![]() 「パパが、どこに何しに行くかも知らないんだよ」エミール 「いつか話してあげる。約束するから・・・さぁそこへかけておしゃべりしよう」レイファー リチャード・ハリス扮するレイファーの魅力。そして、その息子エミールを演じるポール・スクリアー(1967− )の天使のような美少年ぶり。スクリアーは後に英国国防省の為に撮影の仕事をし、現在はタイで映画監督をしている。 この二人の関係がすごくいい。フランス人の女性との間に産ませた子エミール。恐らくその女性は売春婦か夜の商売をしている人なんだろう。ある日寄宿学校にいるエミールの前にフランス男を連れてやって来たらしい。そして、同級生から「お前のかあちゃんはアバズレだ」と言われショックを受けるエミール。 そんなエミールの話を聞きレイファーは言う。「悪口なんて気にするな。パパとお前だけは知っている。彼女は親切で立派な女性なんだ」と。そして、エミールを抱きしめる。その前に三週間父と二人でスイスにてスキー三昧の日々を過ごす約束だったのをリンバニ救出作戦の繰り上がりのために無理になってしまったと告げられているエミール。 エミールの孤独をひしひしと感じているからこそ、レイファーは走り去ろうとする息子に詫びるかのように「エミール。愛してるんだよ」と呼びかける。そんな父の声を背に受けながらエミールは、涙を流しながら小さな声でこう呟いていた・・・「僕もお父さんを愛してるよ」と。 息子に受け取って貰えなかった早すぎたクリスマス・プレゼントを手に、その場に立ちつくすレイファーの姿。どれだけ彼がエミールを愛しているか観ているものにも嫌というほど伝わる素晴らしいシーンである。
■さすが元ヒトラーユーゲント クリューガー ![]() パラシュートで降下前の輸送機内でそれぞれの隊員の表情が映し出されるのだが、みんながみんなただ緊張しているという表情ではなく、それぞれのキャラに合った表情をしている。特にオカマのウィッティ衛生兵(ケネス・グリフィス、1921−2006、ピーター・オトゥールの大親友であり三回の結婚暦あり)の一挙手一投足がいちいち怪しくて良い。 そして、私の贔屓の俳優ハーディ・クリューガー(1928− )。ボーガンを放ち敵兵を撃ち殺す姿には、この作品のテクニカル・アドバイザーがマイク・ホアーであろうとも、かつてロジャー・ムーアが大戦中に英国軍娯楽部隊に所属していようとも、バートンが空軍パイロットとして活躍していようとも、そんな過去を優に越えたヒトラー・ユーゲント所属という経歴が生み出す凄味があった(13歳から)。ハーディはさらに1944年からドイツ軍歩兵部隊として米軍と戦い、のちに捕虜になり脱獄に成功している。 まさに肝っ玉の据わった青年期を経てるので、本作撮影中マイク・ホアーとうまがあったらしい。当初はピーター役はクルト・ユルゲンスで考えられていたという。 ■動けない隊員を射殺するフォークナー ![]() まさに情無用に静かに展開するリンバニ救出作戦。シアン化物で睡眠中のアフリカ兵を虐殺するレイファー。そして、無事に作戦成功し、味方の飛行機が来る予定の滑走路で待機する面々。一人の損害も出さずに作戦成功に導いたフォークナーは満面の笑みを浮かべていた。 そのとき、無線越しに「彼らを見捨てろ」の声が・・・。そして、頭上を通過した飛行機は着陸せずに去っていく。敵地のど真ん中に取り残された50名のワイルド・ギースと瀕死のリンバニ。ここからがこの作品の本当の始まりだった。 とにかく早急に追っ手から逃れないといけない状況の中、敵の空爆を受けて大損害を受けてしまう。その時に負傷した部下を見つめるフォークナー。笑顔で頷き合い射殺していくその姿。ここにも素晴らしくも冷酷な戦場の論理が存在していた。非情さではなく深い愛情の裏返しというものがどういうものか・・・ここにその答えがすべてある。 ■ピーターとリンバニの問答 ![]() 「ただ一つだけ忘れるな。今のアフリカに自由はない。人種を問わず南北を問わずアフリカに住むなら明日を考えろ」リンバニ 「おれたち白人はな。この国の黒人を背中にしょってきたんだ」ピーター 「それは逆だろ?」リンバニ 「現におれはお前の命を助けてるぞ」ピーター 「だがやがて立場が逆になるだろう。お互いが助け合うべきなのだ」リンバニ 「愛し合うことを学ぶんだ。さもなくばアフリカは戦火で廃墟になる」リンバニ 「たしかに一理あるが、お前に何ができる?」ピーター 「何かできると信じている。我々は白人の過去を許す。お互いの将来がなければ将来そのものがない。私は将来を信じそのために死んでもいい」リンバニ 「何となくお前の話がわかってきた。どうやら我々はお前が必要らしい。将来のためにな」ピーター ピーターとリンバニの会話。