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野獣死すべし   (1980・角川春樹事務所)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 118分

■スタッフ
監督 : 村川透
製作 : 角川春樹
原作 : 大藪春彦
脚本 : 丸山昇一
撮影 : 仙元誠三
音楽 : たかしまあきひこ

■キャスト

松田優作(伊達邦彦)
鹿賀丈史(真田徹夫)
小林麻美(華田令子)
室田日出男(柏木秀行)
根岸季衣(原雪絵)
野獣死すべし
「キミは今確実に美しい!」松田優作と小林麻美様がいるだけで許せるオレであるからこそこの作品は許せるのだが、二人の存在がなければ、脚本・演出全てがダメすぎるただの破綻した作品だった。しかし、あの一瞬だけは忘れられんな。ほとんど幽霊のような優作が、タクシーで麻美様に手を握られた瞬間にみるみる精気に満ちていくあのシーン。オレにとってこの瞬間麻美様は80年代の女神になった。

■あらすじ


通信社の戦争カメラマンとして世界中の戦場を渡り歩いてきた男・伊達邦彦(松田優作)。この全く生気の感じられない不思議な男は、ある計画を練っていた。それは厳重な防犯体勢の銀行からの強盗計画だった。そして、野獣の目を持った新たな相棒・真田(鹿賀丈史)と共に計画を実行する。


■優作が心から共演を望んだ女性・小林麻美


小林麻美 小林麻美 小林麻美 小林麻美
オレのおかんと変わらん年齢だが、オレはいまだに惚れ続けてるこのオンナに!そう小林麻美(1953− )様。―あんたほんとに魅力的だったよ。もうこの憂いある眼差しがたまらん。
絶対にオレは彼女が『北斗の拳』のユリアのモデルだったんだと信じている。80年代とてつもなくガキだったオレにとって「雨音はショパンの調べ」の音色と共に、理想のオンナはこの人とユリアだった。

それにしても、この作品の麻美様の役柄は完璧なまでにオレ好みだ。職業・社長秘書。そして、クラシックを愛好する女。この作品を見るたびにコンサートで隣の席がこんな美女だったならオレはどうすんだろうな?と妄想するのだ。

「目をつぶって曲に合わせてピアノを弾く仕草をする」「曲に聞き惚れて涙を流すふりをする」。う〜んこの2つは使えるかも・・・しかし、実際クラシック音楽がオレの役に立ってくれたことが一度あった。それは輸入CDショップのクラシック・コーナーで、オレが学生だった頃今なら絶対に恥ずかしくて出来ないが、「う〜ん、ストラヴィンスキーはどこだろう?」と言ってある女性の気を引き、彼女にしたことによってである。

この作品を見ててもそうなんだが、結構クラシックのCD(昔はレコード)売り場は、
「いい女との社交場」でもあるのだ。


■優作はこの作品に全てを賭けていた


野獣死すべし
一つマジメに記すと。

この作品から松田優作は自分自身の芝居について真剣に考えるようになった。そして、この作品は自由奔放なる優作の芝居に対する試行錯誤の姿勢で作られた作品である。この作品には、カタルシスは存在しない。
ある意味優作が繰り広げる色んな要素が組み込まれた作品であり、洗練されて無い野獣の足掻きがこの作品の中にはあり、それこそがこの作品の魅力である。

だからこそ「優作の葛藤と苦悩と凡庸と天才性」の全てが詰め込まれている。優作は撮影中にこう語っている。
「大藪作品の主人公・伊達邦彦はあまりにも超人的。今あんなスーパーマンをやってもシラケるだけだ。原作の持つ犯罪性をエキスにいただくだけで全く新しいものになる」「肉体を全部捨ててしまったような男なんだ」

この作品は優作の完璧主義が、製作陣(脚本家、監督を含む)を遥か彼方に置き去りにした作品でもあり、
その「恐るべきスピードで走り続ける優作」と「周回遅れの破綻振りをなんとか取り繕おうとするスタッフ」の混乱に満ちた狂気の中で作られた作品だった。


■ユーサク・アプローチ


野獣死すべし 野獣死すべし
とにかく前半は優作の瞑想シーンが黙々と続く。特に『蘇える金狼』のラストシーンが蘇えってきたかのようなこのシーン。そう、弾の入ってない銃で自分のこめかみを撃ち、死の世界に埋没していくシーン。この優作の芝居はあざとくなく自然で実に素晴らしい。
特にこの目。なんかガラス玉のような目。本当に目をくりぬいてガラス玉を入れたかのような死んだ目。

