|
続悪名 (1961・大映京都) | |||||
| ■ジャンル: ヤクザ ■収録時間: 93分 ■スタッフ 監督 : 田中徳三 原作 : 今東光 脚本 : 依田義賢 撮影 : 宮川一夫 音楽 : 鏑木創 ■キャスト 勝新太郎(八尾の朝吉) 田宮二郎(モートルの貞) 中村玉緒(お絹) 水谷良重(琴糸) 浪花千栄子(麻生イト) 中村鴈治郎(松島一家の元締) 長谷川季子(チェリー) |
![]() ![]() |
|||||
■あらすじ 満州事変勃発の頃、故郷である河内の八尾に朝吉(勝新太郎)と妻お絹(中村玉緒)が戻ってきた。早速お絹は朝吉の親父に気に入られ、不本意ながらも野良仕事を仕込まれる羽目になる。そこへひょこひょことモートルの貞(田宮二郎)がやって来て、親父を怒らしてしまう。これ幸いと故郷を脱出した朝吉夫婦と貞はひょんな事から松島の大親分(中村雁治郎)に気に入られ、一家を任されることになる。渡世人になりたくない朝吉なのだが・・・。『悪名』シリーズ第二弾。 ■スクリーンの大きさに相応しい個性が役者に存在した時代 ![]() 勝新(1931−1997)が朝吉を演じているからこそ心に響く男意気がこの作品の中にある。勝新太郎という男の生き様は小利口な男からみれば、バカな男の一言で片付けられてしまうだろう。しかし、「半端じゃないバカをやる」男だったからこそ、一種独特のその個性は普遍性となって永遠に輝き続けている。 この我が道を行く姿勢。タブーなき独走人生。こじんまりと纏まる事を頑ななまでに拒否した生き様。そんな姿が中村玉緒(1939− )という稀代の名女優を泣かせ、泣かして、今はその涙が誇りだったと実感させ、そして、逞しいまでの生命力の源に転化していったのだろう。 最近では「結婚して苦労したくない」「楽になりたいから結婚する」そういう人が増えているらしい。そんな人には永遠に理解できないのが「相手のために苦労できるからこそ結婚する」という発想だろう。 ![]() 八尾の朝吉≠フモデルになった岩田朝吉氏と懇談する勝新と田宮ら共演者。なるほど確かに喧嘩が強そうな据わった首の持ち主だ。それにしてもこういった写真でさえも様になる勝新と田宮。彼らにあって、今の役者にないのは何なんだろうか? ■勝新をいい意味で食う田宮二郎 ![]() 「あれからどないしたんやぁ?」とオープニングに玉緒(=お絹)を見つめるこのエロい朝吉のダチのナイスな芝居によって、観客は一瞬にして朝吉ワールドに浸りこむ。 「おい!おっさん〜〜村上朝吉っつぁんとこ知っとるけぇ」 「おい、おっさん、ワレ先見てものいえよ」 朝吉の登場の少し後に、真打ち登場のようにモートルの貞が登場する。この作品の凄いところは、勝新という稀代の存在感の塊を、田宮二郎(1935−1978)が見事なまでに(そして、いい意味で)食っているところにある。もう八尾のあぜ道をガラの悪い風体で歩いて登場するこの姿からして、「待ってましたァ〜」と声を上げたくなるほどの爽快さを感じさせる。 朝吉の確固とした存在感があってこその貞なのだが、田宮が勝新に唯一張り合えるほどの強烈な個性を持っていたからこそこの『悪名』シリーズは16作(二人のコンビは全14作)も続いたのだろう。とにかく田宮の河内弁を聞いてるだけで愉快である。 『悪名』の撮影をしている最初の頃、勝新は田宮にこう言ったという「お前の役がいい役になれば、俺の朝吉もいい役になる」と。 ■言葉というものの楽しさ、可笑しさ、怖さ・・・ ![]() 「ワレっちゅうやつは、おまえタダさえ金玉ぶらさげた男のするこっちゃないのに。タダとられたカカアのポン引きまでしてんのか?」 自分のカカアに売春させて食いつないでる情けない元子分を助けるために一肌脱ぐ貞ヤン。その時に登場する売春倶楽部の名前が「ハッピィ倶楽部」というのも愉快だが、そんな事よりも倶楽部のボス沖縄の源八の肝っ玉奥さんを演じる人が気になった。毛利郁子(1931− )ではないか? この人の人生も主役の二人以上に波乱万丈の人生だった。短い登場シーンではあるが、水谷良重が演じる琴糸以上に幸の薄さを感じる女優さんである。彼女はこの作品の僅か8年後に愛憎のもつれから人を殺める事になる。 「騒ぎ大きいしてみい!後ろぐらいワレのふりやど」「ワレの出方一つじゃ!鬼でも蛇でもなるやで」 もう貞ヤンと源八の掛け合いは、圧巻としか言いようがない。そして、一件落着した後には「えらいおやかましゅうさん」と言って後腐れなく去っていく。ほんともうこんな役柄を演じることが出来る俳優は出てこないよな。 ■勝新太郎・中村雁治郎・中村玉緒の祝演 ![]() 「(見舞金)出してやってもいい。しかし、ワレはただで返さんぞ。金だけ歩いて帰れるか?」 「人一人殺さんならんハメになりゃ一生の終わりやで。またこっちがやられりゃこれまたそれでチョンや」 「男みたいなオバはんやけど、やっぱり同じ札でも色気があるか?」中村雁治郎 本作の一つの見所は、当時婚約中の勝新と玉緒の嬉しさを隠し切れないお互いの姿と、玉緒の実父・雁治郎にいびられる勝新の姿にある。この三者三様を観る愉快さ。三人の役者が素晴らしい素養の持ち主なので、その分プライベートが垣間見える瞬間が奇跡のようで楽しい。 