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善き人のためのソナタ  DAS LEBEN DER ANDEREN / THE LIVES OF OTHERS(2006・ドイツ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 138分

■スタッフ
監督・脚本 : フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
製作 : クイリン・ベルク / マックス・ヴィーデマン
脚本 : ハーゲン・ボグダンスキー
撮影 : アルマンド・ナンヌッツィ
音楽 : ガブリエル・ヤレド / ステファン・ムーシャ


■キャスト
マルティナ・ゲデック(クリスタ=マリア・ジーラント)
ウルリッヒ・ミューエ(ヴィースラー大尉)
セバスチャン・コッホ(ゲオルク・ドライマン)
ウルリッヒ・トゥクール(ブルビッツ部長)
善き人のためのソナタ
「芸術は間違いなくあなたの人生を変えていく」娯楽があなたの時間を食い潰していくように、芸術はあなたに正しい時間の過ごし方を示唆してくれる。そして、芸術は解釈ではなく、その人の生き方に深く浸透していく。そう芸術があなたを包み込む空気のような存在になっていくのである。そして、その空気の中であなたの人生は、娯楽に食い潰される人生を過ごすよりも遥かに有意義なものとなっていく。

■あらすじ


1984年東ドイツ。秘密警察シュタージの腕利き工作員・ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)とその恋人であり舞台女優クリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制的である証拠をつかむよう事を命じられる。そして、2人のアパートの屋根裏部屋を監視室として24時間態勢で盗聴に励むヴィースラーだった。


■芸術は人生を絶えず刺激してくれる


善き人のためのソナタ
「対象物に近づきすぎないこと。それも一つの深い愛の形かもしれない」。愛とは、愛した人と感情を共有する形もあるが、陰ながらその人の幸せを願うような愛の形もある。本作では後者の愛の形が見事なまでに描かれている。演劇によって、クリスタという女優の魅力に惹きつけられたヴィースラー。全ては愛から始まった。そして、その愛には芸術が付随していた。

単純に官僚的に言われたことをこなして生きるのも結構だが、深い対象にヴィースラーは踏み込んだからこそ、彼に「変化」のきっかけが与えられたのもまた事実である。この作品に関してドナースマルク監督は
「芸術は人を変える力がある」と語っている。それは一編のソナタ以上に、2人の芸術家の存在に、盗聴という不純な手段によってではあるが、触れ合ったことによって一人の人間がどういう影響をあたえられたか?という物語でもある。


■正義とは度を過ぎれば悪に最も近い存在である


「こんなクズが国を操っていたとは・・・」


芸術を軽視する心の氾濫が「硬化した社会」を作り上げていった。いい大人が安易にマンガを映画化する風潮が持て囃される娯楽第一主義者の氾濫は、大概にして「楽しませてくれ」と要求ばかりを繰り返す欲望マシーンの氾濫であり、感性の薄い欲望マシーンは、本作におけるあの内務大臣の姿そのものである。

この作品は、過去の東ドイツを描きながら、全世界的な芸術よりも金儲けが素晴らしいという風潮に対する挑戦である。秘密警察云々の前に、全ての始まりは芸術を軽視した不寛容な娯楽一辺倒の姿勢から始まっている。娯楽一辺倒の赤い貴族≠セからこそ、支配する対象に対しては、芸術そして、娯楽さえも禁じていくのである。

まさに世界中の先進国の構図そのものである。政治家・官僚は、のうのうと退廃的な娯楽に溺れておきながら、法律は一つでも多く人間の営みを規制しようとする。
そして、マスコミとそれに扇動されやすい数100万の愚民をコントロールし、秘密警察下の国家のように、自己批判をするまでとことん対象者を追いつめていくのである。

最近の亀田騒動など見ていると、まさに中国の文化大革命並みの「自己批判をしろ!」という風潮に、呆れ返るばかりだ。折角本人達が反省していても、あまりしつこく言われれば、「くそ!むかつくけど表面だけ頭さげてやれ!」とやけっぱちになるのが人間の感情の常である。そんなことも考えずに、この国の国民は正義をご題目のように振りかざし人間を破壊しようと熱狂するのである。

