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イヤー・オブ・ザ・ドラゴン   YEAR OF THE DRAGON(1985・アメリカ)
■ジャンル: アクション
■収録時間: 134分

■スタッフ
監督 : マイケル・チミノ
製作 : ディノ・デ・ラウレンティス
原作 : ロバート・デイリー
脚本 : オリヴァー・ストーン / マイケル・チミノ
撮影 : アレックス・トムソン
音楽 : デヴィッド・マンスフィールド

■キャスト
ミッキー・ローク(スタンリー・ホワイト)
ジョン・ローン(ジョーイ・タイ)
アリアーヌ(トレイシー)
ビクター・ウォン(ハリー)
キャロライン・カヴァ(コニー・ホワイト)
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
ジョン・ローンの魅力と反比例して、加速度的にミッキー・ロークの「クソったれ度」が堪能できる作品。この作品を見て、爽快な気持ちになる人はまずいないだろう。自分自身の責任で妻が殺され、浮気相手の女が強姦され、そして、最後にその女に言う言葉が「心を入れ替えるよ」であり、その後に続く言葉が「その方法を教えてくれ」である。その瞬間観客は「こいつは絶対心が入れ替わらないな」と感じたはずである。魅力的な題材を台無しにした2人の脚本家は過大評価されすぎである。

■あらすじ


ベトナム帰還兵でもあるスタンリー・ホワイト警部(ミッキー・ローク)が、チャイナタウンに転属することになった。チャイナタウンに巣食うチャイニーズ・マフィアを壊滅するために若きボス・ジョーイ・タイ(ジョン・ローン)を追いつめていく。しかし、ジョーイ・タイもスタンリーの妻を殺害し、報復するのであった。


■チミノに手を差し伸べたラウレンティスの器量


20世紀最大の興行的失敗作『天国の門』(1981)によって一つの映画会社を倒産に追い込んだチミノは、ようやく1984年秋より、新しい作品の撮影を任されることとなった。前作の驚異的な大失敗により、もはやハリウッドでは死神のように忌み嫌われたこの男を助けたのは、『キングコング』(1976)で一山あてた男ディノ・デ・ラウレンティス(1919− )である。

このどんなにくだらん作品でもハッタリ一つで感動の名作と観客を期待させていた男は、元々は『にがい米』(1948)『道』(1954)といった名作を製作していた人なのだが、『キングコング』からハリウッド進出してハッタリ映画製作にもっぱら精を出していた。しかし、デヴィッド・リンチの『砂の惑星』(1984)の大失敗で財政危機を抱えていた時期でもあった。そんな中、チミノにチャンスを与えたのである。

本作の原作はシドニー・ルメット監督で1981年に映画化された『プリンス・オブ・シティ』の原作者ロバート・デイリーによるものである。ロバートは元NY市警の刑事だけあってリアリティ溢れる警察内部の腐敗を描写する作風を持ち味としていた。


■リアル・ジョニー・ハンサムの興隆


ミッキー・ローク
本作は俗にミッキー・ロークとジョン・ローンの出世作と言われているが、実際のところミッキー・ローク(1956?− )演じるホワイト警部の描き方はかなりお粗末である。
この時期のオリバー・ストーンはまさに白い粉中毒真っ盛りの時期であり、『スカー・フェイス』の脚本ではこの白い粉が見事に昇華する形になったが、本作においては、この白い粉が見事に作品を根底から駄目にしていた。

そもそもホワイト警部は、なぜそこまで執拗にチャイニーズ・マフィアを撲滅しようとするのか?その執念がどこから生まれているのか?が全く言及されていないのである。さらにミッキー・ロークはどう見ても警部に見えない点や、演技力のつたなさも脚本の駄目さ加減に相乗効果を生み出していた。

しかもそれ以上に、ホワイトと中国系アメリカ人の女性レポーター・トレイシーの説得力のない恋愛関係は、まさにうんざりするほどの東洋人蔑視と女性軽視に満ちており、まがりなりしも現代劇の中でこれほどお粗末な感覚で東洋人女性を描ききる感性には驚かされるあまりである。

公開された当時は、ミッキー・ロークの男臭さが魅力的に思えたというが、この妻と喧嘩するたびにトレイシーの下に駆けつけ、「友達は誰もいない・・・淋しい」とどこまでも女々しく、妻が殺されたあとには「俺が間違っていた。心を入れ替える」と言って、トレイシーと去っていく男のどこに男臭さや格好良さなぞ存在するのだろうか?

