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楊貴妃   (1955・大映東京=ショウ・ブラザーズ)
■ジャンル: 歴史劇
■収録時間: 98分

■スタッフ
監督 : 溝口健二
製作 : 永田雅一 / ラン・ラン・ショウ
脚本 : 陶秦 / 川口松太郎 / 依田義賢 / 成沢昌茂
撮影 : 杉山公平
音楽 : 早坂文雄

■キャスト
京マチ子(楊貴妃)
森雅之(玄宗皇帝)
山村聡(安禄山)
南田洋子(紅桃)
小沢栄太郎(楊国忠)
進藤英太郎(高力士)
楊貴妃
奈良時代の貴人たちの唐に対する想いを現在に蘇えれ!とばかりに巨匠・溝口健二が二人の名優と共に作り上げた作品だったが、お世辞にも傑作とは言えない出来である。90分で唐朝(=タン・ダイナスティ)の傾国を描くにしては溝口はロマンスにこだわり過ぎた。歴史が動く躍動感を度外視してメロドラマを描いたことがこの作品から歴史的背景を削ぎ落としてしまった。

■あらすじ


息子に退位させられた唐の元皇帝玄宗(森雅之)は回想する。楊貴妃(京マチ子)との愛の日々を。しかし、二人の真摯な愛をよそに、力を持った楊貴妃の又従兄・楊国忠(小沢栄太郎)は宰相になり、私利私欲にまみれ悪政を行った。そんな悪政に対する反感が各地に広まり、遂に地方の有力者・安禄山が反乱の旗印を掲げた。ここに安史の乱が勃発し、玄宗と楊貴妃は唐の都・長安から追われてしまう。


■楊貴妃と言えば妖艶な悪女のイメージ


楊貴妃
当時ヨーロッパで名声を轟かせていた溝口健二を起用して大映社長・永田雅一が企画したのがこの作品だった。日本映画が日本だけでなく世界を視野に入れていた時代。だからこそ日本の歴史上の人物を飛び越え東洋のクレオパトラ=楊貴妃≠ェ題材として選ばれた。

そして、楊貴妃を演じるのは京マチ子。まず間違いなく狡猾で妖艶な悪女を演じるのかと思いきや、なんと誠実で純真な楊貴妃を演じるという意外性だった。

ドラマとして観てみれば一人の女性の物語をかなり脚色して描いている上に、上映時間も90分足らずなので物足りない感じは否めない。しかも私にとって楊貴妃と言えば、
思春期に見た某映画(上部の写真の香港映画)の艶やかな姿こそ楊貴妃のイメージそのものだったので、妖艶さを売り物にしない楊貴妃がもどかしかった。


■楊貴妃でロマンスを描こうとすることは無謀ではなかったか?


楊貴妃
本作は香港の映画会社ショウ・ブラザーズとの合作の形をとっているが、全ての撮影は国内のセット内で行われている。しかし、当時の大映の美術のレベルの高さによって色彩感覚が、
見事なまでに多彩で中華風な中に和風の感覚が若干マッチした美しい幻想的な雰囲気が生み出されている。

ただし、肝心の物語の方は、実に退屈なものになってしまっている。中国史劇という事もあり溝口自身も助監督の増村保造が傍から見ていても気の毒なくらい演出にてこずっていたいという。しかも入江たか子の降板劇(杉村春子が演じている役柄において)などのトラブルもあり、明らかに演出は窮屈で気乗りしていない感じである。

普段見れない名優の古代中国の装いに違和感を全く感じさせない演出(ただし安禄山を演じる山村聰は違和感あり)は、素晴らしいのだが、歴史の動乱の中のロマンスを描こうとしたことが間違いだった。
結果的に歴史の躍動感は全く映画上で捉えられておらず(どこぞの村で反乱が起こったかのようなスケール感)、ロマンス描写の方も中途半端に終わってしまった。

ちなみに入江の降板劇において溝口が吐き捨てた言葉は強烈である。
「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」


■世襲制が生み出すもの 成熟しない熟年坊や


楊貴妃 阿川美千子
隅から隅まで丹念に配置された豪華な調度品の素晴らしさがあればこそ、京マチ子以外の大映女優も実に美しく美貌を中華風に輝かせてくれている。そして、
冒頭であっと驚かされるのが、阿井美千子の胸の谷間である。衣装に関してもショウ・ブラザーズから時代考証の香港人アドバイザー共々レンタルしているだけあって実に無理がない。