カファー(Kafa)という南アフリカ人の黒人に対する差別用語がやがて、なりを潜めていく展開の巧みさ。実に端的に人種差別の無意味さと、憎しみ合いの不毛さを訴えかけてくるその内容。このシーンを日本人と在日朝鮮人に置き換えてみても興味深い。理論武装して憎しみ合う事が一体何を生み出すのだろうか?寧ろ良き将来の為に許しあうことが必要なのではないのだろうか?「それを日本人の側から言うな」という在日朝鮮人の狭い心も、彼らは被害者意識が根強いという日本人の狭い心も足を引っ張り合う結果しか生み出さないのである。 私は、お互いの歴史をある程度は理解した上で、将来に向って手を握り合うべきだと思う。昨今の日本国内における嫌韓感情の盛り上がりは、明確に日本国内の政治不在の矛先を外に向けさせる為の風潮によって生み出されていると感じる。 リンバニ大統領を演じるウィンストン・ヌシュナ(1941− )と黒人の傭兵ジェシーを演じるジョン・カニ(1943− )は共に南アフリカ出身の舞台俳優であり、1975年に二つの作品でトニー賞主演男優賞を獲得している。 ■キル・ミー!! エミール!エミール! ![]() 脱出前に四方八方から押し寄せてくる敵兵との大銃撃戦が始まる。そして、サンディが銃弾を受けて遂に倒れる。「アレン!」と叫んで。今まで決してフォークナーをファーストネームで呼ばなかった男。「サンディ、二人きりの時はアレンて呼んでくれよ」とフォークナーに言われても、決して上官に対しての敬称を忘れなかった男が、最後の最後に友の名を叫ぶ姿。その男の演出に鳥肌が立った。 そして、最高の見せ場がここに始まる。最後まで、味方が脱出用のDC−3ダコタに無事に乗り込むための殿を務めるレイファー達。ようやく他の隊員が機体に乗り込んだのを確認し、自分も機体に乗り込もうとするのだが・・・押し寄せる敵兵に足を撃たれ乗り込めなくなってしまう。 「アレン!アレン!殺してくれ!」レーファー 「ノー!俺にはできない!」フォークナー 「早く頼む!!ああ・・・エミール!エミール!」 戦争映画史上最高のシーンです。ココには男の友情が凝縮されています。さらには戦争というものの非情さも見事に同居しています。足を撃たれて取り残されると確実に悲惨な死が待っている。ならばせめて親友であるからこそ・・・自分が無理やり作戦に参加させたのだが・・・殺さなければならない。男の苦渋に歪む表情がこれほど心を打つとは・・・ ■お父さんの話をしよう ![]() 少年は一人ぽつんとラグビーをする仲間たちを見つめていた。父を失ったショックも覚めやらない彼の前に復讐を果たした後のフォークナーがやってくる。フォークナーは作戦の前日にレイファーから「もし俺に何かあったらエミールを頼む」と託されていた。 その時は、「お前は絶対死なないよ」とやんわり(俺には子供の面倒を見るなんて事は出来ない)と拒否するのだったが、フォークナーはエミールの前に姿を現した。そして、エミールに「お父さんの話をしよう」と言って微笑みかける。 その笑顔の温かさに、少年も優しく頷く。フォークナーの温かい手の温もりを少年は肩に感じながら・・・二人は去ってゆく。大切な友と大切な父を失った二人は、お互いにその思いを胸に支えあいながら生きていくのだろう。その優しい余韻が、この作品を一気に芸術へと昇華させた。 ■アパルトヘイト下の南アフリカで作り上げられた作品 本作はダニエル・カーニーの未発表作品を原作に作り上げた作品である(後に出版される)。製作のユアン・ロイドは原作を読んで即惚れこみ、自身の高級車、妻のコート・宝石を売り、自宅を抵当に入れて本作の製作費(1000万ドル)を作り出した。当初ユナイテッド・アーティスツはマイケル・ウィナーを監督にするならば協力すると言ったが、ユアン・ロイドはマクラグレンに固執し断っている。 主役のロジャー・ムーア、編集のジョン・グレンを始め、デザイナーのシド・ケイン、モーリス・ビンダーと007シリーズのスタッフが多く参加している。 撮影は南アフリカで行われ、実際の傭兵がエキストラとして参加している。映画公開後英国で大ヒットを記録した。ちなみに原作では、フォークナーは敵兵に撃たれ取り残され、それを見捨てられずにサンディが共に取り残される展開で終わる(おそらく二人とも死ぬだろう)。フィンだけが回復不可能の重傷で生き残った。 1984年にリチャード・バートンは、再びフォークナーを演じて続編の主役を務める予定だったが、撮影寸前に死亡してしまい、スコット・グレンを主役に内容を大幅に変更して続編が作り上げられる事になった。 − 2008年3月2日 − |
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