しかし、正義などというものは、度を過ぎれば悪に一番近い存在であることを日本人の多くは知らなさ過ぎる。


■芸術に真摯であることは、人間に真摯であること


善き人のためのソナタ 善き人のためのソナタ
「レーニンはベートーヴェンの“熱情ソナタ”を批判した。“これを聴くと革命が達成できない”この曲を聴いた者は―本気で聴いた者は―悪人になれない」


そう、だからこそ芸術なのである。芸術とは人間そのものであり、それと本気で取り組み合うということは、まさしく、人間と本気で関わり合うということなのである。娯楽一辺倒の思考の人間はマスメディアに流されやすく、芸術思考の強い人が、そうでないのも人間に本気で向き合っているかいないかの違いなのである。

だからこそ他人にばかり目くじらを立てる社会は、人間不信の国家システムを生み出しやすいということである。今の日本はもはやこの段階に差し掛かっているだろう。
芸術軽視、過度の他者攻撃、自己憐憫。歴史上の諸悪の根源はすべてここから始まっている。


■他人に気を取られすぎて自分を見失いがちな現代人の本質


善き人のためのソナタ
「時間が経過すると無実の囚人はイラ立ってくる。不当な扱いに対して大声で怒り出す。その一方で、罪を犯した囚人は泣き出す。尋問の理由を知ってるからだ」

「一字一句まったく同じだ。真実を話すものは言葉を変えて表現する。だがウソつきは圧力をかけられると用意した言葉にすがりつく」


物語の冒頭、容疑者に対する尋問方法を秘密警察大学で講義するヴィースラー大尉の氷のような表情。そして、得意気に人間をステレオタイプ化し、マニュアル本を読み上げるかのように、人間を型にはめて考えるその姿の不気味さ。尋問の中で生きたことによって、彼は大切なものを多く失っていた。

40時間睡眠を取らせない事が真実探求への近道と嘯くヴィースラーに「それは非人道的じゃないですか?」と質問する生徒の名前に要注意人物≠フチェックをつけるソツのなさ。
これ以降続く記録行為の羅列が物語るもの。それはヴィースラーという男の人生は、「他人を記録する人生」でしかなかったということだ。

そんな彼が、芸術に触れることによりごく自然に「自分を記録する人生」を考えてみるのだった。ヴィースラーがはじめて他人ではなく自分を見つめてみた始まりだった。「私は何のためにコレをしているのか?」「私もアレをしたいがなぜできないのか?」「私の人生に欠けているものは何か?」


■感情表現が真に迫るという意味がこの3人を見ているとよく理解できる


善き人のためのソナタ
実に繊細な役柄であるヴィースラーを演じるのは東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミューエ(1953−2007)である。彼自身東ドイツの社会主義体制に翻弄された人生を生きてきた。青年期の兵役の間、ベルリンの壁を監視し越境者を射殺する役目を負わされたが、幸いにも任務中に射殺する状況に見舞われなかった。さらに30代で有名な舞台俳優になった彼は、実際にシュタージの監視下におかれていたという。しかも、当時の妻であった女優イェニー・グレルマン(結婚期間・1984−1990)により、全行動が密告されていた。

実際は迫害された側だったミューエが、迫害する側にまわったことによりこの作品に息が吹き込まれたのである。ミューエは語る
「この作品のような人間的な行為は、実は想像以上に蔓延していたのではないか」と。

善き人のためのソナタ
そして、ヴィースラーが片想いする女優クリスタを演じるのは『マーサの幸せのレシピ』で有名なマルティナ・ゲデック(1961− )である。ちなみにこのクリスタ役を演じようと『トンネル』のニコレッテ・クレベッツ(1972− )もオーディションを受けたほどである。

一方、クリスタの恋人であり、劇作家でもあるドライマンを演じるのは『ブラックブック』のセバスチャン・コッホ(1962− )である。この作品の静の魅力はひとえにこの3人の役者の魅力によって生み出されている。
本格的に映像的なごまかし無しに素晴らしい映画を作る為には、「いい脚本といい役者たち」それだけが重要なものだと実感させてくれる。