この浮世離れした感覚が、結果的に本作の描写における破綻を生み出してしまうのだが、それは短時間の映画においてはしょうがない。民衆の貧困の元に築かれた大雅が崩壊していく様が本作においては決定的に抜け落ちていた。

それにしても、この上記の美女との出会いや、楊貴妃との馴れ初めに関してもそうなのだが、
玄宗皇帝の恋愛とは、全て宦官に仕組まれた恋愛なのである。こんな恋愛とも言えない男女関係しか経験していない男が皇帝になっていること事態が不気味である。

果たして自分の恋人さえも自力で見つけ出せない男に国を委ねていいのだろうか?そんな男に女が惚れこむ魅力なぞあるのだろうか?



■何気に連想させる現在の日本の腐敗の実態


楊貴妃 楊貴妃
「人間というものには運がある運を掴み損なったら人間一生下積みに終わるんだぞ!」安禄山

「美しく生まれてきたものの幸せを独り占めするがいい」安禄山

今よりも出自がその人に影響を及ぼすようなこの時代において、今を生きる人々の心を打つような言葉を物語に組み込むことなぞ到底難しいことである。
この作品が実に退屈な理由は、物語の主人公二人の感情の機微が伝わりにくく、高揚感が存在しないからである。

だからこそ観ているものは、その長江のような悠々とした流れに睡魔に襲われ、ふとウトっとした時には物語は唐突な急展開を迎えてしまっているのである。

「法というものは人の幸せのためにあるべきだ!お前たちはどうして人を生かすことを考えないのだ」玄宗

新しく宰相になる楊国忠(小沢栄太郎)といい宦官の高力士(進藤英太郎)といい、国が傾いていく本質が皇帝にあるのではなく、欲に駆られた家臣どもにあることが分かりやすく描写されている。まさに今の日本と同じくその貪欲さが国家を食い物にし滅びへと導いていく構図。

そして、この構図が出来上がるにつれて玄宗皇帝のように国の長が何を言っても、官僚の思うがままに国を私物化されることはもはや防げないという絶望的な構縮図。そして、安禄山の登場と混乱・・・・


■南田洋子がかなり愛くるしい


楊貴妃 南田洋子 南田洋子
何よりも驚いた瞬間。それは楊貴妃の侍女として登場する南田洋子(1933− )の可愛さである。今でも悠に通用するくらいこの人は美しかったんだ。というより可愛らしくて愛くるしい。しかし、その愛くるしさが生かされていなかった。本作は全体的に女優が思ったより目立たない演出に終始されている。


傾国の美女 楊貴妃(719〜756)


楊貴妃
中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人。ふくよかな白い肌(当時の美女の基準はちょっと太ってる方が良いとされた)の持ち主であり、柳のような眉と切れ長の目、そして、小さな口は芙蓉の花のような顔だちと形容された。

16歳で玄宗皇帝の息子の妃になるが、740年秋、長安郊外の保養地華清池で、玄宗に見初められる。初対面で玄宗は息子の妃の虜になったという。彼女は楽器の演奏、舞踊、声楽に秀でており、それが芸術家肌の玄宗に寵愛された理由だった。当時玄宗56歳、楊貴妃22歳であった。そして、745年に女官の最高位である「貴妃」の称号を与えられ、後宮に迎え入れられた(玄宗は生涯に男30人、女29人の子供を作っている)。

そして、玄宗は楊貴妃の一族を重用していくことになる。元々は
開元の治と呼ばれる善政を敷いていた賢帝だった玄宗だったが、彼女の又従兄・楊国忠を宰相にしたことにより、楊一族の専横を許すこととなった。

一方、節度使の
安禄山は栄達を望み楊貴妃に取り入っていた。そんな安禄山が煙たい楊国忠は玄宗に安禄山に関する讒言を繰り返し、安禄山を貶めようと画策した。しかし、いち早く危険を察知した安禄山が755年に部下の史思明らと共に唐に対して反乱を起す。これが安史の乱の始まりである。平和ボケで弱体化していた唐の本隊に対して精鋭部隊の安禄山軍はわずか一ヶ月で洛陽を陥落させる。そして、756年、安禄山は聖武皇帝を名乗り長安への進撃を開始した。