六本木あたりのラブホの一室のような無機質な伊達の住処で、大音響で流されるショスタコーヴィチの交響曲第5番『革命』(ソ連革命20周年を記念して作曲された)。この曲は伊達自身にとっての、
「革命(一つの仕事の成就)記念、そして、新たなる進化への自信」を意味するものであり、自分の頭に向って祝砲を上げているその姿は、狂気の歓喜そのものだった。

しかし、この伊達邦彦を演じる松田優作(1949−1989)のその容姿の変貌振りには驚くばかりである。前年の『蘇える金狼』の野性味溢れる魅力は完全になりをひそめている。この「幽霊のような生気のない男」の役作りのために優作は一日一食の食事にランニングとサウナという驚異的な肉体改造を3ヶ月に渡って徹底し、70キロから62キロに体重を落とした。

さらに頬をこけさせる為に奥歯の永久歯4本を抜き、背を低くして目立たない地味な男に変貌したいがために5センチ足を切断する手術を受けようとまで考えていたという。


■こんな目で見つめられたらオトコ冥利に尽きるよな?


野獣死すべし 野獣死すべし
実にクールにハードボイルドなトランペットのメロディーが所々に挿入されつつも、クラシック音楽が交錯していくその音楽のセンスはなかなか素晴らしい。しかし、監督の実兄が指揮者をしている兼ね合いもあるのか無用に演奏会のシーンが長すぎる。

ただし、最初の演奏会のシーンにおいて、令子(小林麻美様)が、曲に没頭する伊達を見つめるその眼差しは、ぞくっとするほど美しい。この作品の麻美様はセリフを発さない時の方が魅力的だった。そういった意味において彼女は、台詞回しはまだまだだったが、
優作さえも共演を渇望した「強烈に儚さの伴なうイイ女オーラ」は、然るべき演出家を彼氏にしていたならば、恐るべき女優への開花へと彼女を導いたかもしれなかった。


■和製ラウラ・アントネッリ


岡本麗 岡本麗 岡本麗 岡本麗
伊達という男は、東大出身であり、学生時代にニーチェを半年で読破し、クラシック音楽を愛好するインテリである。しかし、そんな彼には、コンサートで涙を流した後にその足で猥雑なオナニーショーを食い入るように見入るという一面もあった。そんなこの男のギャップがこの一連の一日の行動過程で示されている。つまり彼の本質の
「掴みどころのなさ」である。

ちなみに、このオナニー・ショーを演じるのは岡本麗(1951− )であるが、この当時はかなりたまらん肉厚ボディで色香を発散させている。


■伊達の心情を代弁する一つの詩


野獣死すべし
漂泊者の歌(1921)  萩原朔太郎

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂う。

ああ汝、漂泊者!
過去より来たりて未来を過ぎ
久遠(くおん)の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾(そうじ)として
時計の如く憂ひ歩むぞ。
石をもて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥(せきりょう)を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつては何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情する者を弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
優しく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰へらん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いずこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

そして、この詩の朗読の素晴らしい声音。この朗読一つとっても優作が、この作品の中で如何に自分の能力を四方八方から開花させようと挑戦しているかが分かるだろう。


■劇団四季より鹿賀丈史降臨!


「今から言うことをよく聞け。あんたの前の席に、白いスーツを着たサングラスの男がいるね 。その男は胸ポケットにピストル一丁アタッシュケースにはダイナマイトを5本詰めている。騒いだりしなければ何もしない」


いよいよ銀行強盗の下準備を開始する伊達が、銀行員に電話越しに話すこのセリフの人を食ったような台詞回し。この作品の優作はやはり「デ・ニーロ・アプローチ」ではなく「ユーサク・アプローチ」である。そう彼はオリジナルである。松田優作は明確に全てが個性的で独創的な役者なのである。

野獣死すべし
そして、タイピングする文字「get the other one...(モウヒトリホシイ)」。伊達は、一年前までの優作そのものの野性味たっぷりの男を相棒にするのである。そう当時劇団四季に所属し、本作が映画初出演の鹿賀丈史(1950− )扮する真田である。