何よりも不愉快なのはこの独りよがりな男の描写以上に、このトレイシーの都合のいい女な描かれ方である。
まさにこれでは飼い主にならどんな扱いをされても尻尾を振る子犬ではないか?基本的にストーンとチミノの脚本には、全作品に至って人物に対する描写の破綻もしくは平坦さが目立つ。


■時代の最後尾を走っていた二人


アクションもお粗末ながら、そのプロセスも、全くカタルシスを生み出さない代物であり、まさに『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のような独りよがりぶりのヴァイオレンスが所々に点在する。つまり、この作品には描き出したいものは何も存在せず、ただ適当にチャイニーズ・マフィアという珍しい題材を、商業向けに手っ取り早く料理した感覚である。

「アメリカはまだ200歳だ。君らの時計を合わせろ」

なるほど、このセリフには異議はないが・・・本質的にチミノにもストーンにも、アジア人に対する人種差別意識の深さは拭いきれず、いかなる美辞麗句を並べ立てようとも、この作品は、アジア人をゴミクズのように扱う人種差別感覚で満ちている。そのいい例として、驚くべきことだが、この映画実は警察サイドからは中国人の訓練生以外は一人も死人は出ていないのである。しかもこの中国人が死んでいった理由は、ただホワイトに奴隷のように危険の中を酷使された上に殺されたのだった。

本作は、白い粉にまみれたストーンと、アルコールにどっぷり漬かったチミノが作った
「ただ有色人種の死体が無分別に転がる映画」なのである。唯一悲惨な白人の役柄はホワイトの妻であり、それ以外は全て有色人種間の共食い映画なのである。


■アリアーヌを探せ!


アリアーヌ
この作品の公開にあたり、「人種差別的で、チャイナタウンをステレオタイプ化した悪しき作品」ということで在米中国人団体を始め在米アジア人団体が上映禁止を求め抗議運動をしたという。

ちなみに本作でトレイシーを演じているアリアーヌ(・コイズミ)は日本人とオランダ人のハーフであり、アメリカ生まれの女優である。たしかに芝居はよろしくないが、178cmとかなり長身でスタイルも良く、髪型とメイクがまずいだけで相当綺麗な人である。

ちなみに全ての撮影は、チャイナタウンではなくノース・キャロライナに建てられたセットで行われた。



■実は痛烈にアメリカを批判しているシナリオ


イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
本作の唯一つの救いはジョン・ローン(1952− )のみであった。若きチャイニーズ・マフィアのボスを演じたジョン・ローンはミッキー・ロークを優に食い潰すほどの格好良さである。
スーツを粋に着こなす雰囲気といい、そのかもし出す静≠フオーラは、ロークのがさつな動≠フオーラを優に凌いでいた。

ローンは元々孤児であり、30過ぎまでほとんどチャンスに恵まれなかっただけあり(ちなみに『キングコング』でエキストラ出演している)、その役柄の凄みが20代でぽっと出の役者とは違う。冒頭の白いスーツ姿に咥え煙草の姿から、もう何とも言えない男のダンディズムに満ちていた。しかも京劇で鍛え上げた身のこなしが素晴らしく、終始だらだらした物腰のロークとは明確に一線を画している。

それにしても、ロークの無分別な暴走警部ぶりを見ていると、「こいつチャイナタウンをサイゴンとでも勘違いしてるんじゃないか?」と感じてしまう。チャイナタウンのマフィアを壊滅したいのならしたいで、もうちょっと計画を立ててしないと不可能に決まってるだろう。
いわばロークの捜査における暴走は、アメリカの独りよがりのベトナム戦争の姿勢に等しく、その無計画さがローク=アメリカの象徴であり、最後の新しい若い女とあっさり去っていくところなどは、ベトナム戦争後のアメリカそのものである。


■「高く飛びすぎたな?上のほうの空気は薄いぞ」


しかし、相変わらずチミノは意味のないところにお金をつかいたがる。タイ・ロケは良いと思うが、ゴールデン・トライアングルのシーンで無駄に兵隊のエキストラが多いような気がする。しかもなぜあの薬漬けにされた老将軍をジョーイ・タイは救ったのか?物語から全く見えてこない。

それにあの安っぽいボディコンの女の殺し屋が、車線の間に挟まれてぎこちなくホワイトに撃ち殺されていくショット。もっとマシな撮り方は出来なかったのか?こんなの見せられると完全に映像が白ける。こういう無駄な描写が本作には非常に多い。
そもそも最高の無駄は作品の雰囲気をぶちこわすエンディングで流れる中華圏の演歌なのだが。


■ラストシーンのアンチ・カタルシス


イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
ラストに橋の上で、ホワイトとジョーイが相手に向って走りながら撃ち合うシーンの映像は、ロングショットがお粗末なため納得のいく映像美を演出できていない。そして、
ミッキー・ロークの特徴だが、肝心な部分において線の細い芝居をしてしまうのである。このある意味本気で心の弱そうな¥鰍ェ、当時日本人女性の心を掴んだのかもしれない。

ジョン・ローンの橋から最後に至る振る舞いのとてつもない格好良さを、ロークの締りのなさが足を引っ張る形となってしまった。さらに本作は全体的に編集が最低レベルである。アクションシーンにおいても感傷的なシーンにおいても見事に、鑑賞者の感情の流れに水をさしてくれていた。

結果的に本作は全米で興行収入1800万ドルをあげた。


− 2007年7月12日 −


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