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続・宮本武蔵 一乗寺の決闘   (1955・東宝)
■ジャンル: 時代劇
■収録時間: 103分

■スタッフ
監督 : 稲垣浩
原作 : 吉川英治
脚色 : 稲垣浩 / 若尾徳平
撮影 : 安本淳
音楽 : 團伊玖磨

■キャスト
三船敏郎(宮本武蔵)
鶴田浩二(佐々木小次郎)
八千草薫(お通)
岡田茉莉子(朱実)
木暮実千代(吉野太夫)
平田昭彦(吉岡清十郎)
尾上九朗右衛門(沢庵)
続・宮本武蔵 一乗寺の決闘
見所という見所がほとんど存在しない珍しい『宮本武蔵』映画。一乗寺の決闘ですら、なんとも煮え切らぬ殺陣が繰り返される。錦之助の武蔵の殺陣を見てしまうとレベルが違いすぎる。全てがほとんど破綻しており、芝居も音楽もカメラも演出も編集も歩調を合わせるかのようにやる気のない作品。ただ一つの光明を見いだすならば鶴田浩二においてのみである。

■あらすじ


鎖鎌の達人宍戸梅軒(東野英次郎)を打ち倒した宮本武蔵(三船敏郎)は、京へと上る。そこでお通(八千草薫)と再会するも、吉岡道場との決闘に巻き込まれていく。三十三間堂で吉岡伝七郎を斬り、一乗寺下り松にて多くの吉岡門弟を斬った末に吉岡清十郎も倒した武蔵であった。そして、それを見つめる一人の剣士の姿。佐々木小次郎(鶴田浩二)の姿がそこにあった。


■理想的な佐々木小次郎


鶴田浩二
「ほら吹きだと言われたら、大人気ないがほらではない証拠を見せたくなる」

「私の悪い性分でしてね。私は謙遜などということが大嫌いだ」


本作は佐々木小次郎に救われた作品である。まさに鶴田浩二(1924− )のその飄々とした魅力に尽きる。殺陣はそれほどうまくはないが、なんとも高倉健の小次郎よりも小次郎っぽい。女性の扱いに関しても、狡猾さに関してもその佇まいセリフ廻しに説得力がある。

「全体私は誰でしょう?」

小次郎の名前を語る又八に言い放つその時代劇らしからぬセリフが実に面白い。これこそこの当時の鶴田浩二の魅力だろう。この人の存在がなければこの作品完全に死んでいた。


■完成度の恐るべき低さ


続・宮本武蔵 一乗寺の決闘 続・宮本武蔵 一乗寺の決闘
本作には、何とも理解不可能な物語の構成が何箇所か見受けられる。特に冒頭の宍戸梅軒との決闘の決め手や、三十三間堂の決闘で一太刀合わせて結末は示さずに場面展開したり、最後に武蔵がお通を川べりで見つめるシーンの編集ミスであったり、明らかにこういった部分は演出上の狙いではなく、
ただ単に早撮り及び取り直しが利かぬゆえに、こういうずさんな編集となったのであろう。

そういった点においてはこの作品の完成度は恐るべき程低い。むしろ剣劇アクションと割り切った方が清いのだが、恐らく編集の段において肝心の殺陣のシーン多くが使用不可能だったのでこういう煮え切らない編集による作品となったのだろう。明確なる失敗作である。


■一応はストイックな武蔵像を演出してはいるが・・・


「おぬしに教えることはただ一つ強すぎると言うことじゃ」

「はばかりながら私はお侍の魂を研ぐのが商売。殺生な人斬り包丁など研ぐわけには参りません・・・人間を斬りさえすれば偉いと思うている侍の刀などは研げません」


こういった武蔵の剣の道に対する追求が、本作においてはセリフのみ上滑りしている。ここは稲垣浩と内田吐夢の差であり、製作日数の差でもあるのだろう。


■又八のお粗末さ


小暮実千代 続・宮本武蔵 一乗寺の決闘
しかし、又八が三国連太郎から堺左千夫にチェンジしたのは、かなりいただけない。これではこの又八ただの頬かむりのネズミ男じゃないか?ここまでスケールダウンした役者の変更も珍しい。

「女はとるに足らぬものと、あなどってでござりまするか?」
と言う、吉野太夫を演じる木暮実千代(1918−1990)のこの一連のセリフ廻しは、まさに一種独特の流暢さに満ちていて実に素晴らしいが、ほとんど物語の中で存在価値を生み出していない。それに付随して太夫の御付の御嬢・りん弥を演じる童謡歌手の近藤圭子(1943− )もさすがに唄声、声音どれをとっても素晴らしいが、物語からは浮いてしまっている。

さらには、一本調子の芝居でマニア心をくすぐる若き平田昭彦(1927−1984)も珍しく違和感のない芝居を見せていたのだが、肝心の映画の出来が悪すぎた。


■武蔵映画史上最高に情けないシーンの誕生


八千草薫
ここまでで十分に拙い作品なのだが、さらにラストに止めのシーンが待っている。お通と武蔵のすれ違いの恋の描写である。三条大橋での再会シーンは悪くないものだったのだが、一乗寺の決闘で傷だらけになった武蔵がお通に救われ、川べりで二人仲むつまじく過ごすシーンで、なんとストイックな武蔵がお通に「むらっと」してしまいキスをしようと迫るのである。

もちろんあまりに突然の野性的でデリカシーのない求愛行為にお通は拒否をするのである。そして、押し寄って愛を囁くわけでなくただ拒まれて情けなく足早に去っていくのである。
まさに宮本武蔵史上最高に情けないシーンである。

しかも、「人間は話し合えば争いごともなくなる」なんて君子じみたことをお通に言った数秒後の出来事なのである。その数秒後に話よりも行動に移して、拒まれてりゃ世話ないよな?


このシーンが本作の培ってきた唯一の強みであった三船=武蔵のストイックさをあっけなくぶち壊してしまった。最後に武蔵が、
裸足で逃げるように「恋慕の思いなし」と去っていくその姿は、格好いい格好悪いの次元ではなく、明らかにただの間抜けな童貞青年そのものだった。

それにしても『七人の侍』のあの若侍もしのという娘に、花畑でむらっときて圧し掛かってはねのけられていたが、それよりも数倍ダサイ拒否のされようだった。しかし、お通さんと誰もいない自然の山川の中で、あの笑顔で見つめられたら、誰でも獣になるのかも・・・という妙に説得力のある八千草薫の相変わらずの可憐さだった。

ちなみに『七人の侍』の稲葉義男が吉岡一門の一門弟の役柄でかなり目立たない形で出演している。しかし、この程度の作品が1955年度邦画興行成績6位になるとはやはり続編映画の強さである。

− 2007年7月21日 −


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