■芸術に対する真摯さを学んでみる


ドライマンのアパートの屋根裏に密かに作られた監視室のヘッドフォン越しに、ヴィースラーの中で新しいものが生まれる瞬間。『イングリッシュ・ペイシェント』のガブリエル・ヤレドが手がけた「善き人のためのソナタ」という曲の調べの美しさ。決して頻繁に聞きたい類いの曲ではないが、心に響く旋律の曲である。

監督がヤレドに曲を発注したときにこう言ったという
「1933年に、ヒトラーと2分間だけ対面する時間があると想像してみてください。言葉を交わすことは許されていませんが、自分が作った曲を彼に聴かせることができるのです。そして、その曲によって人類の歴史を塗り替えることができます。つまり、ヒトラーの心に変化をもたらし、実際には彼がやったことを実行させずに済むのです。そのときにあなたが聴かせる曲を作ってください」と。

この監督の発言からも分かるとおり、この作品は明確なまでに「芸術は人間を善き方向に導いていく」という信念のもとに描かれているのである。


■ヴィースラーの人生最初の悪戯


社会主義や、国家の安定、主義云々といくら立派なご題目を並べようとも、所詮は政治的権力を、女性を手に入れる道具として悪用する姿は、この物語だけの話しではない。東ドイツと同じく恐怖政治を強いていたチャウシェスク時代のルーマニアにおいても、実際にモントリオール、モスクワ五輪の英雄であり「白い妖精」と言われたナディア・コマネチ(1961− )は、この物語のようにして、大統領の息子ニクの愛人となったのである。

そんな理想とはかけ離れた現実を盗聴活動の中で見せ付けられたヴィースラーは、カップルを引き離してやろうと、「恋に燃える少年のような悪戯」をするのである。大臣とセックスし、車から降りるクリスタ。その姿をドライマンに見せようとヴィースラーは玄関のチャイムを鳴らす。

そして、アパートの入り口に降りたドライマンは、上着を直すクリスタを目にする。その時点で彼は全てを把握し、アパートに入ってくる彼女に気付かれないようにドアの横に隠れやり過ごす。ヴィースラーの計算では、ここで痴話喧嘩が見れるはずだった。しかし、驚いたことに、ドライマンはクリスタを優しく抱きしめ悲しみを享受するのだった。この夜を境にヴィースラーは変わっていくのである。


ホーネッカー皇帝親衛隊 シュタージ


シュタージ
世界中の独裁者が支配する官僚国家には秘密警察が存在した。ナチス・ドイツのゲシュタポ、ソ連のKGB、ルーマニアのセキュリタテ、韓国の安企部、日本の特高、チリのDINA、イランのサバック、そして、現在も存在する北朝鮮の国家安全保衛部など。

1950年に東ドイツに創立された国家保安省(秘密警察及び諜報機関)もそんな秘密警察の一つである。通称シュタージ。公安大臣エーリヒ・ミールケ(1907-2000、写真真ん中)は1957年から東西ドイツ統一までの32年間東ドイツの影の実力者として君臨した。本作中に出てくる大臣のモデルはこの人である。人口1700万人だった東ドイツにおいて、9万人の職員と情報提供者17万人を擁していたという。まさに70人に1人が秘密警察の手先だった。

この恐怖の組織を作り上げたミールケは根っからの共産主義者だったのだが、ドイツ統一後の逮捕時は38万マルクもの私腹を肥やしていたという。もちろん銀行口座は凍結された。そんな彼によって
「史上最も監視体制の徹底していた国」は築かれたのである。

統一後、反体制分子として監視された人々の個人情報記録が、本人に限り閲覧できるようになった。しかし、それによって家族や親友が実はシュタージの協力者であったという事実を知り、家庭崩壊や人間不信に陥った人々も少なくない。


■愛欲に耽り、自分の混乱した心を落ち着かせる・・・


善き人のためのソナタ
その夜ヴィースラーは太った厚化粧の売春婦を呼びセックスに耽る。「もう少し一緒にいてほしい・・・」そんな彼の願いも無碍なく断られる。彼が自分の人生に欠けているものを知った夜だった。
「人生には醜いセックスも重要な時がある」まさにこのセックスが、彼にとってその時だった。