瞬く間に長安を安禄山の支配下に置かれた玄宗は楊貴妃と共に都落ちする。しかし、馬嵬(陝西省興平市)で、楊国忠を憎む近衛兵の反乱により楊国忠一族は殺害される。さらに玄宗に対して楊貴妃を殺害することを近衛兵が要求したため、玄宗は泣く泣く宦官の
高力士に命じ楊貴妃を首吊りさせた。

のちに反乱は、安禄山が失明に伴ない暴君化し、反抗した息子の
安慶緒らによって殺害され、皇帝を継ぐも、重臣の史思明が范陽に帰って裏切り、反乱勢力は分裂する。そして、757年玄宗の長子粛宗皇帝はウイグルの加勢を得て長安を奪い返し、安慶緒は洛陽に都落ちする。

一方、機をみるに敏な史思明は唐に降伏したと見せかけて、759年に洛陽の安慶緒を攻め滅ぼし、自ら大燕皇帝を名乗り独立する。しかし、史思明も子息
史朝義との不和から、761年に史朝義に殺害されてしまう。そして、弱体化した反乱勢力は唐王朝に各地で撃破され、史朝義も763年に唐軍に敗れ自害し、ここに安史の乱は終わりを告げる。しかし、この乱が唐王朝の慢性的な弱体化を生む結果となった。


■ふくよかにくびれる京マチ子の肢体


京マチ子 京マチ子
「もの言う花も満開でございます」宦官・高力士

唯一本作で楊貴妃の妖艶さが漂う入浴シーン。しかし、本作における京マチ子(1924− )の魅力は妖艶というよりも可愛いらしいという感じだった。健気な女。栄達の道具として身内から利用される女の悲しさ。そんな悲しげな姿が、妖艶さよりも女の可愛らしさを引き出していた。


■二人の名優が居ようとも玄宗と楊貴妃のロマンスなぞ誰も好まぬ


楊貴妃 楊貴妃
溝口的にこの作品のハイライトは、庶民のフリをして祭りを堪能する玄宗と楊貴妃のシーンだろう。しかし、楊貴妃が舞い玄宗が音を奏でる・・・膝枕で愛の一時を過ごす二人・・・庶民の食を食す二人・・・といった描写も、絵的にも芝居的にも情感に溢れているが、唐突さは拭えず、とってつけたような展開で素直に浸れないものになってしまっている。

ここにこの時代の二人をロマンスの尺度で描こうとした試みの難しさと、冒頭から支配していた幻想的な空気の悪癖が露呈したのである。他の描写が現実的であったならばこの町に出る幻想的な描写も生きたものだろう(しかし、現実的な描写が物語全体を支配していたならば凡庸すぎる・・・)。

溝口が本作に悩まされた理由が良く分かる。彼はロマンスという幻想空間を、歴史劇のスペクタクルよりも優先した。しかし、描いた人物が平坦すぎた為にそのロマンスの幻想空間はつまらないものになってしまったのである。


■楊貴妃の悲しみ・・・


楊貴妃 楊貴妃
そして、物語は急展開していく。史実に基づいた作りではない分この急展開が分かりにくい上にスケール感にも著しく欠ける。二人が都落ちする説得力を画面上で提示できないままにコトは進む。何よりも安禄山を演じる山村聰の芝居が固い(明らかなミスキャスト)。

そして、楊貴妃が殺されるのだが、死に臨んでも不甲斐ない玄宗という男のことを気にかける楊貴妃の悲しさ。
狭い世間で生きロクに男も知らずに、ただただダメ老人である玄宗をお慕い申す女の悲しさがにじみ出ていた。このあたりの演出はさすがに素晴らしい。

そして、首を括るのである。しかし、その姿をイチイチ映すような愚行は犯さない。実に情感溢れるシーンである。ただし、最後の玄宗の死す姿は蛇足だったのではないだろうか?しかし、森雅之(1911−1973)という役者は今には存在しないレベルの独特の雰囲気を持った役者である。
薄っぺらなセレブという言葉とは全く相反する真の気品に溢れている役者である。

本作は1955年邦画興行成績第七位(1億5700万円)を記録した。

− 2007年11月25日 −


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