最近の映画やドラマで、共演者同士が、実はこの作品の時に熱愛していて、後に結婚しました。なんてレベルのものとは天と地の差があるほどの愉快さである。特に雁治郎のあの怖い眼差し。思わず勝新が自伝に記していた−「『忠臣蔵』の話の元は、この顔から生まれたと思った」−結婚報告をした時に、恨めしい表情で雁治郎に睨まれたという逸話を思い起こさせる程の雁治郎の凄味。 ■和気藹々としたこの四人の姿 ![]() 「今日は大統領だんねでぇ〜。今日はものごっつぅ〜〜おもろかってん」貞ヤン 「シブチン!一晩くらい貸したかってへらへんやないかぁ!」チェリー 貞ヤンに迫る女チェリーを演じるのは長谷川一夫の娘・長谷川季子(1934− )である。彼女の母親は、初代中村雁治郎(玉緒の父は、その息子であり二代目)の六女である。つまり玉緒にとって季子は従姉である。彼女は宝塚歌劇団の娘役として1955年まで活躍していた。 「うちはまだ仲直りしてへんわ〜」玉緒「しつこいなおまえは」勝新 「一緒になる晩に書きはった一札だっせ、大きな声で読みなはれ」 琴糸の写真を机の中に隠していた事がばれてしまい、口論になる朝吉とお絹のやり取り。お絹が朝吉を追い詰めていくその姿があまりにも可愛すぎる。そして、そんなお絹と一緒になって朝吉をからかう貞の姿の可笑しさ。これは絶対ここぞとばかりに田宮が勝新をひやかしてるなと思わせるその空気が凄く良い。 ■日本情緒に溢れる因島の松の幹のシーン 「ウチの人取りにきはったんやったら困るけど、せやなかったら会いはってもかましまへんねんで」お絹 前作で朝吉の男気により、女郎の足を洗うことが出来た琴糸(=水谷良重)が、物語中盤で登場する。そして、玉緒のこれからの実生活を彷彿とさせるような「女の器量」っぷりによって、朝吉は琴糸と二人っきりで因島に向うことになる。 この瀬戸内海の風景が実に美しい。特に琴糸が好きでもない子持ち男と結婚し、浜辺を去っていく姿を、松の幹を絡めて映し出すシーンが、極めて日本情緒に溢れる浪漫を感じさせる映像を作り出していた。砂浜、着物、下駄、遥か彼方に見える島影、青い空と白い雲、そして、海・・・そういったものに全て掛け合わさる形で松の幹が生かされていた。 「元は女郎の足抜き手伝とった人が、今は抑えに回ってはりまんねんな」 かつて琴糸を女郎の生活から救った朝吉が、今は女郎の足抜きを抑える立場になってしまった矛盾を端的につくセリフを吐く夕顔という女郎を演じたのは、これまた元宝塚の娘役だった浦路洋子(1936− )である。 ■日本映画史上もっとも美しい暗殺シーン ![]() 「怪我せんように負けたらええねや。縄張り取られたら取られてしまえ」朝吉 「わいはな。おまえに畳の上で死なしたいねや」朝吉 「喧嘩しても人を殺そうとしたことないあんさんが、人を殺しに行きはんねやなぁ」貞ヤン 「わてにな犬死するなと言いなはんねやったら、わてもあんさんに犬死するなと言いとおまんねん。立派に戦死して来い・・・わてそんなことよう言えまへん。たのむわ・・・どうか無事に凱旋来ておくれなはれ」貞ヤン 赤紙が朝吉に届き、ヤクザの縄張り争いから国同士の縄張り争いに引っ張り出されるハメになる。この作品の隠れたメッセージ性は、この朝吉と貞ヤンの目に涙を溜めながらの別れのシーンに凝縮されている。 そして、ココでくどくどと語るまでもない日本映画史に燦然と輝く美しい暗殺シーンが流される。アスファルトの上で殺される男の姿がどうしてここまで美しいのだろうか?グレーの背景を生かすも殺すもカメラマン次第。宮川一夫の発想の転換が、大映撮影所の駐車場を貞ヤンとその妻・お照の幸せが一転する劇的な場へと変えていった。 物語のつながりなぞ一切無視したグレーのコンクリートの描写。昭和初期のイメージから限りなく遠い情景をここまでヌケヌケと映し出して、何ら違和感を感じさせないそのカメラワークと編集の巧みさ。線を強調したシンプルな画面の構成が全ての勝敗を分けた。背景の複雑な映像よりもそうでない映像の方が遥かに、力強い絵になる。その典型的な成功例がコレである。 ■本作から朝吉の天真爛漫さは既に失われていた ![]() 「貞・・・おまえ三途の川渡ってる頃やろな。それともおまえのこっちゃ・・・渡らんと待ってんのとちゃうか?ワイもすぐ行くで」 中国大陸で大きな縄張り争いに放り込まれた朝吉の姿を映し出してこの作品は終幕を迎える。一つの町の縄張り争いにおいては、男気を発揮することも出来たが、もはや一人の人間が虫けら%ッ然である戦場においては、そんな朝吉の男気が生かされる場所などどこにもない。ただ機械のように殺して殺して、生き残るだけの世界がそこには広がっていた。 そして、この作品以降『悪名』シリーズは14作輩出されることになるが、どの作品も前二作を越える事はなかった。それはまた戦争前の朝吉と戦争後の朝吉の激変振りを見せ付けられる結果でもあった。あの天真爛漫な朝吉は、この作品でも既にそうである様に、影を潜めていく。そして、その分だけ、『悪名』は田宮二郎の存在によってもっているような作品になってしまうのだった。 − 2008年1月5日 − |
||||||