「なに見てんだお前!」

とぶちぎれるチンピラそのものの下品な男なんだが、このアフロが何気にすごい。しかも加藤鷹並みの日焼けぶり。そして、ゴリラ並みの強烈な野性味に溢れている。しかし、何よりもこの男の登場シーンで気になるのが、「ディスコ・トレイン〜〜♪」と流れてる音楽だ。この音楽村川透の演出するドラマ・映画には良く流れてないか?しかも何気にノレル。

優作は、この真田役に後に『竜二』(1983)を生み出す金子正次を推薦していた。


■伊達と真田の奇妙な共犯関係


「その目どうなってのそれ。死んでるよ」真田
「きみもそうですね」伊達

「いい指してますね」伊達

「オンナに情を移すほどまぬけに見えませんよ」伊達

「すかっと決めれなえんだよ。いつだってそうなんだ」真田
「あなたの場合少し世間が狭すぎるんじゃないですか?」伊達


とにかくイチイチこの伊達と真田の会話の噛みあってなさが可笑しい。しかも何気にキツイ一言を無表情で連発する伊達の心地良い憎らしさ。間違いなくオレは、この冷静な無感情で捉えようのない伊達のままで最後まで突っ走って欲しかった。


■俺の思いはもう人を殺すこと以外なくなってしまったんだ!


野獣死すべし
「あのぉ、サイレンサー使用時の発射音と貫通能力を試したいんですけど・・・」

銃の密売人・遠藤(佐藤慶)が昼間のオフィス街で射殺されるスロモーション・シーンの美しさ。しかも、何よりも奇妙なのは、遠藤が殺された時に、伊達が死神のように横を無表情で通り過ぎ、そして、その後ろに真田がいるのである。ということは
誰が撃ったんだ??まさに白昼夢のようなシーンだ。

そして、優作自らが書き下ろした別荘での長台詞が披露されるのである。まあの有名な「キミは今確実に美しい」という悪魔の洗脳シーンである。まさに牧師のように厳かに語る。

「あの女は確実に死んだ。やがて土になる。それだけだ。すばらしいじゃないか。恐いのか?無理もない。だけどそれでいいんだ。
それはね。人一人を殺したからじゃないんだ。君自身が人を殺すことに快感を覚え始めている自分に戸惑っているからなんだ。そうだろ?何も心配することはない。僕も最初はそうだった。不安はじき消えます。だってキミは今確実にうつくしいんだよ。それは悪魔さえも否定できない事実だ。来たんだキミは今。あの輪廻という忌まわしい長い歴史をたった一発の銃弾でキミは否定してしまったんだ。そのくだらない時の流れを止めてしまったんだ・・・なんて素晴らしい悪魔の時間だ。現世に於ける法に基づく社会復帰なんてものはキミにとってもう過去の産物になってしまったんだ!わかるか!嘆くことはない!それでいいんだよ真田くん!君はもう仲間だ!キミのその行為は来世の世界で新しい歴史の始まりとして輝かしい出発をとげることができるという暗示だ。キミは今確実に美しい!それは神さえも!神さえも超越している!キミのキミ自身によるアイデンティティは今確実にココに確立された。歴史を否定する野獣の血は今初めてここに実を結んだんだ!わかるか!もう何もおそれることはない!一気に駆け抜けろ!ボクと一緒に!一気に駆け抜けるんだよ!真田ぁ〜!


■そして、伊達自身も現世との接点を一切断ち切った!


野獣死すべし 野獣死すべし
遂に2匹の野獣は銀行強盗を敢行する。理性的な伊達が、理性を放棄し、ただ本能の赴くままに13人もの人間を殺して殺しまくる。
このシーンは1979年1月26日に大阪で起こった梅川昭美による三菱銀行人質事件を髣髴とさせるシーンである。ちなみにこの当時オレのおかんもすぐ近くの銀行で銀行員をしていたので、この事件はすごくショッキングだったらしい。おかん曰く「人質になった女の銀行員は、事件のあとでみんなすぐ辞めたんやで」と言っていた。

しかし、この銀行襲撃のシーンで、よりによって偶然にしても有り得ないほどのタイミングで、お客の一人に令子の姿があるのである。そして、マスクを外し無表情に、令子を撃ち殺す伊達の姿。この瞬間彼は令子を殺したと同時に「クラシック音楽」を愛する自らの心さえも殺してしまったのだった(だからこそラストにおいて伊達は、コンサートで居眠りをしてしまうのである)。