何の変哲もない太った売春婦に救いを求め拒絶される彼の姿は徹底的に孤独に満ちており、彼が国家を守ろうとした結果がコレだった。そして、ブレヒトを読み、はじめて自分の人生に欠けているものに対して真摯に向き合おうとするのである。

そんな中、帰宅時のエレベーターの中でのサッカー少年との会話が実に印象的である。父はいつもシュタージの悪口を言ってるんだという少年に反射的に「キミはなんて名前だ?」と聞いたのだが、「ボールの名前だよ」と訂正するヴィースラー。


■静寂を味方につける それで本物の役者かどうかは分かる


善き人のためのソナタ
「芸術家がそんな(地位の安定のために政府高官の愛人になる)取引をしてはいけません」


物語の中で2度対面するヴィースラーとクリスタ。そして、その両方のシチュエーションが実に印象的で効果的である。クリスタという芸術家としての自分に懐疑的な薬物中毒の繊細な女優が、如何にして権力者の操り人形へと堕ちていき、如何にして自殺していくかという悲劇が観ていて悲しいほどに静かに描きこまれている。

「私と楽しまない?」

とまで言わないと生きていけない女としての悲劇。こういう立場に女性を追い込む行為は、レイプも同然の行為である。まさに東ドイツの
「人間を卑屈にする体制」の本質が描かれている。しかし、マルティナ・ゲデックという女優の静の芝居は、実に素晴らしく、そして、美しい。舞台シーンで最初に登場した時は、ただのがたいのいい女性としか感じなかったが、物語が進むにつれ魅力的に見えてくる。これこそ本物の女優の持つ自分の魅力を引き出せる力だろう。


■素晴らしい物語の終わりとヴィースラーの新たな夜明け


善き人のためのソナタ
「ギフト包装は?」「いや、私のための本だ」


ゴルバチョフがソ連の書記長になった日(1985年3月15日)に「お前は永久に死んだも同然だ」と上司から言い渡され、閉職へと追いやられるヴィースラー。彼の中で社会主義が死んだ日だった。そして、この日こそ東欧の虐げられた人々にとって真の解放記念日だったことをこの作品は、再認識させてくれる。

そして、ドイツ統一後、更に時が流れ、手紙の配達人として黙々と働くヴィースラーの前に現れるドライマンの最新刊。本屋で本を手に取りページをめくるとそこには
「感謝をこめて HGW XX/7へ捧げる」という献辞が書かれていた。その時のヴィースラーの表情の素晴らしさ。

シュタージ職員のコードネームという人間不信の象徴を通して、人間愛の極限を描き出した瞬間だった。官僚的な考えは、目に見えない人間の不幸など机の上のことだからどうでもいいという姿勢から生まれる。そして、この2人の人間愛も直接会話したことのないもの同士の間で生まれた。だからこそ素晴らしいのである。


■芸術に対する真摯な態度こそこれからの必然である


善き人のためのソナタ
「個人的には、芸術は人間を変え得ると信じている。僕は出来る限り、人にインパクトを与える映画を作っていきたい。ただ2時間楽しむだけの娯楽映画を作るのであれば、 正直映画作りというのは大変なことなので、人生の5年もかけて、2時間だけ人々を楽しませてそれで終わり、というのはちょっと割が合わないんだ。もちろん、娯楽性というのも大切なこと だと思っているけど、観客にとってもお金を払って観るからには、あまり内容がないと損をした気分になるんじゃないかな」
ドナースマルク

「ドイツ映画史上、最も素晴らしい作品である」ヴェルナー・ヘルツォーク

弱冠33歳の貴族階級出身の裕福な西ドイツ青年ドナースマルクが、取材に4年を費やし、200万ドルの低予算で東ドイツの秘密警察シュタージの内幕を描いた本作は、その脚本の出来の良さから、ミューエを始めとする多くの一流俳優が安いギャラで出演した。そして、撮影にあたり、当時の旧シュタージ本部が使われている。本作は2006年度アカデミー賞外国語映画賞を見事受賞した。

− 2007年10月21日 −


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