伊達に心を寄せる美女を無表情で殺すことによって現世との接点を一切断ち切る。そして、彼の「無秩序な殺戮」を求める本能は行き着くところまで突っ走っていく。彼はもう唯一人間らしさを見せてしまった瞬間であった、タクシーの中で、令子に手を握られた瞬間に生まれた心の迷いも完全に払拭したのである。


■リップ・ヴァン・ウィンクルの話


野獣死すべし
彼がね、山へ狩りに行ったんですよ。山へ狩りに、そこでね、こびとに遭ったんです。
何ていう名前のこびとだったか忘れましたけどね、ずいぶん昔の話だから・・・

とにかくそのこびとに遭ってウィンクルはお酒をご馳走になったんですよ。
そのお酒があまりにも美味しくて、どんどん酔ってしまったんです。
そして夢を見たんです。眠りに堕ちて、夢を見たんです。

その夢はね、どんな狩りでも許されるという素晴らしい夢だったんです。
ところがその夢がクライマックスに達した頃、惜しいことに目が覚めてしまったんですよ。
辺りを見回すとこびとはもう居なかった・・・森の様子も少し変わってた・・・

ウィンクルは慌てて妻に会うために村へ戻ったんです。ところが妻はとっくの昔に死んでたんですよ。
村の様子も全然変わってましてね。わかります?
つまり、ウィンクルが一眠りしてる間に何十年もの歳月が経っていたんです。

伊達を執拗に追跡する刑事・柏木(室田日出男)に対峙して、銃弾を一発だけ入れた銃の引き金をロシアン・ルーレットのように話の合間合間に引いていく伊達。何ともいえない汗が顔全体から噴出している柏木のその姿。このシーンの室田の名演があったからこそ、優作のまばたきゼロの狂気の芝居も報われたというものである。

「リップ・ヴァン・ウィンクル、こびとに何ていう名前の酒をもらったんだ?できれば俺も飲んでみたいなぁ」柏木
「覚えてます。ラム、クアントロ、それにレモンジュースを少々、シェイクするんです・・・わかりますか?」伊達
「X、Y、Z・・・」柏木
「そう・・・『これで終わり』って酒だ!」と言って引き金を引く伊達!

もうこの深夜の電車のシーンの迫力はダテじゃない。まさに狂気に取り付かれた男の恐ろしさを堪能させられる瞬間である。


■わかるか!わかるか!わかんねえよ!


野獣死すべし 野獣死すべし
「お前は死ね!」

まさに『北斗の拳』のラオウ状態!いや釈迦が、産まれた途端に七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と叫んだポーズとは全く逆の手による「神を超越した野獣の生誕」ポーズをふいにとる伊達。


何が伊達という人間をココまで歪めたのか?それはベトナム戦争従軍ではどうやらない。時代的にも作品の中でも「インドシナに長年いて、去年まではウガンダに居た」といっていることからして、ポル・ポト政権が駆逐されたカンボジアとアミンが駆逐される過程の混乱のウガンダという世界でも最も凄惨な2国の滞在中に、尋常ではない精神的な刺激を受けたのだろう。

それが彼の中の何かを弾けさせたのだろう。
ニーチェの言うところの「善悪の彼岸」に立ったのかもしれない。しかし、この「神を超越した野獣の生誕」ポーズまでの流れが、何とも二流演劇的なごちゃごちゃした即興的な=「安易な」ドタバタ劇になってしまっている。この部分が特にこの作品において致命的なまでに残念である。

そして、もはや音楽に対する感性を失った伊達は、自分の声を「ア〜ッ」と発することによって自分の野獣性を再認識し、日比谷公会堂の階段を下っていくのである。と、その時に一発の弾丸が伊達を貫く。倒れこむ伊達の視線の先には亡霊のような柏木の姿が・・・

そして、二発目の銃弾をくらいもんどりうって階段から転げ落ちる瞬間が静止され、この物語は締めくくられるのである。幾通りにも解釈できるラストシーンだが、このラストシーンに対しては、分析するほどの価値はないだろう。

ちなみに松田優作の主導によってすっかりと大藪春彦の原作からは、かけ離れたその内容に大藪自身と角川春樹は激怒したという

− 2007年9月14日 −


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